2021年8月 佐土原教会礼拝説教

HOME | 2022 | 2021 | 202108

聖書箇所:マルコ福音書1章1節

先日、インターネットの動画で、ご高齢の牧師先生が話をしておられるのを聞きました。その先生は「笑うことは健康に良い」という話をされた後、「自分は嬉しくて仕方がない」と言われました。何がそんなに嬉しいのか。それは「死んでも天国に行くと分かっているからだ」ということでした。「自分は死んでも天国に行ける。本当に嬉しい。それを思うと、生きているのも嬉しい」、そう言われました。私も、天国の約束を思う時に、本当に感謝です。それがなければ、人生は本当に虚しいと思います。いずれにしても、キリスト教信仰は、そのように人生の最後まで喜びを与えてくれる信仰だと思います。
さて、マルコは「福音書」を、バプテスマのヨハネの登場をもって語り始めます。ヨハネと聞くと、厳しい預言者のイメージがありますが、「福音書」ですから、その内容は、喜びの知らせです。では、ヨハネの記事は、私達にどんな喜びを語るのでしょうか。3つのことを申し上げます。
 

1.神の御言葉を聞くことによる喜び

マルコが「イエス・キリストの物語、喜びの知らせ」を「バプテスマのヨハネの登場」から書き始めるのは、ヨハネが「イエスの露払い」として活動したからですが、彼の登場は唐突なものではなく、「旧約」に預言されていたことでした。「…荒野で叫ぶ者の声がする。『主の道を用意し、主の通られる道をまっすぐにせよ』…」(3)。この言葉通り、ヨハネは「荒野」に登場しました。どうして「荒野」だったのでしょうか。
イスラエルの人々が「荒野」と聞いて思い出すのは、「荒野の40年」である「出エジプト」の出来事でした。先祖が導かれた所、そしてそこで先祖は神と共に在り、神の声を聞いたのです。そのように「荒野」とは、「神の声を聞いた(聞く)場所」でした。神殿で働くはずの祭司の子であるヨハネが、神殿ではなく、荒野に立ったのは、そこで神の声を聞くため、聞いて人々に取り次ぐためだったと思います。ヨハネが信仰生活の喜びのために語ってくれること、それはまず、「神の言葉を聞く、聞き続ける」ことです。
ここに登場したヨハネは、3節の「旧約・イザヤ書」の言葉のように、荒野で神の声を聞きました、そして叫びました。しかし「イザヤ書」は、イエス様の時代の700年前に書かれた預言書です。この言葉は、最終的には700年後のヨハネのことを預言した言葉だったのですが、イザヤがこの言葉を語る時点においては、それが語られる状況がありました。
イザヤが召されてから100年後、やがてイスラエルがバビロンに捕囚として連れて行かれ、捕囚の民として暮らさなければならなくなる。その出来事を、既に生前に見ていたイザヤが、やがて捕囚の地で打ちのめされるだろう人々のために「神の励まし」を取り次いだ、それがこの言葉なのです。
人々が遥か西にあるイスラエルに帰りたいと思っても、そこには広大なアラビア半島の「荒野」が横たわっています。それでも初めの頃は「解放の希望」を持っていました。しかし次第に現実に打ちのめされ、虚無的になり、信仰を捨てて行くのです。しかしイザヤは、そういう状態がやって来ることを遥か遠くに見て、「主の道を用意し、主の通られる道をまっすぐにせよ」(3)、それは「必ず神が介入して解放して下さる、必ず神がお前達を先導して、そこから脱出させて下さる時が来る。だから信仰を捨ててはならない。その時に備えて心の中の道を真っ直ぐにしなさい。『この道を通って私にお入り下さい』と言える道を心に備えておきなさい。決して絶望してはならない。諦めてはならない」、そう語ったのです。そして、現実に「バビロン捕囚」が起こった時、失望しそうになる人々をイザヤのこの言葉が励ましたのです。人々を虚無から救ったのです。そして預言者の言葉に支えられた彼らは、やがてバビロンに代わって支配者となったペルシャの王クロスの命令によって「彼らのために砂漠に造られた道」を通ってイスラエルに帰って来るのです。
いずれにしても、イザヤを通して語られた神の言葉が、彼らを支えた、彼らを救ったのです。そしていよいよ、預言の本命であるヨハネが登場したのです。神の預言(約束)は必ず成就する、そのことも喜びの知らせだと思いますが、同時に、神の言葉に信仰生活の土台があり、救いがあり、希望がある。だからヨハネは、荒野で神の言葉を聞こうとしたのです。神の言葉に触れること、それは「ワッハッハ」という喜びではないでしょう。しかし、深いところから私達を支える希望、喜びなのです。
拉致被害者家族の横田早紀江さんという方がおられます。「死んでしまいたい」と思うほど、悲しみ、嘆いていた彼女を支えて来たのも、神の言葉です。「横暴な者に奪われた物も奪い返される。あなたの争う者とわたしは争い、あなたの子らをこのわたしが救う」(イザヤ49:25)。めぐみさんが帰って来たわけではない。しかし、この言葉が彼女に希望を与え、彼女を確かに支えている、生かしていることを、お証しの文章で読みました。私達は、御言葉によって神と交わるのです。そして神の力を、希望を、喜びをもらうのです。逆に言うと、神の言葉を抜きしては、神と豊かに交わりを持って生きることは出来ないのです。その意味で、聖書を読むこと、それは信仰生活の深い喜びに関係して来るのではないでしょうか。イザヤは言いました。「あなた方は主の書をつまびらかにたずねて、これを読め」(イザヤ34:16口語訳)。確かに、お互い、忙しい毎日です。しかし、聖書に触れる、その短い時間が、その日一日を変えるかもしれません。「御言葉に生かされる豊かな一日」を、喜びを、私達に与えるかも知れません。
いずれにしても、ヨハネは、御言葉に聞くことの大切さを教えます。
 

2.悔い改めることによる喜び

信仰生活の喜びのポイント、2番目は「悔い改める」ことです。
4節に「バプテスマのヨハネが荒野に現われて、罪の赦しのための悔い改めのバプテスマを宣べ伝えた」(4)とあります。ヨハネは人々に「悔い改め」を説きました。そして5節には「ユダヤ全国の人々とエルサレムの全住民が彼のところへ行き、自分の罪を告白して、ヨルダン川で彼からバプテスマを受けていた」(5)とあります。なぜ、ヨハネの許にこんなに大勢の人々がやって来たのでしょうか。
当時のユダヤ教では「異邦人がユダヤ教に改宗する時」に洗礼を施しました。ユダヤ人は神の民だから、洗礼を受ける必要がなかったのです。しかしヨハネは、ユダヤ人にも異邦人にも区別なく「悔い改め」を呼びかけ、洗礼を施しました。それが人々の心を惹いたのです。なぜ、全ての人に「罪の赦しのための悔い改めのバプテスマ」を説いのでしょうか。それは「罪の赦し」は、ユダヤ人も異邦人も区別はない、全ての人に必要なことだからです。「私には神の赦しはいらない」、「私は神の前で悔い改める必要はない」と言える人は誰もいないのです。人々は、それをどこかで感じていたのではないでしょうか。
「罪の悔い改め」というのは「悪いことをしたから悔い改める」ということだけではありません。そう考えると「私は何も悪いことなんかしていない」ということになります。そうではなく、聖書の言う「罪」とは「あるべき生き方が出来ない」ということです。なぜ、出来ないのか。神様と心を合わせるようにして生きていないからではないでしょうか。なぜ、私達が人間関係の問題を抱えてしまうのか、なぜ妬みやプライドに縛られてしまうのか、なぜ神の恵みを純粋に喜んで生きられないのか。ヨハネは「それは、あなたが的を外した生き方をしているからだ…だから、まず『回れ右』をしなさい。そして神にしっかり帰りなさい。そこから信仰生活をやり直しなさい」と言ったのです。神を知らない人々に語ったのではない。神を知っている人々に語ったのです。
その意味で、神を見上げている私達に、ヨハネ(聖書)は言うのです。「あなたは神に喜ばれるように生きているか」。あるいは「あなたは喜びの信仰生活を生きているか」。もし「私はそうではないな」と思うなら、「もう一度、神に帰って、赦しを願い、赦しを受け取って歩き始めなさい」とヨハネは語ります。
ヨハネの言葉の背後には、「罪を知り、悔い改めるなら、罪は赦される」という彼の信仰があるのです。「新約」の信仰は、「赦しの恵み」です。しかし、罪を認め、悔い改める思いがなければ、「赦し」の必要を感じません。そうすると「神の赦し」が自分のものにならないのです。私事で恐縮ですが、私は、洗礼を受けた後も「自分は良い人間だ」と思っていました。しかしその時には、「神の赦し」も「神の慰め」も「神の恵み」も良く分かりませんでした。しかし仕事を通して自分の罪を示され、「自分は罪人だった」と分ったその時、「赦されたい」と思いました。その時、神様が教会を通して「神の赦し」を語って下さいました。「神の赦し」が身にしみました。イエス様の十字架が輝きました。教会に集えることが感謝であり、喜びになりました。恵みが分かるようになりました。
悔い改めは、一度きりのことではなく、「私は、神に喜んで頂けるような、あるべき生き方が出来ているか」と振り返り続けることは大切なことだと思います。「そうでない」と思う時、私達の心に「神の赦し」に対する渇望が生まれます。そして「そのあなたを、私は愛しているのだ、そのあなたと私は共に生きようとしているのだ」と神がその度に差し出して下さる「赦し」が、大きな慰めになるし、感謝になるし、救いになるのです。そして「赦されてある」という喜びがやって来るのです。先日の「デイリーブレッド」に「自分の罪と向き合う時、神様がそこを清めて下さり、神様は、清めを讃美に変えて下さいます」というような言葉がありました。罪の悔い改めが、喜びに変わるということでしょう。
「悔い改める」とは、下を向くことではありません、顔を上げることです。あの「放蕩息子」が父親の許に帰って行ったように、神様に向き直り、神様に帰り、神の恵みの中に飛び込み、赦しを受け取り、新しく歩み直すことです。感謝なことです。喜びに繋がることです。
 

3.聖霊を求めることによる喜び

信仰生活の喜びのポイント、3番目は、「聖霊を求める」ことです。
ヨハネは人々に語りました。7節「私よりもさらに力のある方が、あとからおいでになります…私はあなたがたに水でバプテスマを授けましたが、その方は、あなたがたに聖霊のバプテスマをお授けになります」(7~8)。ヨハネが為したのは、人々に「悔い改め」を呼びかけ、その心を「悔い改め」に導くことでした。そして「悔い改め」のしるしとして、水の洗礼を施すことでした。しかし、人間に出来るのはここまでです。ヨハネはそれを知っていました。しかし「悔い改めれば、それでもう神に喜ばれる信仰生活が出来るか」と言えば、そうではありません。使徒パウロでさえこう言っています。「私は…良いことをしたいと思ってもできず、悪いことをしないように努めても、どうしてもやめられません。自分ではしたくないことをしているとすれば…罪がなおも私をしっかり捕らえているのです…ああ、私はなんとみじめで哀れな人間でしょう。いったいだれが、この悪い性質の奴隷状態から解放してくれるのでしょうか。しかし、主イエス・キリストのゆえに、ただ神に感謝します。キリストによって…いのちを与える御霊の力が、罪と死の悪循環から解放してくれたからです」(ローマ7:18~8:2リビングバイブル)。光に近づくほど影が濃くなるのと同じで、パウロも、神に近づくほど自分の内実―{いかに自分の中に神に(神の言葉に)逆らうものがあるか}―が深みにおいて見えて来たのです。
私達は、人間的な力だけで祝福の信仰告白を生きることは出来ないのです。では、どうすれば良いのでしょうか。それは神の御霊に導いて頂くことです。イエスを信じる者には、自我にコントロールされるのではなく、御霊に支配して頂き、御霊にコントロールして頂く生き方があるのです。それは、求める者に「現実の力」として与えられるのです。私達も神の御霊に満たされて、神の御業を心に、体に受けながら、信仰生活を送ることが出来るのです。だからヨハネは「その方は、あなたがたに聖霊のバプテスマをお授けになります」(8)と言ったのです。
聖霊について「イザヤ書」にこんな記事があります。「…彼らを海から上らせた方は、どこにおられるのか。その輝かしい御腕をモーセの右に進ませ、彼らの前で水を分け…荒野の中を行く馬のように、つまずくことなく彼らに深みの底を歩ませた方はどこにおられるのか。家畜が谷を下るように、主の御霊が彼らをいこわせた」(イザヤ63:11~14)。「出エジプト」の時、「神が御業をもって民を導き出されたこと」が回想されている言葉ですが、ポイントは、奴隷の苦しみの中にいた民が救い出されたり、紅海が2つに分けられたり、草木一本も生えないような荒野で食べ物を食べ、水を与えられて彼らが生きて来ることが出来たのは、「それは彼らの中に『神の御霊』がおいでになったからだ」とイザヤが言っていることです。神は、聖霊を通して御業をなさるのです。聖霊が、私達の魂の中で、私達の状況の中で働いて下さるのです。
では、聖霊の働きを求めるためにどうすれば良いのでしょうか。宗教改革者ルターは「聖霊は御言葉と共に働く」と言いました。御言葉に触れることも1つでしょう。しかしイエス様は言われました。「天の父が、求める人たちに、どうして聖霊を下さらないことがありましょう」(ルカ11:13)。何よりも祈り求めることだと思います。祈り求める時、聖霊様は、私達に信仰生活の喜びを与えて、働いて下さるのではないでしょうか。
 

4.最後に

 私達は、ここまで信仰生活を歩ませて頂きました。しかし、まだ私達の知らない信仰生活があるのだと思います。神はそれを用意して下さっています。御言葉を求めましょう。悔い改めに生きましょう。聖霊を求めましょう。そのようにして喜びの信仰生活を経験させて頂きましょう。
 

聖書箇所:マルコ福音書1章1節

こんな話があります―(北米の話です)。ある人が、仕事の帰り、疲れた体で車を運転していました。交差点に差し掛かった時、信号が青から黄色に変わりました。彼は「まだ行ける」と思いましたが、前の車が止まってしまいました。彼は頭に来て「まだ行けるじゃないか!なんで止まるんだ!」と前の車に向かって怒鳴り散らしました。ところが、ふと後ろを見ると、どこから来たのか警官が彼に近づいて来て、彼を逮捕してしまいました。まさか、逮捕されるとは思いませんでしたので、彼は驚きました。彼は警察署に連れて行かれて、取調べを受けました。取調べの後、しばらく1人で待っていたら、警官が彼のところに戻って来て言いました。「すみませんでした。あなたの車に貼ってあったシール―(「教会へ行こう!」というシール)―と、あなたの言動があまりにも違うので、てっきり盗難車だと思って逮捕してしまいました」。彼はクリスチャンでしたが、恥ずかしい思いをしたと思います。車のシールは、彼の信仰を告白していました。それは素晴らしいことでした。しかし、彼はその信仰告白を生きていなかった、と言うことが出来るかも知れません。
さて、今日から「マルコ福音書」をご一緒に学んで行きます。今朝は1回目なので、最初に「マルコ福音書」の「イントロダクション」的な話をさせて頂いて、それから「1章1節」の内容に入ります。
 

1.イントロダクション~マルコと「マルコ福音書」~慰め

「マルコ福音書」を書いたマルコは、どういう人だったのでしょうか。「新約聖書」の中に何回か彼の名前が登場します。「…ペトロは、マルコと呼ばれているヨハネの母マリヤの家に行った。そこには、大ぜいの人が集まって、祈っていた」(使徒12:12)。マルコの母は、自分の家を集会場として開放していました。イエス様が伝道をしておられた時からそうだったと思われます。その中でマルコは、自然に信仰に導かれて行ったのではないでしょうか。しかしマルコは、その信仰生涯で何回か失敗をしています。
「マルコ14章」には、イエス様がゲッセマネの園で逮捕される場面が記されていますが、その場面に突然、前後の文脈から浮き上がって、こういう一文が出て来ます。「ある青年が、素はだに亜麻布を一枚まとったままで、イエスについて行ったところ、人々は彼を捕らえようとした。すると、彼は亜麻布を脱ぎ捨てて、はだかで逃げた」(マルコ14:51~52)。多くの学者が「これはマルコが自分の辛い―(恥ずかしい)―体験を『私はこういう者だったのだ』という悔い改めの思いを持ってここに挿入したのだろう」と言います。私もそう思います。そうでなければ、ここにこんな余計な文が出て来るはずがありません。彼もまたイエス様を捨てて、なりふり構わずに逃げ出したのです。しかし彼の失敗は、これだけではありません。それから15年程後、既に教会の指導者となっていた使徒パウロが第1回伝道旅行に出かける時、マルコはパウロの伝道旅行に同行します。しかし「パウロの一行は…パンフリヤのペルガに渡った。ここでヨハネ(マルコ)は一行から離れて、エルサレムに帰った」(使徒13:13)。何かの事情でマルコは、1人でさっさとエルサレムに帰ってしまったのです。このことが、パウロが2回目の伝道旅行に出かける時、大問題になります。「バルナバは、マルコとも呼ばれるヨハネもいっしょに連れて行くつもりであった。しかしパウロは、パンフリヤで一行から離れてしまい、仕事のために同行しなかったような者はいっしょに連れて行かないほうがよいと考えた。そして激しい反目となり、その結果、互いに別行動をとることになって、バルナバはマルコを連れて、船でキプロスに渡って行った」(使徒15:37~39)。優しいバルナバは、マルコの失敗にも拘らず―(失敗の故に)―もう1度一緒に連れて行こうとしました。しかし厳しいパウロは「あんな奴はダメだ」と断固反対しました。結局、マルコのために、良き同労者であったパウロとバルナバが袂を分かつことになってしまうのです。マルコはどんなに心を痛め、また自分を情けなく思ったことでしょうか。しかし、後にパウロがローマの獄中から書いた手紙には「私といっしょに囚人となっているアリスタルコが、あなたがたによろしくと言っています。バルナバのいとこであるマルコも同じです…」(コロサイ4:10)とあります。マルコは獄中のパウロと共にいて、彼を助けているのです。さらにパウロの最晩年、パウロは再び捕らえられてローマの獄中にいました。そこから弟子のテモテに宛ててこう書き送っています。「マルコを伴って、いっしょに来てください。彼は私の務めのために役に立つからです」(2テモテ4:11)。「マルコの助けが必要なのだ」とパウロが書いたのです。
マルコはまた、ペテロをも助けているのです。ペテロは書いています。「バビロンにいる…私の子マルコもよろしくと言っています」(1ペテロ5:13)。「バビロン」というのはローマのことです。迫害の中にいる信者を必死になって励ましていたペテロ、マルコはそのペテロと一緒にいて、彼を助けていたのです。パピアスという初代教会の指導者が、次の文章を書き残しています。「ペテロの通訳となったマルコは、主イエスが語ったり行ったりしたことに関して、覚えている限り正確に書いた…ペテロの弟子になったからである…ペテロはその時の必要に応じて教えをなしたが…マルコは自分が聞いたことを何一つ漏らさないことと、何一つ誤った記述をしないようにという、ただ一つの目的だけを考えていたからである」。マルコはペテロの通訳を務め、ペテロがアラム語―(弟子達の母国語はアラム語)―で話すのを、ギリシャ語に訳したのでしょう。時にはペテロの話を解説し、人々の求めに応じてペテロの話を書き留めたようです。それがやがて「マルコ福音書」となって行くのです。
生前のイエス様を知り、また「パウロとペテロ」という2人の大指導者に仕えた彼は、ペテロから聞いた「イエス様の物語」をベースにして、そこにパウロから聞いた「福音とは何か」を加味して「福音書」を書いたのです。その意味で「マルコ福音書」は、「イエス様の息づかいに最も近い『福音書』」だと言われるし、それだからこそ、やがて「マルコ福音書」が土台となって「マタイ福音書」や「ルカ福音書」も生まれて来るのです。
この「イントロダクション」に敢えてテーマをつけるなら、それは「慰め」だと思います。マルコの生涯には、記されているだけではない、様々な失敗があっただろうと思います。しかしその失敗の中で、彼は少しずつ砕かれ、練られ、取り扱われ、変えられて行ったのです。ですから、ある人は「マルコ福音書は『失敗者を励ます福音書だ』」と言いました。私達も多くの失敗をします。ヤコブ書には「私たちはみな、多くの点で失敗をするものです」(ヤコブ3:2)とあります。皆様は、いかがでしょうか。確かに私達は、失敗の中で自責の念にかられます。過去に苦しみます。しかしマルコは、失敗によって変えられたのです。失敗を通して少しずつ「主に用いられる器」になって行ったのです。「ローマ書」に、良くご紹介する御言葉があります。「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています」(ローマ5:28)。ある有名な説教者は「この『すべて』の中には、あなたの失敗も含まれている」と言いました。キリスト者の慰めは、私達が自分で「変わりたい」と思う以上に、神様が「私達を変えたい」と思っていて下さることです。だから神は、失敗さえも用いて私達を取り扱って、永遠の観点から「益」として下さるのです。後になって私達が、その辛い出来事を、神の恵みを感じながら振り返ることが出来るようにして下さるのです。そのことに慰めを得ながら、失敗の多い信仰生活を、希望を持って歩いて行きましょう。
 

2.「マルコ福音書」の表題~「イエスの物語こそが福音」~チャレンジ

内容に入ります。今朝は1章1節だけです。1章1節は、恐らく「マルコ福音書」全体の表題です。マルコは自分がこれから書く書物の表題として「神の子イエス・キリストの福音のはじめ」と書いたのです。この短い言葉の中には、実はマルコの思い入れがあるのです。
「マルコ福音書」は、ローマ帝国の首都ローマで書かれたと言われます。ローマ帝国においては、例えばローマ帝政の基礎を築いたシーザー(カエサル)は「神の如き人」と呼ばれました。そしてそれを継いだアウグストゥス―(クリスマス物語で有名)―は、「神の子」と呼ばれ、自らも「神」と自称しました。自称しただけではありません。代々の権力者は、自分が治めている民に「私を神として拝みなさい」と強要したのです。ローマ世界にあって、「神」とは、「神の子」とは、ローマ皇帝のことだったのです。しかしマルコは、「神の子イエス・キリストの福音のはじめ」と書きました。そう書くことによって、「ローマ皇帝よ。真の『神の子』はあなたではない」と言ったのです。それだけで迫害の可能性を十分に持つ言葉です。
また「福音」という言葉もそうです。「福音」、ギリシャ語で「ユーアンゲリオン」と言いますが、意味は「良い知らせ」です。元々は「皇帝に王子が生まれた時、国民にそれを『喜びの知らせ』として告げ知らせ、国民に喜ぶことを強制した」、それが「福音(ユーアンゲリオン)」と呼ばれたのです。そのような社会の中でマルコが「神の子イエス・キリストの福音のはじめ」と書いた時、それは「皇帝よ。あなたが王であることが私達にとっての喜びではない。あなたに王子が生まれたことが私達にとっての良き知らせではない。私達の本当の良き知らせは、イエス・キリストの中にあるのだ」と言ったのです。つまり「神の子イエス・キリストの福音のはじめ」、この一言は「マルコの命がけの信仰告白であった」と言っても良い言葉なのです。
私達は、マルコの時代のような戦いの中にも、戦前の日本のキリスト者が味わった恐怖の中にもいません。しかし、だからと言って、私達がもし、自分が告白するイエス様への信仰を、実生活で生きていないとしたら、それは主に喜ばれることではないと思います。「信仰の告白を生きる」と言っても、特別のことではありません。礼拝を中心において一週の生活を造り上げることです。聖書を読むことです。祈ることです。御言葉に従うことです。それらを通して、イエス様と生きて行くことです。それは、何か義務を負わせられるようなことではありません。マルコはどうしてイエス様の物語に「福音(喜びの知らせ)」というタイトルをつけたのでしょうか。
「ビリー・キム」という人の話を聞いたことがあります。朝鮮戦争で戦災孤児となってしまった1人の少年がいました。靴磨きをして生きていた彼は、1人のクリスチャンの米兵と親しくなり、ついにはその米兵によって引き取られ、アメリカで育てられました。米兵は独身を通してその韓国人の少年を育てたそうです。やがて彼は、大学を卒業し、神学校を卒業し、宣教師になって韓国に帰りました。そして長年、韓国で素晴らしい働きをしている、それが「ビリー・キム」先生です。FEBCというキリスト教放送があります。ビリー・キム先生は、そのFEBCのためにも良い働きをしておられると聞きました。彼はいつも言うそうです。「皆さん、イエス・キリストは私達の人生を変えて下さる方です」。自分の生涯を振り返って、育ててくれたクリスチャンの米兵を思って、様々な形で、様々な人を通して自分に関わって下さったイエス・キリストに感謝を込めて、喜びを込めて、そう言われるのでしょう。
「世の光」救霊祈祷会でこの教会に来られた姉妹が言われました。その方のお嬢さんが不登校になりました。当時、彼女が信仰していた宗教の上の人からは「これはあなたの娘さんの運命だから治らない」と言われました。そんな時、ある方に紹介されてキリスト教会に行くようになられます。「そこから運命が変えられた」と言われました。「娘の運命も変えられた。家族の運命も変えられた。キリスト教に出会っていなければ、今頃、娘はどうなっていたのか、家族はどうなっていたのか。それを思うと、神様に感謝をしている。本当に神は運命さえも変えることがお出来になる素晴らしい方です」。
マルコも言いたかったのです。「イエス・キリストによって『私の物語』が変えられた。イエス・キリストの物語は私の救いに繋がる物語なのだ」。彼はイエスによって自分の人生が変えられたことを喜んで、その祝福の源であるイエス・キリストの物語に「福音」と名づけたのだと思います。
「神の子イエス・キリストの福音のはじめ」。その「良き知らせ」は、今に続いています。イエス様の御言葉に、御生涯に、私達がしっかり寄り添って歩く時に、私達の人生が変えられます。イエス様の物語に触れ、イエス様と生きることが、私達の喜びになるのです。
私はここ数か月、自分の信仰の弱さを見せられる経験をしました。イエス様を信じるとはどういうことか、信仰を生きるとは、信仰の告白を生きるとは、どういうことか、改めて学びたいと強く願っています。これから「マルコ福音書」の学びを通して、主と共に生きて行く、その在り方を学んで行きましょう。
 

聖書箇所:ヨハネ福音書21章20~25節

 シスターの渡辺和子さんが「置かれた場所で咲きなさい」という本を書いておられます。その本の第1話がこのタイトルについての話です。彼女が若くして大学の学長になり、苦労し、悩んでいた時に、1人の宣教師が彼女に渡してくれた詩の冒頭の一行、それが「置かれた場所で咲きなさい」という言葉だったそうです。詳しくご紹介は出来ませんが、結論として書いておられたのは「置かれたところが辛い立場ということもあるけれど、そんな日も咲く心を持ち続けましょう…そのようにして咲く心を持って過ごした日々を神様に捧げましょう」ということでした。
 今日の説教のタイトルは、この言葉から取りました。と言うのも、信仰生活にも示唆を与える言葉ですし、今日の聖書のメッセージにも大いに関係があると思ったからです。この箇所は「ヨハネ福音書」の最後の箇所ですが、ヨハネは2000年後を生きる私達に、最後に何を語るのでしょうか。
前回の19節でも、イエス様は最後に「わたしに従いなさい」(19)と言われました。今日の22節でも「あなたは、わたしに従いなさい」(22)と繰り返して言っておられます。「ヨハネ福音書」でイエス様が最後に言われたのは「あなたは、わたしに従いなさい」(22)という言葉でした。そのことはつまりイエス様は、「福音書」を読む私達にも「あなたは、わたしに従いなさい」と呼びかけておられるということです。前回、私達は「あなたはわたしを愛しますか」(17)という問いかけを受けました。私達はイエス様を愛する信仰生活を送りたいと願います。しかし信仰とはまた「あなたは、わたしに従いなさい」(22)という言葉に応答することでもあるのです。では、私達がイエス様に従う信仰生活を造るためには、何が、どのような思いが、大切なのでしょうか。2つのことを申し上げます。
 

1:自分の道で主に従う

 20節に「ペテロは振り向いて、イエスが愛された弟子があとについて来るのを見た…」(20)とあります。前の箇所でイエス様はペテロに「あなたは、わたしの教会の牧者として教会を導いて、最後は十字架にかかって使命を全うするのだよ」と言われました。その2人の一番近くにいたのがヨハネでした。ペテロにとってヨハネは、何かにつけて気になる、知らず、知らず、自分と比べてしまう、そういう存在だったのかも知れません。それでペテロは、ヨハネを指して「主よ。この人はどうですか」(21)と聞くのです。これはどういう言葉でしょうか。
宗教改革者カルバンは「これはペテロの中にある好奇心の言葉だ」と言っているようです。私達の中にも「他の人はどうなのか」と知りたがる好奇心があります。学校に勤めている時、特に異動の時期、根ほり葉ほり人のことを知りたがる先生がいました。私はそこで「根ほり葉ほり」という言葉を覚えました。しかし他人事ではない、私達の中にも、この好奇心があるのではないでしょうか。そして、自分より幸せな人がいたり、祝福に与っている人がいたりすると、「なぜあの人なのか、自分じゃないのか」と思うのです。人が不幸そうだと、自分と比べて喜ぶのです。つまりそれは「自分と比べるために人のことを知りたがる好奇心」です。ペテロにしてみれば、自分は死を預言されているのです。「なぜ私は死ぬのか、あの人はどうなのか」、そういう思いは当然だろうと思います。 
しかしイエス様はペテロに「わたしの来るまで彼が生きながらえるのをわたしが望むとしても、それがあなたに何のかかわりがありますか。あなたは、わたしに従いなさい」(22)と言われたのです。言い換えれば「ヨハネがどのような奉仕をして、どのような死に方をしようが、それであなたの何が変わるのか。あなたはわたしに従いなさい」ということです。何を語ろうとしておられるのでしょうか。それは「キリスト者にはそれぞれに、主に従うそれぞれの道がある」ということではないでしょうか。
 ペテロは牧会者として大きな働きをしました。しかしヨハネはそうではなかったのです。ヨハネの仕事は、長く生きて、「ヨハネの福音書」、「ヨハネの手紙」、「ヨハネの黙示録」を書いて、様々な間違った教えに対して、イエス様の正しい教えを守り、それを伝えることでした。どちらが良い、悪いということではないのです。それぞれ与えられた道が違うのです。
それはこうも言えます。イエス様はこの言葉によって、ペテロを「自分と比べるために人のことをあれこれ知りたがる好奇心」という罪から解放しようとしていらっしゃるのではないでしょうか。そうでなければ、本当の意味でイエス様に従い抜くことは出来ないからです。神学校の先生がチャペルで話された言葉を覚えています。「私達は良く人と比べてしまいますが、人と比べると、出て来るのは優越感か、劣等感のどちらかです」。渡辺和子さんは言っています。「比較を常にしてしまいがちの人は、劣等感の塊、また優越感の塊になりがちです」。どちらもイエス様に従うには不必要なものです。その意味でイエス様の言葉はまた、こうも言い換えることが出来ます。「人のことに構うな、人がどのように歩もうとも、それがあなたにとって何の関係があるか、あなたは、わたしとあなたとの関係だけにおいてわたしに従って来なさい」。ある意味で「人に対して無関心で良い」と言われるのです。自分と主との関係だけで主に従う、その道が教えられているのです。私達はイエス様だけを見れば良いのです。そして自分の置かれたところで咲こうとすれば良いのです。
それを日常の生活に置き換えると、例えば「コロサイ書」に「何をするにも、人に対してではなく、主に対してするように、心からしなさい」(コロサイ3:23)とあります。主に遣わされた生活の場、仕事の場に赴き、そこで出会う人々に、主に対するように接して行く、仕えて行く。他の人のことで惑わされなく良いのです。
「瞬きの詩人」と言われた水野源三という方がおられます。脳性麻痺で小学校4年生にして手足の自由と言葉の自由を奪われ、生涯、瞬きしか出来なかった方です。厳しい状況です。でも水野さんは、瞬きを使って神を讃美する沢山の詩を書きました。与えられた状況の中で精一杯、神に従って生きたのです。あるテレビ番組で、水野さんを1人の少年が訪ねました。彼は最近、突然左目の視力を失い、右目もいつ見えなくなるか分からないという不安と恐れの中にある少年でした。彼が水野さんのことを聞いて、ぜひ会いたいと言って訪ねて来たのです。水野さんは少年を暖かく見つめ、最後に瞬きでこう語りかけるのです。「他の人と比べないようにして生きて行って下さい」。それは「あなたには、あなただけに与えられた生きる道があるし、そこに神の恵みはきっとあるのだよ」、そういう思いのこもった言葉だと思います。それは、水野さんの生き方、ご生涯、そのものだったのではないでしょうか。
そして、それはそのまま、この箇所の語る信仰生活への勧めとして聞くことが出来るのではないでしょうか。「あなたには、神様があなたに与えた道が、イエス様への従い方があるのだ。他の人のことは見なくて良い。ただイエス様を見上げて、イエス様に従って行きなさい。その道で、神の恵みをきっと経験するはずだ」。森繁さんが神様からこんな語りかけを聞いたと証ししています。「神の下さる仕事に大小はない。この人は偉大なことをしたけど、この人はそうではない…ということはない。それぞれが神様から丁度良い仕事をもらって、そこで心から神に従って行く時、褒美は同じだけもらうのだ」。私達は、置かれたところ、それぞれ自分の道で、イエス様との関係だけにおいて、精一杯、主に―(主の御言葉に)―従って生きて行きたいと思うのです。
 

2:主によりかかりつつ主に従う

 「置かれたところで主に従って生きる」、その時に大切なことがあります。ここでヨハネは自分のことを「この弟子はあの晩餐のとき、イエスの右側にいて、『主よ。あなたを裏切る者はだれですか』と言ったものである」(20)と言っています。「新共同訳」は「イエスの胸もとに寄りかかったまま」(20新共同訳)と訳しています。その方が原文に忠実です。ヨハネが言いたいのは「私はイエス様の胸によりかかっていた者である」ということです。
「イエス様の胸によりかかる」とは、どういう意味でしょうか。「最後の晩餐」の時、ヨハネはイエス様に背中を向けるようにしてよりかかっていました。つまりヨハネは、イエス様によりかかっていましたが、イエス様の姿は見えなかったのです。同じ様に「イエスの胸によりかかる」とは、見えないイエス様に自らを預ける、イエス様が傍らにおられて、私のことを、その試練も全部知っておられ、共に歩き、支えていて下さる、ということを前提にして生きて行くことだと思うのです。
アメリカで1人の高校生が、理科の実験で薬品が爆発して、目が見えなくなりました。彼は絶望して自分の部屋に引きこもっていました。その地域は寒い地域なので、冬は二重窓にしなければなりませんでした。ある日、父親が部屋にやって来て言いました。「お前の部屋の窓を二重窓にする材料はガレージに全部揃えたから、自分で二重窓にしなさい」。彼は言いました。「目の見えない僕にそんなことが出来るはずがない」。「そうだ、梯子から落ちて体を打ちつけて、動けない体になって、そうやって家族に仕返しをしてやる」。彼は、そうやって一日中作業をしたのです。しかし、そうしたら全部窓が入ったのです。彼は大きな一歩を踏み出したのです。後で分かったことですが、その日一日中、彼の父親は、彼の傍に、手を伸ばせば届くところにいて、彼が落ちないように一緒に回ってくれていたのです。彼には見えなかった。でも父親は傍らにいたのです。
私達にも、イエス様の御手は見えないのです。だから信仰生活の中で主への信頼に生きることが出来ないことがあるのです。そして困難があると神様に呟くのです。しかし、イエス様に従って行く、その時に大切なことは、イエス様が共におられることを信じ、共におられるイエス様に信頼することではないでしょうか。そのような信頼に生きることが「イエスの胸によりかかる」ことではないでしょうか。見えなくても主の手は添えられているのです。それを信じて生きるのです。
森繁さんの証しです。何度かご紹介していますが…。ペテロは、やがて殉教の死を遂げます。ペテロが逆さ十字架に架かって殉教した場所に、今のバチカンのサン・ピエトロ大寺院は建てられていると言われます。そのように、自分の道でイエス様に従い通し、ついに殉教の栄誉に与るのですが、日本人クリスチャンである私達も殉教者を持っています。森繁さんは、佐渡島に行き、そこで「切支丹塚」という碑を見ました。江戸時代の初め、そこで切支丹達が信仰のために首を切られ、見せしめのために曝された、という場所です。彼は考えるのです。「自分がこの時代に生きていたら、自分も信仰のために、信仰を守って殉教することが出来ただろうか。それとも信仰を捨ててしまっただろうか」。その時に神様の声を聞くのです。「わたしはお前をあの時に生まれさせていない。今この時代に生まれさせたのだ」。彼は思いました。「それでは不公正ではないですか。あの時代の人は命をかけました。私は命をかけていません」。そうしたら、また神様の声がありました。「わたしに従って来るのはあの時も今も同じだけ難しいのだ。わたしに信頼する人だけが出来るのだよ」。彼は「普段の信仰生活の中で、自分がいかに、主に信頼し、主に喜ばれる生き方をすることを疎かにしているか」、それを考えさせられるのです。
私達も、嬉しいこと、辛いこと、悩むこと、不安なこと、色々なことのある、その普段の生活の中で、主に信頼し、主に身を預け、そのようにして、自分の道で主に従って行きたいと願うのです。
 

3:最後に

 ヨハネは「福音書」の最後に書きました。「イエスが行なわれたことは、ほかにもたくさんあるが、もしそれらをいちいち書きしるすなら、世界も、書かれた書物を入れることができまい、と私は思う」(25)。ちょっと大げさな感じがしないでもありません。ユダヤ的な誇張表現かも知れません。しかし、私はこう思うのです。確かに「イエスの行われたこと」には、ここに記されていない多くのことがあったはずです。しかし「イエスが行われたことは…たくさんある」(25)という言葉は、それ以上のことを意味していると思うのです。イエス様は、聖霊なる神様として私達と共におられるのです。私達の人生のそれぞれの場面において、イエスは生きて働いて下さり、色々な出来事を与え、出会いを与え、私達を神様の豊かな救いへと導いて下さっています。これまで私達がイエス様について知っていることは、ほんの一部です。私達は、これからもイエス様を経験するのです。そしてこの言葉は、「これからあなたがたが経験するイエス様の物語は、書き始めればきりがないのだよ」と、私達がこれからイエス様に従って生きる、その中で私達は、豊かなイエス様の御業を経験して行くのだ、ということを示唆しているのではないでしょうか。私達は「あなたは、わたしに従いなさい」(22)と呼びかけられています。その召しをしっかりと受け止めて、それぞれ置かれている状況の中で、主に従う信仰の生活を造って行きたいと願います。
 

聖書箇所:ヨハネ福音書21章15~19節

 ある教会の牧師が仕事で一か月の出張旅行に出かけることになりました。教会の役員も同行していました。牧師は教会を留守にするので、教会のことが心配でなりません。同行の役員に言いました。「私が一か月も留守をすれば、私達の教会はどうなってしまうのでしょうか」。役員は言いました。「それで教会の問題が解決します」。牧師が教会の一番の問題だったのです。私も自分を戒めている話です。
今日の箇所は「牧師就任式」で良く読まれる箇所です。それでこの話を思い出したのですが、ヨハネがこの「福音書」を書いた紀元90年頃、ペテロのことを実際に知っている人々は少なくなっていました。そんな中で「裏切り者の代名詞のように言われたペテロが、なぜ、教会のリーダーとして用いられ、あのような大きな働きをしたのか」、ヨハネは、それを書き残す必要を感じてこの箇所を書いたのではないかと思います。その中心的な出来事は、イエス様がペテロを教会の牧会者として任命されたということです。しかし、この記事が「牧会者としての任命」の記事であったとしても、牧師だけに関係のあることではありません。メノナイト教会は「牧会と伝道はすべての教会員の責任」「全ての会員がお互いの牧会者」という立場を取ります。ですから私達全てに語られている箇所です。それだけでなく、この箇所は「私達が信仰の生涯を深く生きるために何が大切なのか」、そういうことも教えてくれる箇所です。2つに分けてお話します。
 

1:信仰の生涯を深く生きるために大切なこと~主イエスへの愛

イエス様がペテロを召される時、その資質、条件として問われたのは、「あなたは…わたしを愛しますか」(15)ということでした。「わたしを信じるか」ではなかった、「愛するか」だったのです。しかも「この人たち(が愛する)以上に」(15)と際立った「愛」を求めておられます。なぜ牧会者として任命するために、イエス様への「信仰」ではなく「愛」を求められたのでしょうか。「信じること」と「愛すること」とは違うのでしょうか。
もちろん「信じることは愛すること」という面もあるでしょう。しかし、人間関係においても、「信じること」と「愛すること」とは、やはり少し違うと思います。私はある時期、ご高齢の姉妹と一緒に車で教会に行き帰りしていたことがあります。車の中で色々なことをお話ししましたが、半分以上は息子さんのお話でした。ある時、こう言われました。「親は子供のためには何でもするのよね」。「愛する者のためには、どんな犠牲も覚悟するのだ」ということでしょう。「愛する」とは「その人のために犠牲をも覚悟する」ということではないでしょうか。これからペテロに与えられる役割は厳しかったのです。彼は教会の礎となって行くのです。その働きは犠牲の伴うものでした。その働きを引き受けるためには、イエス様に対する愛を必要としたのです。ある教会の「40周年記念礼拝」で語られたメッセージです。「40年間、この教会が生きて来たということは、40年間、いつも誰かが苦しみ続けて来た、ということです。これから生きていくということも、たぶん同じことを意味するでしょう」。教会の祝福された歩みも、いつも誰かの犠牲に支えられているのだと思います。あるいは、誰もが何らかの犠牲を払っているかも知れません。しかし、そうであっても、その私達を尚も教会に向かわせるものは何でしょうか。それはイエス様に対する愛ではないでしょうか。ある教会の指導者が言ったそうです。「我々の集会に欠けているのは愛だ。信仰はある、でも愛が欠けている」。色々な思いがあったのでしょう。でもそれが「イエス様への愛が足りない」ということであるなら、聞くべき言葉だと思います。また私が準備のために読んだ説教には、こんな言葉もありました。「私達の信仰生活に問題があったとしたら、その原因は『自分は信じているが、まだ真実にイエスを愛し切っていない』ところにある」。だからイエス様は、ペテロに「わたしを愛するか」と聞かれたのだと思います。そして私達にも聞かれていると思います。「あなたはわたしを愛するか」。私達は今朝、この礼拝を通してイエス様に喜ばれる応答をしたいと願うのです。
 

2:主イエスを愛する愛を支えるもの

1)悔い改め
しかし、愛することは難しいことです。イエス様を愛することもきっと難しいことでしょう。しかし、私達のイエス様への愛を支えるものがあります。その1つは「悔い改め」です。
イエス様はペテロに「わたしを愛するか」と3度聞かれます。なぜ3度も問われたのか。言うまでもなく、十字架の時、ペテロが「あなたもイエスの仲間だ」と言われ、3度「イエスなんか知らない」と言ったことと関係があります。イエス様が一番苦しい時に、イエス様への愛を否定した、いやイエス様への愛など無かったことが露呈したのです。しかし、そのペテロの裏切りに対して、復活されたイエス様は、まるで裏切りなどなかったかのように、誰よりも先にペテロに現れて下さったのです。何と大きな慰め、癒しだったでしょうか。そして、ここでイエス様がペテロに3度問われたのは、3度裏切ったというその罪責感の1つ1つを拭い去り、彼を立たせるためではなかったかと思うのです。
どこかでお聞きになったことがあるかも知れませんが、この「愛する」という言葉は、ギリシャ語原文では「絶対的な愛、神の愛を表現する『アガペー』という言葉の動詞形」と、「人間的な愛(友情のような愛)を表現する『フィーリア』という言葉の動詞形」が使い分けられています。イエス様は最初に「アガペー(の愛)で愛するか」と聞かれ、それに対してペテロは「フィーリア(の愛)で愛することを御存知です」と答えます。2回目も同じです。3回目、イエスは「(それでは)フィーリア(の愛)で愛するか」と聞かれ、ペテロは「フィーリア(の愛)で愛することを御存知です」と答えました。実際イエス様とペテロの対話はアラム語で為されました。アラム語にギリシャ語のような使い分けがあるのかどうか知りません。しかし、もし「ヨハネ福音書」が2つの単語の使い分けによって何かを伝えようとしているのであれば、イエスは「あなたは絶対的な愛でわたしを愛するか」と聞かれ、ペテロは「私はあなたを愛します。しかしあなたも知っている通り、私はあなたを裏切って、見捨てて逃げてしまいました。でもあなたに赦され、愛され、ここにこうしているのです。私はそのような者です。私の愛はそのような弱い愛です。でもその愛で精一杯あなたを愛します」、そう答えたことになります。その時、ペテロの中では何が起こっているのでしょうか。17節に「ペテロは、イエスが三度『あなたはわたしを愛しますか』と言われたので、心を痛めてイエスに言った…」(17)とあります。なぜ彼は心を痛めたのか。3度聞かれることによって、自分が3度、イエス様を裏切ったことを思わずにいられなかったからです。
しかし、そこで何が起こったのか。自分の罪を思うと同時に「こんな者を何事もなかったかのように赦し、尚もキリストの教会の牧会者として任命しようとされる」、そのイエス様の愛と赦しに触れ、彼の中で悔い改めが起こっているのではないでしょうか。悔い改めるとは、後悔することではありません。後悔するとは、だんだんと下を向くことです。悔い改めは、そうではありません。悔い改めは、神の方にしっかりと向き直ることです。ペテロは、自らの罪の痛みを感じるが故に、その彼を立たせようとされるイエス様の方をしっかりと向き直る、そのプロセスを経験しているのです。それは、痛みと悲しみの伴ったものです。だから簡単に「ハイ、私はあなたを愛します」とは言えない。でも、それだけに、そこには真実があります。そしてその痛み、悲しみ、罪が赦された感謝、それこそイエス様を愛する愛に繋がっているのです。それが「私の愛は弱い愛です。でもその愛で精一杯あなたを愛します」という言葉です。そしてそれが真実なものだったから、3回目にイエスは「その愛で良い、その愛で私を愛するか」と聞いて下さったのです。ペテロが絞り出すようにして「弱い愛ですが…精一杯あなたを愛します」と言った時、「あなたの3回の裏切りは全て拭い去れた。あなたの愛は新しくされた。安心して立ち上がれ」と言うがごとく「わたしを愛するその『新しい愛』で、わたしの羊を飼いなさい、わたしの羊を愛しなさい、(わたしの教会の牧会者としてあなたを任命する)」と言って下さったのです。
ここだけではない、イエス様は「最も大切な戒め」として、「『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ』。これがたいせつな第一の戒めです。『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ』という第二の戒めも、それと同じようにたいせつです。律法全体と預言者とが、この二つの戒めにかかっているのです」(マタイ22:37~40)と教えられました。私達も、神様を、イエス様を愛するように期待されているのです。その愛はどこから出て来るのでしょうか。私達の愛も、自らの罪に対する痛みと悲しみを伴った悔い改め、そしてその全てが赦され、こんな者が神の子とされた感謝、そこから出て来るのではないでしょうか。それは、信仰を持つ時だけの話ではありません。カナダで会堂を借りるためにあちこちの教会を訪ね、沢山の牧師とお会いました。何人かの牧師が同じことを言われました。「私は沢山の失敗をして来た、でも赦されて今がある」。私達の過ちは、信仰者として歩む中で続いて行きます。私もそうです。イエス様を悲しませることも多いです。だから「私の愛は弱いです、何度も、何度も躓く愛です」としか言えません。しかしイエス様は、それを「良し」として下さり、「その愛で良い、その愛で精一杯愛せば良い」と言って下さるのです。そして、イエス様は3回のペテロの失敗を拭い取って下さいましたが、それは何回であっても同じでしょう。私達は、自分で自分を判断して「お前はダメだ」と思うことがあります。しかしイエス様の愛と赦しは、ペテロの思いを遥かに超えたものだったのです。イエス様の愛と赦しは、私達を諦めないのです。だから私達が、罪多く、失敗多く、情けない生き方しか出来なくても、イエスの愛と赦しに信頼して、「こんな弱い愛です。でも私はあなたを愛します」と、何度でも立ち上がれば良いのです。
イエス様は言われました。「少ししか赦されない者は、少ししか愛しません」(ルカ7:48)。私達も、赦されてあるからこそ、自らの罪を見つめたいのです、そして悔い改めたいのです。そこから私達に、イエス様を愛する愛が生まれ、さらにお互いの牧会者になって行く道が開かれるのです。
 

2イエスご自身

 イエス様は、イエス様への愛を絞り出すように告白したペテロの告白を受け入れ、そして教会の牧会者と任命されました。そしてその時、ペテロに覚悟を求められました。「あなたは若かった時には、自分で帯を締めて、自分の歩きたい所を歩きました。しかし年をとると、あなたは自分の手を伸ばし、ほかの人があなたに帯をさせて、あなたの行きたくない所に連れて行きます」(21:18)。「手を伸ばし」というのは十字架を示す言葉です。申し上げたように、ペテロは教会の土台を据え、大きな働きをしました。それだけに、彼が引き受けた犠牲も大きかったのです。実際、紀元64年頃、ネロ帝によるクリスチャン迫害下、「逆さ十字架」につけられ殉教して行ったと言われます。命がけで教会を造るのです、イエス様から託された使命を全うするのです、イエス様への愛に生き抜くことが出来たのです。
ペテロの愛を支えたもの。それは、1つには、イエス様に対する悔い改め、そして感謝があったと思います。また主の復活によって与えられた天の御国への希望もあったでしょう。しかし、ペテロの愛を支えたのは、彼の側の意志とか、力だけではなかったと思います。「クォ・ヴァディス」という歴史小説の話ですが…。ローマのクリスチャンに対する迫害が熾烈を極めた時、クリスチャン達はペテロを逃がします。ペテロは街道を逃げます。ところが彼は、向こうからローマに向かって近づいて来る太陽の輝きに似た復活のイエス様に出会います。ペテロはイエス様の足を抱くようにして言います。「主よ。どこにおいでになるのですか」。イエスは言われます。「あなたが私の民を捨てる時、私は再び十字架にかけられるためにローマに行く」。ペテロは起き上がると、きびすを返してローマに向かって歩き始めます。そしてローマに帰り、皆を励まし、使命を全うして殉教して行くのです。そのようにイエス様の導きがあって、彼は最後まで、イエス様を愛する愛に、イエス様の使命に生きるのです。
 私達は、イエス様の姿を見たり、声を聞いたりすることはないかも知れません。しかし、私達もイエス様を愛する愛を、イエス様から頂けるのです。私は良く、アーミッシュの赦しの話をします。2006年10月2日、アメリカ・ペンシルベニア州にあるアーミッシュの村の学校に、近所に住む男が猟銃を持って乱入して、5人の子供を殺して、自分も自殺しました。それから数日後、人々がその惨劇以上に衝撃を受けるニュースが流れて来ました。アーミッシュの人達は、事件の6時間後には、犯人の妻の所へ行き―(そこに父親もいましたが)―押し寄せる悲しみを振り払ってこう言ったのです。「私達は彼を赦します。あなた方も家族を亡くしました。悲しみを分かち合いましょう」。最近、映画を見たのですが、映画の中で最も感動的な場面は、墓地で犯人の葬儀が寂しく行われていた時、丘の向こうから喪服を着た大勢のアーミッシュの人達がやって来る場面です。葬儀を報道していたテレビ局のスタッフが「やっぱり来た。何という人達だ」という顔をしている。その前でアーミッシュの人達は、犯人の妻を労わりながら静かに葬儀に参列するのです。暴力に対して憎しみで応えるのではなくて、「赦しと愛」で応えたのです。このことに全米が驚きました。なぜ彼らがそういうことをしたのか。イエス様は言われました。「わたしの戒めを保ち、それを守る人は、わたしを愛する人です」(ヨハネ14:21)。彼らはイエス様を愛したのです。だから、イエス様の御言葉に従ったのです。イエス様は「私たちの負いめをお赦しください。私たちも、私たちに負いめのある人たちを赦しました」(マタイ6:12)という祈りを教えて下さり、そう生きるように教えられました。彼らは、日々その祈りを祈り、その通り生きたのです。その彼らを、イエス様が御言葉を通して支え、聖霊が支えられたのです。私達にも、イエス様を愛する愛を、イエス様ご自身が御言葉を通して下さるのです。イエス様ご自身が、支え、導いて下さるのです。
 

3:終わりに

「あなたはわたしを愛するか」。今日、私達も「こんな弱い愛ですが、でも精一杯あなたを愛します」と言いたいのです。その時、イエス様は言って下さいます。「私を愛するなら、あなたの歩みにどんな困難があっても、あなたは私の助けによって、あなたの前に置かれている旅を成し遂げることができます」。
 

聖書箇所:ヨハネ福音書21章1~14節

1986年のことです。ガリラヤ湖の水位が物凄く下がったことがありました。その時、ガリラヤ湖の北西部の底の泥の中から1隻の舟が見つかりました。掘り返して詳しく調べたところ、何とイエス様と同時代の漁船だと分かりました。それで、それは「ジーザス・ボート」として知られるようになりました。長さ約8m、幅約2m、高さ約1mという舟です。今もイスラエルの博物館には「掘り出された本物の舟」と「それを基に再現された舟」が展示してあります。今日の箇所でペテロ達が乗った舟も、この同じ型の舟だと思われます。イエス様の時代を身近に感じることです。
「マタイ福音書28章」によると復活のイエス様は、墓にやって来た女達に言われました。「わたしの兄弟たちに、ガリラヤに行くように言いなさい。そこでわたしに会えるのです」(マタイ28:10)。弟子達はその言葉に従ってガリラヤに来たのです。そしてこの出来事を経験するのです。この出来事は一言で言うと「弟子達がガリラヤ湖で漁をしたら、イエス様のおかげで153匹の魚が捕れて、その後、イエス様と一緒に、イエス様が準備して下さった食事をした」という話です。ヨハネはこの記事を通して、「復活のイエスは、我々に食事の準備までして一緒に食事をして下さったのだ。イエスの復活はそういう確かな事実なのだ」ということを伝えたかったのだと思います。「153匹」という数字も、昔から色々と議論されて来ましたが、漁師は獲れた魚を分けるために魚の数を数えたのです。実際、数えたら「153匹」だったのです。ヨハネは、この出来事の具体性、現実性を伝えるために「153」という数字を書いたのだと思います。しかしヨハネが教えようとすることは、それだけではありません。この記事は、信仰生活の原点に帰ることの大切さを教えます。3つのことをお話しします。
 

1:初めの愛に帰る

「ヨハネ黙示録2章4節」に「あなたは初めの愛から離れてしまった」(黙示2:4)とあります。「初めの愛に帰りなさい」ということです。一晩中漁をしたけれど、何も獲れなかったのです。しかしイエスは「舟の右側に網をおろしなさい。そうすれば、とれます」(6)と言われました。これと同じことが以前にもありました。「ルカ福音書5章」、ペトロが最初の召命を受けた時のことです。夜通し漁をして、何もとれなかったペトロに、イエス様は、人々に湖の上から話をするので舟を出してくれるよう頼まれました。イエス様は話し終えると、ペトロに「深みに漕ぎ出して、網をおろして魚をとりなさい」(ルカ5:4)と言われます。夜通しやっても何もとれなかったのです。「でもおことばどおり、網をおろしてみましょう」(ルカ5:5)とペトロが網を降ろしてみると、沢山の魚で網が破れそうになりました。ペトロは驚いて「主よ。私のような者から離れてください。私は、罪深い人間ですから」(ルカ5:8)と言いました。しかし、そのペトロに向かってイエス様は「こわがらなくてもよい。これから後、あなたは人間をとるようになるのです」(ルカ5:10)と言われたのです。イエス様からの召命の瞬間でした。21章のこの時も、網を打ってみると、魚が多くて網を引き上げることが出来なかったのです。力を入れて網を引き上げる度に、ペトロには「あの時と同じだ」という感覚が甦って来たはずです。ペトロは、イエス様に最初に召された時のことを改めて思い起こしたのではないでしょうか。場所も同じ、状況も同じです。ペテロは、復活のイエス様から改めて召命を受け取ったのではないでしょうか。
 なぜ、ガリラヤに行くように言われたのか、その答えがここにあります。原点に返るということです。ペトロ達は、ガリラヤでイエス様と出会い、召されてイエス様と生活し、エルサレムにまで行ったのです。イエス様は、エルサレムで十字架に架けられて死んでしまわれました。全てが終わった、と思ったのです。しかし終わりではなかった。復活されたイエスが、あの最初に出会った場所で、同じ奇跡をもってペテロ達に出会って下さったのです。これから自分達は、人間をとる漁師として旅をして行く。その時、復活のイエス様が共にいて下さる。そのことをペトロは受け取ったのではないでしょうか。ペトロは「主です」(7)と聞くと、上着をまとって湖に飛び込みました。舟で岸に向かっても岸まで90m、時間は変わらないのです。しかもイエス様の前に出るからと、上着を着て飛びんだ。ユーモラスというか、もっと言うと、間の抜けた行為です。しかし、これはイエス様に対する熱い思いによって突き動かされた行為です。ペテロは、原点を思い出すことによって力を得ているのです。この箇所は、それを教えているのです。
私達の信仰の歩みにおいても、「初めの愛に帰る」ということはとても大切だと思います。私共は信仰者として歩んでいく中で色々な信仰の経験をして行きます。聖書の知識も身に付けます。しかしイエス様との出会い、洗礼を受けた頃の生き生きとしたイエス様との交わりの感覚、それは決して失われてはならないものだと思います。ある先生の教会に、1人の老人が訪ねて来ました。話を聞いたら、その方はその教会で60年前に洗礼を受け、熱心に教会に集い、教会で出会った女性と結婚し、その後、仕事の都合で遠くに引っ越した方でした。奥さんを10年前に天に送り、その後、どうしても自分が洗礼を受けた教会に行ってみたくなって、息子に頼んで訪ねて来たということでした。老人は次の日曜日の礼拝に来て、60年前、洗礼を受けた時の話を涙ながらに証ししたそうです。牧師は言っておられます。「クリスチャンは、自分が洗礼を受けた教会のことを忘れることはない。そこで神に触れてもらった、それが『初めの愛』だと思います。その原点を思い出すと、それは今の困難を乗り越える力になるのです」。「AD」という映画では、後に牢に捕らえられたペテロが、イエス様に祈るのです。「主よ。あなたは私に『ペテロ(岩)』という名前を下さいました…私は、教会の岩になります」。そうしている内に、神の御手によって牢から救出されるのです。彼はその後も、イエス様との出会いを思い出しながら、困難な状況を何度も乗り越えて行ったはずです。
私達も同じではないでしょうか。信仰に迷う時があります。試練の中で揺すぶられることがあります。神を遠くに感じることもあります。その時、「初めの愛」、洗礼を受けた時というだけでなく、確かに神を経験した出来事、信仰を確かにされた経験、神に出会ったその時を思い出すことは、今の困難を乗り越える力です。それが私達を支えて行くのです、私達の信仰生活を導いて行く力になるのです。皆さんは、どのようにイエス様と出会われましたか。その「初めの愛」に帰りましょう。
 

2:神の恵みに帰る

 イエス様と出会う前、弟子達は、いつイエス様が現れるのか分からなかったのです。「ガリラヤに行け」と言われて、来てはみたものの、結局もう会えないかも知れないという思いもあったかも知れません。もしそうなったら、これからどうすれば良いのか分からないのです。さらに彼らには「自分達は失敗をした、信仰も弱かった、力もなかった、卑怯だった」という思いも依然としてあったはずです。ですからイエス様の復活に対して、一方では希望を持ちながら、一方ではこれからの歩みに対する不安、戸惑い、そのようなものに苛まれていたのではないでしょうか。彼らが漁に出たのは、そんな彼らの落ち着かない、不安な心の現れだったと思います。しかし、彼らが再びイエス様に出会ったのはそういう時だったのです。
 同じことが私達の信仰生活にも言えるのではないでしょうか。申し上げたように、信仰生活には、時には「イエス様は私のこの困難な状況を知っておられるのか、神は私の祈りを聞いておられるのか、私に関わって下さるのか、最善を為して下さるのか」、そういう思いを持つこともあるのではないでしょうか。しかしこの箇所は教えます。そういう時が、私達がイエス様に出会い直す時なのです。物事が上手く行っている時、恐らく私達は本気になって神を待ち望むことをしないのではないでしょうか。
この時、弟子達は不安でした。しかし不安だったから、イエス様が御自身を現して下さるのを待ったのです。その待ち望んでいる時に、イエス様の声を聞いたのです。そしてイエス様に導かれて、状況が変えられて行くのを経験して、イエス様が自分達を見ていて下さり、関わって下さる方だということを改めて確認するのです 
そして、この箇所には食べ物についての記述が沢山あります。5節「イエスは彼らに言われた。『子どもたちよ。食べる物がありませんね』」(5)、9節「そこに炭火とその上に載せた魚と、パンがあるのを見た」(9)、12節「イエスは彼らに言われた。『さあ来て、朝の食事をしなさい』」(12)、13節「イエスは来て、パンを取り、彼らにお与えになった。また、魚も同じようにされた」(13)。ここにもヨハネのメッセージが―(イエス様のメッセージが)―込められていると思います。イエス様は6章の「5000人の給食」の記事でも、パンを与え、魚をお与えになりました。そしてその後、こう言われました。「わたしは、天から下って来た生けるパンです。だれでもこのパンを食べるなら、永遠に生きます」(6:51)。イエス様を信じることは、永遠の命を与えられることですが、これらの言葉は、それだけでなく、「イエス様を信じ、待ち望む者には、イエス様は現実の満たしも与えて下さる」ということを語ろうとしていると思います。弟子達は、イエス様にもてなしてもらったのです。言葉を換えると、イエス様に励ましを、助けを頂いたのです。ここでは、弟子達は7人です。「7」という数字は「完全数」と言われます。つまり、この弟子達から始まるイエス様を信じる全ての人々の象徴です。この個所は、その人々に、イエス様は、具体的な満たし、助けを与えて下さる、というメッセージを語るのではないでしょうか。
私達にやって来る不安、戸惑い、困難、それらは、ある意味で私達が神様に出会い直すチャンスの時なのではないでしょうか。それは、そのような時こそ、私達は、必死に祈るし、神を必死に待ち望むという意味でそうです。つまり、そこで、私達は、神に、神の恵みに帰ることをするのです。するべきです。その時にきっと、神様の働きを、イエス様の励ましを、助けを、もてなしを経験するのです。そして、そこで神と出会い直す経験が、その後の私達の信仰生活を支え、導いて行くのです。それが「マイナスがプラスになる」ということの1つの形ではないかと思います。困難を通らされる時、解決の道は神様に信頼し、神の恵みに帰ることです。
 

3:使命の原点に帰る

 初めにも並行個所を引用しましたが、イエス様が甦られた時、天使も言いました。「イエスは、あなたがたより先にガリラヤへ行かれます。前に言われたとおり、そこでお会いできます」(マルコ16:7)。「ガリラヤへ行け、そこでお会い出来るだろう」。ガリラヤ、それは弟子達がイエス様に召された地であり、イエス様と共に神の国の福音を宣べ伝えて巡り歩いた地です。つまり「ガリラヤへ行け」、それは「宣教の原点、現場に帰りなさい。そこであなた方は、復活の主にお会い出来るだろう」ということです。しかし、彼らの宣教の働きは、決して易しいものではなかったのです。
 3節に「彼らは出かけて、小舟に乗り込んだ。しかし、その夜は何もとれなかった」(3)とあります。何を象徴しているかということ、それは宣教の難しさ、困難さ、私達に当てはめれば、ある人のために祈っても、祈っても、色々手を尽くしてみても、なかなか教会に来てもらえない、信じてもらえない、その空しさ、難しさ、そういうものを象徴していると思うのです。そして私達は、いつか諦めてしまうのです。
 しかし、ここに励ましがあります。その弟子達が、イエス様の助けを得て、網一杯の魚を得るのです。ある本に、こんな励ましの言葉がありました。「『主イエスは彼らに語り終ってから、天にあげられ、神の右にすわられた。弟子たちは出て行って、至る所で福音を宣べ伝えた。主も彼らと共に働き、御言に伴うしるしをもって、その確かなことをお示しになった』(マルコ16:19~20)。弟子たちは出て行って、ひたすらがんばる、というのではありません。主イエスもその弟子たちと共に働かれる、というのです。弟子たちの語るメッセージの『確かさ』を示して下さる、というのです…弟子たちがうまく語るからメッセージが伝わるのではありません。主が、弟子たちの拙いことばに『しるし』を伴わせてくださり、確証してくださるから福音は伝わるのです…主に確証していただくことにおいて、教会(信仰者)は、たえず新たに主イエスを見いだし、主に出会い、生かされていくのです」(小島誠志)。私達が証しに生きる時、イエス様が助けて下さるのです。先日お送りしたレターに書いた話ですが…。Nさんは、信仰を持った頃は、熱心にご家族の救いのために祈っておられたのですが、どうにも難しい、それでいつしか諦めておられました。お兄さんは、統合失調症で50年間、入院しておられましたが、ある時、お兄さんの身の回りのお世話をしておられたお父さんがケガをして、お父さんからお兄さんの世話を頼まるのです。Nさんがお兄さんのお世話をするために病院に通うようになってから、神様の業が始まるのです。お兄さんに「天国に行きたい?」と聞ける状況が不思議と与えられ、するとお兄さんが「行きたい」と答えたのです。すぐに、牧師に来てもらい、お兄さんを導いてもらい、お兄さんは、そこで信仰告白に至り、洗礼まで受けるのです。しばらくしてお兄さんは召天されるのですが、今度はそのことを聞いたお父さんが―(お父さんがキリスト教の信仰を持つ等、とても考えられなかったのですが)―「天国であの子に会いたい」と言って、信仰を告白して、洗礼を受けるのです。しみじみと「私は諦めていたのに、神様は諦めておられなかった」と語っておられました。「キリスト教は、あり得ないことが、あり得る世界である」とも言われました。神様を経験されたのです。
 その時に大切なことは、イエス様の御言葉なのだと思います。弟子達は、イエス様の言葉に従った時、祝福を経験するのです。私達も、御言葉に本気で踏み出す時、私達の第一の使命である伝道(証し)においても、不思議を経験するのではないでしょうか。私達は、家族に、親しい人に、天国に行って欲しいです。天国で一緒に喜びたいです。御言葉に聞きながら、私達の「ガリラヤ(宣教の現場)」に帰りたいと願います。
 

4:終わりに

 イエス様と初めて出会った時、ペテロは「私は罪深い人間ですから私から離れて下さい」と言いました。でも今回はイエス様に向かって泳いだのです。十字架と復活によって、罪深い者に聖い神の力が働くことを恐れなくて良い時代が始まったのです。私達も、神が関わって下さることを期待し、喜ぶことの出来る時代に生きているのです。だからこそ、信仰生活の原点に帰りましょう。そして祝福の信仰生活を歩んで行きましょう。