2023年9月 佐土原教会礼拝説教

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聖書箇所:マタイ福音書5章17~20節 

「福音書」の律法学者は、今はどうなっているのか疑問に思っていたのですが、最近、19世紀のあるユダヤ人の学者のお父さんが「律法学者だった」と書いてある記事をインターネットで見つけて、「律法学者」という言葉が現代まで生きていたのだなと思ったことでした。
今朝は、いきなり内容に入ります。「山上の説教」は106節に亘る長い説教です。しかしイエスはこの説教を、ある時、一度に為さったのではなく、色々な機会に為さった教えを、マタイがここにまとめて提示したのだろうと言われます。なぜそうしたのか。初代教会の中に「もう律法の時代は終わったのだ。今は、そんなことは気にせずに自由に生きて良いのだ。信仰が大切なのだから、生活のあり方のことまでやかましく言うな」、そういうキリスト者が現れたらしいのです。マタイは「それは間違いだ」と言いたかったのです。キリスト者は、ただで天の御国を与えて下さった神の恵みに応答して行くのです。感謝があるからイエス様の言葉に応答して行くのです。そして、そのことを通して私達自身が「神の民」として育てられて行くのです。私達は育てられて行かなければならない。それが天に向かう地上の巡礼の旅の目的です。CSルイスは言いました。「今の世において、神の御心に従う生き方、神の御心に適う行いをした時にだけ身につけることができるような品性を、少なくてもそのような品性の芽を持っていなければ、来るべき世がどんなに素晴らしい環境であっても、私達は、神が備えられた深い、強烈な幸福を十分に味わうことができないだろう」。私達は、主に喜ばれるように成長して行くべきだと思います。それが本当に自由になる秘訣かも知れません。その意味でマタイは、今朝の個所も、ここに置いたのでしょう。今朝の個所は「新共同訳」が「律法について」と小見出しをつけている箇所ですが、「『旧約律法』と私達の関係」についても1つの理解を与える意義深い箇所です。3つのことを申し上げます。
 

1:「律法」について

 イエスは「わたしが来たのは律法や預言者を廃棄するためだと思ってはなりません。廃棄するためにではなく、成就するために来たのです」(17)と言われました。そもそも「律法」とはどのようなものなのでしょうか。
これは北米の福音派の学者から学んだことですが…。「旧約の律法―(『モーセ五書』)―は何のために与えられたのか。どのような役割を果たしたのか」。「旧約の律法」は、紀元前1400年頃、イスラエルがエジプトから脱出する「出エジプト」において与えられます。エジプトから脱出するまでイスラエルは何世代にも亘って奴隷でした。奴隷根性に縛り付けられていたのです。長年、奴隷のような状態に置かれていた人を見た人から聞いた話です。その人達は、誰かが手を振り上げるだけで、反射的にぶたれないように両手で頭を抱えて屈んだというのです。そうせざるを得ない暮らしをして来たのです。イスラエルもそうだった、奴隷だったのです。その彼らを、奴隷から「神の民」に変えて行くのが「旧約聖書の律法」だったのです。その意味で「律法」は、彼らが「神の民」として立つことが出来るように、神が与えて下さった「ギフト(良き物)」でした。そして実際に彼らは、律法に習い従うことによって「神の民」に育てられて行く、「神の民」に成って行くのです。神が与えた「律法」とは、そのように良いものだったのです。「預言者」と言われる書物も、神を離れて堕落しようとする民を「神の民」として守り、導き、その歩む道を整えようとする言葉です。「神の民」を導くためのギフトなのです。だから「詩篇」の詩人も「律法」を喜んでいますし、私達が「旧約律法」を読んでも、心のどこかが癒されるような思いになります。
しかし、イエス様が活動された当時、「律法」という時には4つの意味がありました。1つは「十戒」です。2番目に「モーセ五書―(創世記、出エジプト記、レビ記、民数記、申命記の5つの本)」です。3番目に「旧約聖書全体」を指して「律法」と呼んだ。しかし4番目に「聖書には書かれていない、口頭で伝えられて来た教え」を「律法」と呼びました。律法学者が決めた決まり―(「律法」の細則等)―です。そして律法学者やパリサイ人が「律法」という場合には、4番目の「決まり」を指して言う場合が多かったのです。この後の箇所で、イエスが言われます。「『自分の隣人を愛し、自分の敵を憎め』と言われたのをあなたがたは聞いています」(マタイ5:43)。「聞いています」とある通り、パリサイ人や律法学者が「自分の隣人を愛し、自分の敵を憎め」と口頭で教えていたのです。ところが「旧約聖書」のどこにも「敵を憎め」という言葉は無い。彼らが勝手に作った「決まり」なのです。イスラエルは何度も外国から占領されました。人々には「外国の隣人を愛する」というより「外国人を憎む」という感情の方がぴったり来るのです。だから「隣人を愛しなさい」という神の教えに、「自分の敵は憎め」という教えを付け足して「決まり」を作ったのです。しかしそうすることによって「隣人を愛しなさい」、「愛に生きなさい」という神の意図を無視するわけです。だからイエスは、21節以降で「しかし私は言います…」と、人間が作った「決まり」の誤りを指摘して、神が「律法」を与えたその本質に、神の意図に、目を向けさせようとされたのです。いずれにしも、本来「律法」とは、律法学者の「決まり」ではありません。「旧約聖書」にある「神が与えた戒め」であり、様々な「教え」です。それは、人々を良く育てるものでした。そんな中で、イエス様が「わたしは律法や預言者を成就するために来た」とは、どういうことでしょうか。
イエス様は、ある時、「律法」の専門家から質問を受けます。「先生。律法の中で、たいせつな戒めはどれですか」(マタイ22:37)。イエスは答えられます。「『心を尽くし、思いを尽くし、知力を尽くして、あなたの神である主を愛せよ』…これがたいせつな第一の戒めです。『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ』という第二の戒めも…同じようにたいせつです」(マタイ22:37~39)。「律法」の一番大切な精神は、神を愛し、人を愛することなのです。「創世記26:5」にこうあります。「これはアブラハムがわたしの声に聞き従い、わたしの戒めと命令とおきてとおしえを守ったからである」(創世記26:5)。これは「『律法』を守った」ということが言われているのです。しかしアブラハムの時代には、また「律法」は与えられていないのです。しかし、信仰に生き、神を愛して生きたアブラハムを、「『律法』を守った」と褒めておられるのです。つまり、神を愛すること、愛に生きること、それが何より大切な「律法」の精神だということです。イエス様は、この地上に愛すること、それを持って来て下さったのです。神を愛すること、人を愛すること、それを持って来て下さり、人々に教え、ご自身も神への愛、人への愛に生き抜かれ、そのようにして「神の『律法』」を完成された、成就されたのです。(もちろん、「旧約」の「救い主の到来の約束」を成就されたということもありますが…)。使徒パウロは後に言いました。「愛は律法を全うします」(ローマ13:10)。パリサイ人や律法学者が一生懸命だった「律法」は、神の口から出た戒めではなかったし、神を愛し、人を愛し、人を生かすものではなかったのです。
 

2:律法を守ることについて

 次にイエスは言われました。「戒めのうち最も小さいものの一つでも、これを破ったり、また破るように人に教えたりする者は、天の御国で、最も小さい者と呼ばれます。しかし、それを守り、また守るように教える者は、天の御国で、偉大な者と呼ばれます」(5:19)。聖書を読むと、イエス様は、「律法」に対して自由に振舞っておられます。例えばイエス様は、安息日に自由に病人を癒されました。それで指導者達の反感を買うのです。しかし、イエス様が「無視」されたのは、申し上げたような人間が作った決まりです。「聖書」にある神が与えられた戒めには、きちんと従われたのです。では「聖書」には、613の戒めがあると言われます。(「しなければならないこと」が248、「してはならないこと」が365です)。イエス様は、私達にも「それをしっかり守れ」と言われるのでしょうか。
これも北米の福音派の学者から学んだことですが…。「旧約の律法」には3つの法があります。「古代イスラエル市民法、古代イスラエル儀式法、道徳法」の3つです。その学者は言います。「新約のキリスト者にとって、旧約の律法は、それが新約聖書に更新されているものでなければ、それはクリスチャンを縛らない」。「イスラエル市民法、イスラエルの儀式法、道徳法」の中で、明らかに「新約聖書」の中に更新されているのは「道徳法」です。どのような形で更新されているかというと、イエスが「山上の説教」を通して「律法」の本来の意味をより深く提示して下さったのです。イエスは、この後で「…とあなたがたは聞いています。しかし、わたしはあなたがたに言います…」(マタイ5:21~22)と、「山上の説教」の中に「旧約律法」の本質を更新して行かれます。ですから19節で「戒めのうち最も小さいものの一つでも…それを守り、また守るように教える者は、天の御国で、偉大な者と呼ばれます」(5:19)と言われる時、私達は「山上の説教」に代表される「新約の教え」を考えれば良い、「山上の説教」に向かえば良いのです。{「旧約聖書(旧約律法)」が、オリジナルとして大事であることは依然変わりません。ただ私達には更新された「律法」―(「新約聖書」、あるいは「山上の説教」)―があるのです}。
私は「救いとは何か」ということを考えるのです。(ここでいう「救い」とは、『具体的な状況から救われる』という意味の救いですが…)。救いの1つの形は、その人が変えられることではないでしょうか。良く言います。「変えられないのは他人と過去、変えられるのは自分と将来」。自分が変われば、相手が変わり、そして状況が変わることがあるのです。ある牧師の家の隣にポチという犬が飼われていました。ポチは夜も昼も吠えます。牧師は眠れない。極度の睡眠不足になって、ポチに腹を立て、憎しみまで湧いて来ました。ポチの前を通る時には、歯をむいて睨みつけた。ポチも吠え返しました。睡眠不足と苛立ちは続き、いよいよ限界に達した時、牧師は1つの話を思い出しました。「ある人が庭に芝生を植えた。ところが芝生と一緒にタンポポが生えて来ました。抜いても、抜いても生えて来る。専門家に相談したら、専門家が言いました。『どうしてもタンポポを退治できないのであれば、あなたはタンポポを愛することを学んだらよいでしょう』」。彼は思います。「そうだ、ポチを退治できないのであれば、ポチを愛することを学ぼう」。ポチを見たらニコッと笑いかけることを始めた。それでも最初は吠えていたポチが、やがて様子が変わって来て、ついには尻尾を振りながら近づいて来るようになったという話です。
「自分が変わることで状況は変わる」ことがあるのです。そこに「救い」が生まれることがあるのです。ということは、「私達が育てられる、変えられる」ということは素晴らしいことなのです。その意味で、確かに神様は私達に「そのままで良い、そのままであなたは赦され、受け入れられるのだ。そのまま私のところに来れば良い」と言われます。キリスト教は「神を信じたければあれをしろ、これをしろ」とは言いません、そのままで良いのです。しかし一方で神は、神を信じた者に「そのままそこに座り込んでいれば良い」とは言われない。「あなたは変わることが出来る。立ち上がることが出来る。それがあなたに様々な救いを経験させるのだ」と言われるのです。だから私達は、御言葉に向かうのです。
 

3:パリサイ人にまさる義について

 イエスは最後に言われました。「もしあなたがたの義が、律法学者やパリサイ人の義にまさるものでないなら、あなたがたは決して天の御国に、入れません」(5:20)。確かに、律法学者やパリサイ人は、自分達の作った「律法」の細則に縛られ、細則を守ることに汲々としていました。しかし、それでもそれは、「神の『律法』」を守ろうとする熱心から出ていたことです。彼らは、「律法」を熱心に研究し、「義―(神との正しい、祝福の関係)」を得るために命を懸けていたと言っても良いでしょう。そのような彼らの「義」にまさる「義」が、熱心が、私達にあるのでしょうか。
しかし、この「義―(神との正しい、祝福の関係)」を考える時に大事なことをイエス様が教えて下さっています。それが「パリサイ人と取税人の譬え」というイエス様の譬え話です。「自分を義人だと自任し、他の人々を見下している者たちに対しては、イエスはこのようなたとえを話された。『ふたりの人が、祈るために宮に上った。ひとりはパリサイ人で、もうひとりは取税人であった。パリサイ人は、立って、心の中でこんな祈りをした。「神よ。私はほかの人々のようにゆする者、不正な者、姦淫する者ではなく、ことにこの取税人のようではないことを、感謝します。私は週に二度断食し、自分の受けるものはみな、その十分の一をささげております」。ところが、取税人は遠く離れて立ち、目を天に向けようともせず、自分の胸をたたいて言った。「神さま。こんな罪人の私をあわれんでください」。あなたがたに言うが、この人が、義と認められて家に帰りました。パリサイ人ではありません。なぜなら、だれでも自分を高くする者は低くされ、自分を低くする者は高くされるからです』」(ルカ18:9~14)。パリサイ人の「義」、確かに彼らは「律法」を守ったかも知れない。しかし、守れば守るほど、そこに出て来るのは傲慢だった。守れない者に対する軽蔑と裁きだったのです。それは「聖書」の精神ではありません。しかも彼らは、「律法」を守っていると言いながら、神の精神を守っていない。守れないのです。その時、どうすれば良いのか。遜って悔い改めることです。
私達もそうです。私達には罪があります。罪が「神の民」として生きて行こうとする私達を邪魔します。苦しめます。その時は、悔い改めるのです。取税人は、神の前に何も差し出すことが出来なかった。ただ胸を打ちたたいて「こんな罪人の私をあわれんで下さい」と言うだけだった。しかしイエスは言われました。「義とされて家に帰ったのは、この人であって、あのパリサイ人ではない」(ルカ18:14)。なぜでしょうか。神に祝される「義―(神との関係)」は、律法学者やパリサイ人の考えていた「義」ではないということです。彼らの「義」は、「天の御国―(神の国、神との祝された関係)」を生きて行く生き方」ではないのです。大切なのは、神の前に立派に生きられない罪を認めて、悔い改める、その柔らかい心です。それこそ律法学者やパリサイ人にまさる「義」です。
三浦綾子の「我弱ければ」の主人公、矢嶋楫子はこう言っています。「私に洗礼を授けて下さったタムソン先生は…こう言われました。『キリストは、あなたの罪をことごとくその背に負って十字架につかれたのです…あなたは、ただそのことを心から感謝し、己が救い主はイエスであると心から信じれば救われるのです。救われるためには、いささかの行為も必要としません…決して人間は、自分自身の行為によって嘉せられ、信徒となるのではありません』…タムソン先生はこれが福音だと言われました…これほどの大きな罪も、信じるだけで赦して下さるとの神の約束を信じて私は喜んで信じたのです」(矢嶋楫子)。この柔らかさです。そして、悔い改めつつ、神が置いて下さった十字架を見上げ、感謝する時、私達も、律法学者やパリサイ人にまさる「義」を生きることが、きっと出来るのです。
さらに、私達には励ましがあります。イエス様の十字架と復活の後、神を信じる者に「神の霊―(聖霊)」が下るようになったということです。「『山上の説教』は、聖霊の助けを前提として書かれている」と言われます。聖霊が、私達の巡礼の旅を助けて下さるのです。

聖書箇所:マタイ福音書5章13~16節 

「宝島」や「ジキル博士とハイド氏」を書いたイギリスの小説家ロバート・ルイス・スティーブンソンが、ある日、言いました。「今日は、教会に行ったが、気が滅入らなかった」。教会もこうなると悲劇です。教会は、気が滅入る場所ではなく、滅入った心に癒しを、希望をもらう場所でなければならないと思います。
「山上の説教」の学びを続けます。今日の箇所でイエス様は「あなたがたは地の塩です。世の光です」と語られます。なぜ「塩」と「光」を用いられたかというと、どんなに貧しい家庭でも「塩」と「光」は使ったからです。だから、この譬えを聞いた人々は、イエスの言われることを自分の経験に当てはめることが出来たのです。2つに分けてお話し致します。
 

1:地の塩」とはどういうことか、どのようにして「地の塩」であれるのか?

  まず「あなたがたは、地の塩です」(13)とはどういうことでしょうか。塩の役割は大きく2つ。「調味料としての役割」と「物が腐るのを防ぐ保存の役割」です。今は、保存の役割はもっぱら冷蔵庫がしますが、冷蔵庫がない時代は、塩がその役割をしました。塩を使うと腐るのを防ぐことが出来ます。イエスが「あなたがたは、地の塩です」(13)と言われる時、「キリスト者は、あなたは、世の中にあって、世の腐敗を防ぎ、社会に良い味をつけて行く、そのような存在である」と言われたのです。「あなたがいるからこの世は腐らないですむ」、そう言われたのです。
しかしそう言われると、私達はどうでしょうか。「いくら何でも自分の現実からかけ離れている、とても自分はそのように言ってもらえる者ではない」、そう思うのではないでしょうか。また世の中には、クリスチャンでない立派な方が沢山おられます。信仰者である私達が恥ずかしい思いをすることが良くあります。しかしイエス様は、こんなに大きなことを誰に言っておられるのか。イエス様の目の前に座っている、当時の社会において取るに足りないような人々、何も分かっていない12弟子、そういう人々に語っておられるのです。言うなれば、私達に語っておられるのです。イエス様が私達に「あなたがたは地の塩である」と言われるのです。だからこの言葉を聞く時に大切なことは「私達が自分のことをどう思おうが、イエス様の方は私達をそう見て下さっている」ということです。私達は、自分に対する自信の無さもあって、「信仰者と言っても、他の人と何も変わらないのですよ」と言ってしまうことがあると思います。あるいは、それで自分を納得させたり、自分を赦したり、そうしている面があるのではないでしょうか。しかしイエス様は、決してそうは見ておられません。イエス様は、私達の中に「信者の理想―(『地の塩、世の光』としての姿)」を見ておられるのです。だから大切なことは「私はとてもそんな者ではありません」と「遜り傲慢」になることではなく、イエス様が私達の中に見ていて下さる理想に、私達も生きようとして見ることではないかと思います。
そして、ここで大切なことは、イエス様は「もし塩が塩気をなくしたら、何によって塩気をつけるのでしょう。もう何の役にも立たず、外に捨てられ、人々に踏みつけられるだけです」(13)と言っておられることです。つまり「地の塩」として生きるのか、「何の役にも立たず、捨てられる」か、どちらかしかないのです。私達は、理想に生きよう等とは思わない、平凡な信仰生活を生きたいと思っている面があると思います。しかしイエス様によれば、「キリスト者として世に在って全く平凡に生きる」という生き方はないのだと思います。私達は、皆が「地の塩」として生きる、「キリスト者の理想に生きる」、そのように招かれているのです。そうでなければ「何の役にも立たずに捨てられる」と言われるのです。
では、どうやってそのような生き方が出来るのでしょうか。それは何よりも、イエスの教えを信仰と生活の土台として一途に生きるということだと思います。水野源三さんのことを以前も御紹介しました。水野さんは、小学4年の時に脳性麻痺のために身体の自由を奪われ、動くこともしゃべることも出来なくなりました。テーブルの上に首を載せてじっとしていることしか出来なくなりました。しかし、やがてお母さんが指し示す「あいうえお五十音表」の文字に瞬きで合図して、一文字ずつ拾ってもらい、それをつづり合わせてもらい、詩を書くようになりました。水野さんの詩は、やがて榎本保郎という牧師の手で詩集として出版されることになりますが、榎本先生が出版依頼のために水野さんの家を訪ねた時のことです。途中で出会った人に水野さんの家を尋ねたら、その人が別れ際に「水野さんはこの町の宝です」と言ったそうです。まだ詩集を通して世に知られるようになる前のことです。水野さんは、世的に言えば―(失礼ですが)―最も弱い人だったと申し上げても良いかも知れません。水野さんが、何か町の役に立ったとか、町の人に何かをしてあげたとか、そういうことではありません。日本のどこの町もそうであるように、恐らく人口の99…%がキリスト教を受け入れていない、そういう町の中で、彼はただ神を信じ、神を信頼し、神に感謝し、神を讃美し、そして精一杯、神に従おうとした、ひたすらキリスト教信仰を求めただけなのです。水野さんのこんな詩があります。「物が言えない私は、有難うの代わりにほほえむ、朝から何回もほほえむ、苦しい時でも悲しい時でも、心からほほえむ」(水野源三)。「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです」(1テサロニケ5:16~18)。この言葉に水野さんなりに精一杯生きたのです。その姿を、立場を異にする町の人々が受け入れ、彼を「町の宝―(地の塩)」と呼んだのです。特別な話かも知れません。それでもイエス様を真摯に求める時、「地の塩」というか「世に在って何者かとして」生きて行けるのではないかということを教えてくれる話です。
話が逸れるかも知れませんが、「旧約聖書」に、ソドムの町の罪があまりにも酷いので、神がこれを滅ぼそうとなさった時、アブラハムが必死になって執り成す記事があります。「町の中に50人の正しい人がいても、町を滅ぼされるのですか。50人のために町をお赦しにならないのですか」。「45人ではどうですか」。「40人ではどうですか」。「30人ではどうですか」。「20人ではどうですか」。「10人ではどうですか」。神は「滅ぼすまい。その10人のために」(創世記18:32)と言われるのです。私達は、数も少ない、世的には、取るに足りない存在です。力もない、何もない。でも神の視点から見ると、また違うのではないでしょうか。私達が本当に誠実に遜って神を畏れ、神の目に喜ばれるように歩いて行く時、神の視点では、私達の家族や、職場や、地域や、町が、そのために祝福されているということがあるのではないでしょうか。少し大きな話になりましたが、しかし、私達の信仰の姿勢は、神様の視点に決して小さくはないのだと思うのです。
話を戻しますが、「地の塩」という言葉に関係する次の御言葉があります。「あなたがたのことばが、いつも親切で、塩味のきいたものであるようにしなさい。そうすれば、ひとりひとりに対する答え方がわかります」(コロサイ4:6)。あるいはこの「塩味」というのは「神の恵みが宿っているような言葉」という意味だそうです。53歳でガンのために召された先生は、最後の日々、このように日記に書いています。「『今日…私はだれかにほほえみをもたらしたか』、『いやすことばを語ったか』、『怒りをやり過ごしたか』、『人を赦したか』、『人を愛したか』…主が平安―(平和)―を下さったことの実は、だれかに平安―(平和)―を少しでも与えることである。私の残された日々も、そういう1日1日でありたい」(片岡伸光)。「私の言葉には神の恵みが宿っているだろうか、良い塩味がついているだろうか」と、そう問うことも「地の塩」としての生き方に大切なことではないでしょうか。いずれにしても私達が一途に神を見上げて生きる時、御言葉に従って、神に喜ばれるように生きようとする時、私達もそれぞれの置かれた場で「地の塩」として生かされることが出来るのではないでしょうか。
 

2:「世の光」とはどういうことか、どのようにして「世の光」であれるのか?

 イエス様は次に「あなたがたは、世界の光です(世の光です、世の光として生きなさい)」(14)と言われました。「世の光」とはどういうことでしょうか。「地の塩」より、さらに話が大きくなるような感じがするのですが、「塩」が「腐るのを防ぐ、妨げる」という、どちらかというと消極的な働きをするのに対して、「世の光」とは「世を照らす」、「暗やみを照らす」という積極的な働きをするように勧めておられるように思います。しかしこちらについては、「どのようにして」ということについてまで言及されています。16節「あなたがたの光を人々の前で輝かせ、人々があなたがたの良い行いを見て、天におられるあなたがたの父をあがめるようにしなさい」(16)。イエス様は「『キリスト者の光』は『良い行い―(良い業)』である」と言っておられることになります。
では「良い行い」とは何でしょうか。日之影教会の献堂式の時、ゲストスピーカーは「教会が日之影町の光となるように…」と語られました。「教会が町の光となる」とは、「教会が、この暗い世にも希望があることを表現する」ということもあるでしょうし、同時に「教会が町の人々の執り成しを祈る」ということではないかと思います。その意味で私達は、自分の隣人のために、地域のため、町のために、神の恵みを祈るべきだと思います。それも「世の光」としての働きではないでしょうか。
しかし私達は、世の中が暗い、その暗闇の一番の理由はどこにあると考えます。その時、「聖書」は言います。「神を神としてあがめず、感謝もせず、かえってその思いはむなしくなり、その無知な心は暗くなりました」(ローマ1:21)。「聖書」が語るのは、「例えば国が暗くなる、行く道を誤る、人々の心が荒廃する、その一番の原因は、人々が本当の神から離れているところにある」ということです。カナダで出会った神学校の先生は、日本人の救霊に重荷を持っておられる方でしたが、「日本の色々な問題は、その根っ子は霊的な問題だと思う…神に頼ることも、神を畏れることも知らない、そのことが色々なところに問題となって出ているのではないか、そこに闇があるのではないか」と言われました。そして実際、私達は、生きて行く光を神の中に見ているのです。世の中の人々も、その光を必要としていると、私達は信じます。この社会全体が、その背骨のところに、神を必要としているのではないでしょうか。{アメリカが、あれほど色々な問題があってグラグラゆれながらも、それでも世界のリーダーとして国が立って行く、そこにキリスト教があるからではないでしょうか。アメリカで南北戦争が終わり、北軍が勝った時、ある人が北軍の指導者リンカーン大統領に聞いたそうです。南軍(南部)の人々をどうしますか。リンカーンは答えました。「私は、離反など全くなかったかのように彼らを扱うつもりです。なぜなら神ご自身が私達をそのように扱われたのですから」。そうやって戦争で傷ついた南北両軍(両地域)の溝が埋められて行った。神を知る指導者を持つ国は幸いです}。いずれにしても私達が「世の光」としてまず為すべき「良い行い」とは、キリストを「世の闇、人の闇を照らすことの出来る真の光」として人々に証しして行くことではないでしょうか。そして、証しをして行くために、私達は「良い行い」に生きるように奨められているのだと思います。 
どうしたら「世の光」と言われるような「良い行い」をして行く者になれるのか。イエス様は、「塩」については「塩気を無くすな」と言われましたが、光に関しては「あなたがたの光を人々の前で輝かせ…」(16)、つまり「隠すな、人に見えるようにしなさい」と言われました。それは「わざと人の目につくように善行をしなさい」ということではありません。置かれた場で、精一杯、信仰に生き、主の業に励むことだと思います。すると、私達の背後に神がおられることを、人々が気づくと言われるのです。
水野源三さんについて次の文章があります。「大人も子供も、源三を支えているのは、神以外の何ものでもないことを知っていた。それは何か大きな出来事を通してというのではなく、日常の落ち着いた、迷いのない彼の生き方を見て、そう思わずにはいられないようにされていたのだ。源三は直接的な伝道をしたわけではなかった。しかし、信仰によって人は変えられ、神によって豊かにされることを、まのあたりに実証して見せた。それは源三の力ではない。神の力であることを、人々は信じた」。私達が神様に頼り切り、神様の中に光を―(希望を)―見て生きる時、その生き方がそのまま、神様を証する「良い行い」だと思わされるのです。
さらに言えば…。先日も紹介しましたが、「敵をもてなす」という証しでは、南米のある村を襲撃した軍隊の隊長が、1人クリスチャンを通してキリスト教に興味を持ち、村の礼拝に出て来ます。村の礼拝では、新しい人が来ると全員がその人を抱擁して歓迎することになっていました。司式者が「この隊長達は村の人々にとって、自分の夫や息子、兄弟を捕らえて連れて行った張本人だ。彼らを歓迎することはとても出来ないだろう」、そう思って歓迎のプログラムをとばそうとした時、村人の方からそれを始めたのです。最初に近づいた人が言いました。「兄弟、あなたが私達の村にしたことは間違っていると思います。けれどもここは神の家です。神はあなたを愛しています。だからあなたを歓迎します。良くいらっしゃいました」。村の人々は、夫を連れ去られた人も、兄弟を連れ去られた人も、皆が次々と歓迎の言葉を述べました。最後の人が歓迎の挨拶を終えた時、隊長が話をさせて欲しいと言いました。「村を襲撃してその村にやって来たのに、兄弟として歓迎されるとは考えもしなかった。今朝、この目で見たことはほとんど信じられないくらいです…教会の礼拝に来たのはこれが初めてです。今まで神がいる等と思ったことは一度もなかったけれど、私は今、不思議な感動を味わっています。生きている限り、神の存在を疑うことはもう決してないと思う…ここにいる人達は、皆、神を知っているのですか。もしそうなら、どんな時でも神にすがりついて下さい。神を知るということは、この世で一番素晴らしいことに違いないと思う…私もいつかは『神を知っている』と言えるようになりたい」。神を信じる中に解決があることを、神は人を素晴らしく生かして下さることを、この無名のクリスチャン達は、信仰の行いを通して見事に表したのです。「世の光」として生きたのではないでしょうか。
この話は、私達の日常生活からはかけ離れた話ですが、しかし、私達にも語りかけます。私達が、神を信頼し、誠実に信仰に生き、神に愛された愛で隣人を愛して行く、そのような信仰を生きる時、自分の力ではない、神の力で、置かれている場で、家族の中で、職場で、コミュニティーの中で、神の素晴らしさを証しするような「良い行い」をして行けるのではないでしょうか。「世の光」として存在出来るのではないでしょうか。いや神がそのように用いて下さるのではないでしょうか。そう信じます。
 

3:まとめ

イエス様が「あなたがたは、地の塩です。世の光です」と言われる時、イエス様が私達の中に理想を見て、聖霊の力によって私達を変えようとしていて下さる、ということとセットだと思います。イエス様は、私達を諦められない。私達の中に「作り変えられた姿」を見て、取り扱い続けて下さるのです。その意味で、神が私達を「地の塩、世の光」として生かそうとしておられる、その神の働きこそが「地の塩、世の光」の主人公であると言っても良いかも知れません。その神の働きに信頼して、「神様、私のような者でも良かったら用いて下さい。信仰に打ち込みます、力を与えて、『地の塩』、『世の光』として生かして下さい」と委ね、祈って行くことが大切ではないでしょうか。やがて天国でイエス様にお会いする時が来ます。その時「よくやった。良い忠実なしもべだ」(マタイ25:23)と言って頂けるように、精一杯、信仰に生き、主の業に励みましょう。

聖書箇所:マタイ福音書5章10~12節 

「世の光」で、大島重徳という先生が証しをしておられました。先生のお母さんは、嫁ぎ先の家族から、また小姑さんから、教会に行くことをずっと責め続けられて、その姿を、先生は子供の頃から見ておられたそうです。先生が大人になってから、お母さんに「良く信仰を捨てなかったね」と聞いたら、お母さんが「私には神様しかいなかったからね」と言われたそうです。家族に責められながら、コツコツと礼拝生活を守る、そんなお母さんのお姿が目に浮かぶような気がしたことでした。また先生とって、このお母さんの信仰の影響は大きいだろうと、羨ましくもありました。
さて今日の箇所は「義のために迫害されている者は幸いです。天の御国はその人たちのものだから」(10)という「八福の教え」の8番目の「幸い」の御言葉と、それに続く11~12節です。「義のために迫害されている者は幸いです」、「義のために迫害されている…」とはどういうことなのか。なぜ、その人たちが幸いなのか。いやそれを考える前に、まず確認しなければならないことがあります。それは、イエスがここで「天の御国はその人たちのものだから」(10)と言っておられることです。「天の御国はその人たちのものだから」、この言葉は「八福の教え」の最初に「心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだから」(3)として出て来た御言葉です。つまりここで「初め」に戻っているのです。「初めに戻る」とは、つまり、「心の貧しい者」も「義のために迫害されている者」も同じ人のことが言われているということです。「八福の教え」は、まず「心は貧しいが、悲しんではいない」、そういう人のことが語られ、次に「悲しんでいるが、心貧しくはないし、柔和でもない」、そういう人のことが語られている、というわけではないのです。全部が同じ1人のキリスト者の生き方、在り方として、語られているのです。だから「心の貧しい者」と聞いて、「それは私のことだ」と言う人―(その「幸い」を願う人)―は、「義のために迫害されている者」と聞いても、「私のことだ」と言えるようでありたいのです。しかし、ある人は言いました。「『義のために迫害されている者…』という言葉を行くと…どこか突き放されたように感じる。なぜなら『自分は義のために迫害されている』と手を上げることがなかなか出来ないように思うからだ」。皆さんはいかがでしょうか。自分のことを「私は義のために迫害されている」と思われるでしょうか。あるいは「私には縁遠い」と思われるでしょうか。
キリストの教会は、多くの殉教者を出しました。10年近く前、大分の国東半島に「ペトロ岐部」という人の銅像を見に行きました。「ペトロ岐部」、400年前、国を追われ、ローマまで行き、司祭に叙されますが、迫害の嵐が吹き荒れる日本に帰って来きて、隠れて信仰を守っている切支丹達を励ましながら九州から東北まで行き、ついに仙台で捕縛され、江戸で殉教した人です。彼を取り調べた幕府の役人は書き残しました。「ペトロ岐部、転び申さず候―(ペトロ岐部は最後まで決して信仰を捨てなかった)」。迫害している役人が書いた文章ですが、畏敬の念さえ感じさせます。銅像の横の資料館でこの言葉を見た時、私の目は、この言葉に釘付けになりました。繰り返しますが、キリストの教会は、このような多くの迫害や殉教の経験を持っているし、私達の信仰は、これらの先達の経験に負っているのです。
しかし、この10~12節の御言葉を考える時、ペドロ岐部や、そのような「迫害された先達」のことを知っていれば、それで良いのか、というと、それではこの「幸い」が、私達とは関係のない「幸い」になってしまいます。もし「私には関係がない、私には当てはまらない」ということになると、私達は「この幸い」から漏れてしまうことになるのです。
しかもイエス様は、11節で「その人たち」という3人称の言葉ではなく、「あなたがたを…あなたがたは…」(11)と2人称で目の前の弟子達に、つまりこの言葉を読む全ての人に―(私達に)―語っておられます。ということは、私達は自分のこととしてこの御言葉を考えなければならない、というか、自分のこととして考えたいと思うのです。そうすると「義のために迫害され…る」とは、私達にとってどういうことになるのでしょうか。
イエスは10節の「義のために」(10)を11節で「わたしのために」(11)と言い換えておられます。「義のために迫害される」とは、直接的には「イエス様への信仰のために迫害される―(辛い目に遭う)」ということでしょう。そう考えると、私達にも、イエス様への信仰の故に負わされている十字架が大なり小なりあるのではないでしょうか。
最初にご紹介した大島先生のお母様の経験のように、例えば「家族の無理解」ということがあるかも知れません。あるいは千葉でお世話になった先生は、長い間、管制官をされましたが、職場の飲み会で「キリスト者であることを酒の肴にされて辛い思いをした」と話して下さったことがあります。そういうことかも知れません。あるいは、職場で、地域の中で、キリスト者である故の様々な戦い、不利益、生き難さ、不都合ということもあるかもしれない。カナダで出会った姉妹がお父様の話をして下さいました。祭りの時期になると、その地域の神社が地域の全部の家の前に「しで」というのでしょうか、独特の形に切った紙を挟んだ綱を張るのだそうです―(広瀬でも見かけます)。お父様は、自分の家の前に綱を張られるのを断るのに大変な戦いがあったようです。でもその姉妹は、そんなお父様のことを、良い意味で誇りにしておられるようでした。
あるいは、伝道をしようとする時もそうでしょう。三浦綾子さんのご主人の光世さんが「トラクトを配って怒鳴られた経験がある」と何かに書いておられました。佐土原教会は、この会堂が建って間もない頃、佐土原の全家庭に「トラクトと教会案内」を配ったことがありましたが、その時、同じような経験をされた方がおられたと伺いました。いや、そもそも教会が、クリスチャンが、主に従って歩んで行くこと自体が、実は困難なことではないでしょうか。カナダ・メノナイト教会の総会で「教会が存在するのは、クリスチャンとして生きて行くのは、デインジャラス・ビジネス(危険な務め)です。犠牲が伴う」という説教を聞きました。(この説教は「しかし神が素晴らしい景色を見せて下さいます」と続くのですが…)。ある時の「アナバプテストセミナー」では「現代の殉教は、地方で福音宣教に生きることである」という言葉も聞きました。「私達が伝道の使命に生きること、そのものが、世の抵抗を受けること、覚悟すべき苦難なのだ」と教えられたように思ったことでした。そう考えると、この御言葉が私達にも直接的に関わる言葉になって来るのではないでしょうか。もちろん、命に係わるようなことではないかも知れませんが、私達もこの言葉を、私達への語り掛けとして受け取ることが出来るのではないでしょうか。
 さらに「義のために迫害される」、「イエス様のために迫害される」、それには、こんなことも言えるのではないでしょうか。それは「イエス様を信じる者はその生き方が違ってくる、その故に困難な思いをすることがある」ということです。初代教会のクリスチャン達が迫害された大きな理由は、彼らが皇帝礼拝をしなかったことですが、同時に当時の奴隷制社会の中でクリスチャンは生き方において奴隷制を乗り越えて行ったということがあります。教会では奴隷と自由人の区別がなかったのです。奴隷がリーダーになれた。彼らはイエス様に倣った、聖書に従ったのです。それを周りの社会は見過ごすことが出来なかったのです。奴隷制社会が揺さぶられるからです。その意味で私達も、本気になってイエス様に従って生きる時、世の生き方とどこか違ってくるのではないでしょうか。信仰問答で紹介した、ある会社の社長秘書の女性の話をご記憶でしようか。ある日、社長に電話がかかって来ました。社長は、女性に「留守だと言ってくれ」と言いました。彼女は社長に言いました。「ご自分でどうぞ。私は、ウソはつきません。どんな時でもウソはつきません」。社長は、彼女に激怒しましたが、落ち着いてから、ウソをつかない彼女をますます信用するようになったという話です。日本人の生き方の大原則は「損をしないように生きること」だそうです。しかし彼女のように、そこで葛藤を覚えたり、損をするように見えたり、苦しい思いをしたりすることがあるのかも知れません。それも「イエス様への信仰故の苦しみ」です。しかし、いずれにしてもその時、私達は「この幸い」を生きることになるのだと思います。
イエスに従うとは、具体的にはイエスの言葉に従うことです。この文脈では「八福の教え」です。そして今朝の御言葉は「八福の教え」のまとめ的な言葉です。「八福の教え」は「関節的な命令の言葉」です。「心の貧しい者は幸いである」とは「心貧しくあれ」ということです。そうすると「義のために迫害されている者は幸いです」とは「義のために迫害される者であれ―(『イエスへの信仰のために迫害される者であれ』)」という意味になります。さらに言い換えれば、「『八福の教え』に迫害されるほどに打ち込みなさい」と言っておられると理解することも出来ます。
「八福の教え」は次のような教えでした。①「心の貧しい者は幸いです」:「自らの無力、愛の貧しさを知り、本気になって神にすがって行く、神に求めて行く、そのような信仰生活を歩みなさい」、②「悲しむ者は幸いです」:「人生の悲しみ、また自らの罪を悲しむことを通して神の慰めを知る者でありなさい、そして悔い改め続ける者でありなさい」、③「柔和な者は幸いです」:「逆境の中にあっても、耐えて、腹を立てずに善を生きる、そしてひたすら神を待ち望む、そのような信仰に生きなさい」、④「義に飢え渇く者は幸いです」:「神の義が成ることを信じ、諦めずに祈り、自らも精一杯の正しさと優しさに生きて行きなさい」、⑤「あわれみ深い者は幸いです」:「あなたが神から頂いている大きな『憐れみ』を思い、あなたも隣人に憐れみ深くありなさい」、⑥「心のきよい者は幸いです」:「清くない者に注がれる神の憐れみにすがって一途に、愚直に神を見つめなさい、そして遜って神を礼拝して生きなさい」、⑦「平和をつくる者は幸いです」:「神に赦されて神との平和を持たせて頂いたことを力に、自らも愛と赦しに生き、隣人との関係に平和を創り出す生き方をしなさい」。私達はここに生きているのか。しかし、このような生き方は、どこかで世の常識―(私達の人間的な価値観)―とぶつかるのではないでしょうか。
私は良く「アーミッシュの赦し」の話をします。アーミッシュの村の学校に近所の男が猟銃を持って乱入して5人の子供を殺して、自分も自殺しました。しかし、アーミッシュの人達は、大きな悲しみをこらえ、事件の6時間後には犯人の妻の所へ行き、こう言いました。「私達は彼を赦します。あなた方も家族を亡くしました。悲しみを分かち合いましょう」。彼らは、子供達の葬式に犯人の家族を招き、犯人の葬式にも多数が出席しました。全米から送られて来た義捐金を犯人の家族と分け合いました。彼らは愚直に「赦し」に生きました。「平和」に生ました。「善」に生きました。しかし否定的な意見もあったのです。「簡単に人が赦されるような社会には住みたいとは思わない」。「彼らは現実を無視している」。戦時下にメノナイトが「イエス様は平和を教えられた。敵を愛する愛を教えられた。自分達は銃を取らない。人は殺さない。戦争には行かない」と言うと、「社会の寄生虫だ」と迫害されたのです。私達が「イエスの教える生き方」に本気になって取り組む時、恐らくそこに価値観と価値観の衝突が起きるのです。パウロは言いました。「確かに、キリスト・イエスにあって敬虔に生きようと願う者はみな、迫害を受けます―(問題を抱えます)」(2テモテ3:12)。
イエス様は11節で「わたしのために人々があなたがたをののしり、迫害し…」(11)と言っておられます。イエスご自身が、世の人々を愛し、「神はあなたを愛しておられる。あなたも神にとって大切な1人なのだ。神に帰りなさい。裁きではなく赦しに生きなさい」と語り続けられました。しかし、世の権力者に非難され、迫害に会い、最後は、死刑に価する罪人として殺されました。であれば、イエス様に従う者も、本気になって従う生き方をすれば、どこか世の価値とぶつかることになるのではないでしょうか。しかしイエスは、「そのように生きなさい」と言われるのです。「その時、あなたは幸いだ」と言われる。
なぜ「幸い」なのか。もし、私達が迫害されるほどに―(世の価値観とぶつかるほどに)―イエス様に打ち込むとすれば、それはそのまま、私達が本物のキリストの弟子であることを証明することになるのです。数年前、当時東京基督教大学の学長でいらした小林高徳先生が宮崎に来て話をして下さったことがあります。先生は最後に「キリストは色々な場で否定されている。私達はキリストの友として、現実の生きる場で、キリストを弁護しなければならない、キリストを証ししなければならないのではないか」と言われました。置かれた場で、生き方を通して、言葉を通して、主を証しして行くのです。主の道を生きることは、世の人に認められず、むしろ偏見を持たれて生きることかも知れない。それでも主を第一として、主に従って生きて行く時、私達は―(小林先生によれば)―「イエス様の友になる」のです。そこで私達は、自分がキリストに属する者であることを確認することが出来て、またそこでイエス様と一層深く交わることになるのではないでしょうか。三浦綾子文学館の森下辰衛先生も、イエス様への信仰の故に犠牲を覚悟して困難の道に押し出された方ですが、今、三浦綾子の本を通して伝道して、「『とうてい信じられないほどのこと』を経験させられている」と言っておられました。その恵みが、色々な形で私達をも覆うはずです。その中でしか経験し得ない恵みを、イエス様を、経験して、そしてイエス様が言われた「幸い」を自分のものにするはずなのです。
しかし何より大きな理由は、12節に「喜びなさい。喜びおどりなさい。天ではあなたがたの報いは大きいから。あなたがたより前にいた預言者たちを、人々はそのように迫害したのです」(12)とあるように、そのようにイエスに従って生きる時、どんなに神が喜んで下さるか、そして私達を待っている祝福がどれほど大きいか、イエス様がその約束をして下さっているからです。「ヘブル書」に「これらの人々は…地上では旅人であり寄留者であることを告白していたのです」(ヘブル11:13)とあるように、私達の人生のゴールは、天でイエス様にお会いする時です。地上でイエスへの信仰に生きて行くことは、本当にそうしようとするなら、それは厳しいことかも知れない。でも、そのように生きる時、私達には「躍り上がって喜べ」と言われたような確かな報いがあるのです。パウロは言いました。「現在の苦しみは、将来わたしたちに現されるはずの栄光に比べると、取るに足りないとわたしは思います」(ローマ8:18)。天国は私達の想像を遥かに超えたところだと思います。その祝福が約束されているのです。
いずれにしても、私達は「自分には『義のために迫害される』というような状況は縁遠い」と思う必要はない。私達もイエスへの信仰に生きる時、おそらく世に在って世の価値とぶつかる、そして「生き難さを強いられること、葛藤や闘いを強いられること」があるのだと思います。それがそのまま「義のために迫害されること」です。でも「今の日本の教会が弱い、その一番の理由は、主のために犠牲を払おうとしないことだ。イエスのために何の犠牲も払ったことのない人があまりにも多すぎるのではないか」と言った神学者がいます。「クリスチャンが恵みばかりを求めようとする」ということでしょうか。信仰の恵みは確かに大きいです。世の何物も与えることが出来ないほど大きな恵みです。しかし私達は、主に従って生きることの犠牲も、信仰生活の中に計算に入れて、天の御国を目指すさらに深い一歩に踏み出して行きたいと、行ければと、願います。

聖書箇所:マタイ福音書5章9節 

 8月27日、S姉が召天になられました。大変なご病気でしたが、4か月半もご病気と立派に戦われ、見事に天の御国に凱旋して行かれました。ご遺族は、ご葬儀で「4か月半、お祈りによって神様に支えられました」とお話し下さいました。共に礼拝していた素晴らしい仲間とお別れすることは、私達も寂しいですが、ご遺族は本当に辛い時をお過ごしのことと思います。ご遺族の皆様の上に、主の慰めを共に祈らせて頂きましょう。
私は、葬儀の司式をさせて頂き、ご遺族のお辛さは承知した上で、天国の希望を語らせて頂きました。私が語ることが出来るのは、それだけなのです。最近、森繫さんの歌の一部が不思議と口をついて出て来ます。こんな歌詞です。「思い出に生きる、それはあり得ない、ただ前にだけ、進むだけ、昨日は、もう昔、戻れない、帰れない、進だけ、前にだけ、ただ進むだけ」。思い出はとても大切です。私達の生涯の宝です。私達を支えてくれます。しかし実際問題、私達は、後戻りは出来ない、前にしか進めないのです。しかし、前に、前に進み、歳を重ね、どうなるのでしょうか。天の軍勢が待ち受け、イエス様が抱き留めて下さる、その幻がなければ、前に進むことは空しい、というか恐怖ではないでしょうか。S姉が天に凱旋され、天では主が、溢れる程の慰めと喜びを与えておられる、そのことに触れさせて頂き、私達も天を見据えて、前に進んで行きたいと思ったことです。重ねて、ご遺族の皆様のためにお祈りをさせて頂きましょう。
 さて7月最後の「水曜集会」でマザー・テレサの動画を参加者で視ました。マザー・テレサは、皆さんが良くご存じの通り、インドのコルカタで本当に大きな働きをした人ですが、彼女をあのような働きに突き動かしたのは、1つの祈りの言葉だったと紹介がありました。それは、アッシジのフランシスコの祈りです。「主よ、私を、あなたの平和の道具として用いて下さい。憎しみのある所に愛を、争いのある所に和解を、分裂のある所に一致を、疑いのある所に真実を、絶望のある所に希望を、悲しみのある所に喜びを、暗闇のある所に光を、もたらすことが出来ますように、助け導いて下さい…」。この「主よ、私を、あなたの平和の道具として用いて下さい」、この祈りの言葉が、彼女の人生を貫く祈りだったようです。
 全世界のクリスチャンと呼ばれる人々が、この祈りを自分の祈りにしたなら、そこに生きたら、世界は、私達の社会は、確実に変わるのではないかと、そんなことも思ったことでした。
 さて、昨年の2月にウクライナ戦争が始まり、既に1年半が過ぎています。戦地では、一般の民衆を巻き込んだ悲惨な戦いが続けられているようです。その影響は日本にも大きくあり、「日本も国を守るために―(日本の平和を守るために)―防衛費を増やさなければならない」という論調が声高に叫ばれるようになりました。そして、政治の舞台では、実際に防衛費が2倍になるような方向に動き出しています。そのような大事なことが、私達の手の届かないところで決められて行くのを感じます。しかしそうであっても、クリスチャンには国の歩みについて祈って行く重荷が与えられています。政治家が国の歩みの方向を直接的には決めて行くとしても、私達は、国の動きを注視して、私達の国が良い歩みをすることが出来るように、神の導きを、神の憐れみを、祈って行きたいと思うことです。
 さて、イエスは「平和をつくる者は幸いです。その人たちは神の子どもと呼ばれるから」(9)と言われました。イエス様の当時も「平和をつくる者」というのは、もしその言葉が使われるとするならば、それは、力によって、権力、武力によって、相手をねじ伏せて、そこに「戦争の無い状態を作り出す」、そういう特別な権力者のことを言いました。ローマ皇帝のような権力者です。ドラマでも、色々な暴力があると―(水戸黄門のような)―力のある英雄が出て来て悪い奴をやっつけて、暴力を納めてしまう、その人が崇められる、それと同じです。しかし「平和をつくる者」という言葉がそのようなレベルの話だとするなら、それは私達から遠い話になります。
しかしイエスはこの言葉を誰に語られたのか。ご自分の周りにいる弟子達や群衆に語られたのです。集まって来た力無い人々に、です。「群衆」という言葉から「素人」という言葉が生まれました。イエスは、権力者でも、神殿の指導者でもない、平和の素人、普通の人々に、「あなた方は平和をつくり出すのだ」と語られたのです。その意味でこの言葉は、普通の生活をしている私達に語られている言葉ではないでしょうか。では、イエス様は、この言葉にどのようなメッセージを込めておられるのでしょうか。
現実の戦争の原因を一言で言うことは難しいでしょう。私には、その知識も見識もありません。しかしある神学者は言いました。「あらゆる争いは、結局、自分を第一に考える利己主義から生じる」。ユネスコ憲章には「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、人の心の中に平和のとりでを築かなければならない」とあります。ウクライナ戦争の原因もそうではないでしょうか。あるいはそこに「憎しみ」や「報復」といった感情も加わるのでしょう。「民族主義(ナショナリズム)」もある意味で罪の姿だと思います。そう考えると、平和を妨げているのは、その一番の問題は、結局、人間の中にある「罪」だということになるのではないでしょうか。
「平和」という言葉は、ヘルブ語では「シャローム」という言葉です。「相互関係において調和がある」という意味の言葉です。人の罪がその調和をどのように破壊するのか。それは、戦争というような大きなことを取り上げなくても、私達は身近な人間関係において良く知っていることだと思います。ある本にこうありました。「中学校の先生1000人のうち150人が生徒から暴力をふるわれたことがあり、3人に1が生徒に恐怖感を覚えているそうです。他方『教育』の名の下に堂々と行われる教師の暴力におびえている子ども達も、少なくありません。職場では足の引っ張り合い。昇進を祝うのも表向きだけ。陰に回れば、ねたみ、中傷。仲間の失敗をひそかに願う…家庭も学校も職場も平和ではありません」(内田和彦)。私は小学校を5校回りましたが、ある学校では朝から職員室で激しい言葉が飛び交っていました。陰で「俺はあいつが嫌いだ」と言っている先生もいました。私達は平和な国に住んでいると言っても、「では平和に生きているか」というと、そうでないという現実があるのではないでしょうか。人間の社会は平和でないものに満ちている。いやその前に、私達の心が平和でないものに満ちている。人間は、一方で平和・平安を願います。それなのに、私達の心に、回りに、「平和でない状況」があるのです。私達の中に「私には争いがない、争う心がない、怒りもない、裁きもない、内も外も平和に満ちている」と言い得る人がいるでしょうか。そういう時もあるかも知れないけれど、一旦何かがあると、穏やかではいられないのが私達です。
だからこそ、まずそういう現実に向かってイエスは言われるのです。「平和をつくる者は幸いです」(9)。「まずあなたの心に、あなたの周りに、『平和をつくる者になりなさい』」。国の歩みは政治家が決めると申し上げましたが、しかし「国の外交力は、国民1人1人の民度の総計だ」という言葉も聞きました。つまり国民1人1人が本当は何を願っているのか、どう生きているのか、それが、結局は国を動かす、ということでしょう。だからこそ、1人びとりの心に平和をつくることが大切のです。 
しかし、どうすれば私達は自分の周りに、いや自分の心に、平和を獲得出来るのか、「平和つくり」が出来るのか。「ヤコブ書」は言います。「何が原因で、あなたがたの間に戦いや争いがあるのでしょう。あなたがたのからだの中で戦う欲望が原因ではありませんか」(ヤコブ4:1)。私達の中に「戦う欲望(罪)」がある、「私達は平和を壊すものを持っている」と言います。ある「信仰問答」は、「私達は―(人間は)―すべて生まれながらに憎むようにしかなっていない」と言います。三浦綾子さんは言います。「何気なく言う悪口、陰口…その心の中にとぐろを巻いているのは、敵意、ねたみ、憎しみ、優越感…ではないか…だが人の悪口を言ったことのない者はいないだろう。私達は1人残らず罪深いのだ」(三浦綾子)。私達は、本質的に争う欲望、憎しみを持っているという。だとしたら、自分の力ではどうにもならないということではないでしょうか。どうすれば良いのか。
「シャローム」とは「相互関係の調和」という意味だと言いましたが、それ以上に意味するのは、「神との関係の調和」です。ヘブル語で「シャローム」と挨拶する時、それは「神の祝福が、恵みがありますように」という意味です。そして聖書は「人が罪を犯し、神から離れ、神との調和―(平和)―を失った時に、横の人間関係に亀裂が生じた」と教えるのです。だからまず、神との関係が回復されなければならない。アダムとエバの話は、「私達の横の関係―(人間関係の平和)―は、縦の関係―(神との平和)―がどれほどしっかりしているか、そこに掛かっている」と教えるのです。マザー・テレサのグループは、毎朝4時30分から礼拝をして、神様との関係をしっかり持とうとするのです。それがないと、人に仕えることが、人との間に平和の心を持って接することが出来ないのです。かつて日本軍の捕虜になったイギリス人宣教師が言いました。「『平和をつくる者』とは『祈ることによって神との平和をつくる者』だ…平和についてデモをすることにも意味があるだろう。しかし、神との平和を求めず、その結果、身近な人との平和も得ることが出来ないまま世界平和を論じたり、あるいはただ怒りに駆られて行動したところで、果たして本当に平和をつくることができるのだろうか。祈ることによって神との平和を得、自分中心から神中心になった人が、ここにも1人、あそこにも1人と増えていき、地の塩となることが、この世界に平和をもたらす具体的な方法だ」(スティーブン・メティカフ)。その意味で私達が「シャローム」を獲得するには、まず神との間に平和を持つことが大切なのではないでしょうか。
では、私達は、どうやって神との間に平和の関係を持てるのでしょうか。メカティフは「祈ることによって」と言いましたが…。「アメージング・グレース」という歌があります。作ったのはジョン・ニュートンという人です。彼は、若い頃、奴隷船の船長だったのです。アフリカで奴隷を買って、それをアメリカやイギリスに運んで売ったのです。彼のお母さんは熱心なクリスチャンでした。でも彼は思っていました。「たとえ神がいたとしても、俺のような奴は神に受け入れてもらえるはずがない」。でもある日、彼は嵐に遭います。死ぬかも知れないと思ったその時、彼は初めて祈るのです。「神様、助けて下さい」。その時、彼は神の声を聞くのです。「あなたを愛している。あなたを助ける」。「俺のような奴でも赦して、愛してくれるんですか」。彼はびっくりしたから「アメージング・グレース/驚くばかりの恵み」という歌を作りました。彼は、ただ神に罪を、全てを、赦されて神との平和の関係を持ったのです。神との平和の関係を持つというのは、ジョン・ニュートンだけではない、誰も同じです。ただ神に全ての罪を赦されて、神に受け入れてもらうということです。「自分が、ただ一方的に赦されている」ということを心に刻むことです。そして、自分の欠けが、罪が、赦されるために、神の子であるイエス様が、私達の全ての罪を背負って十字架に掛かって死んで下さった、死んで私達が神に至る橋を架けて下さった、そのことを心に刻むことです。そして「私はあなたに罪を赦されてここにあります」と遜って言うこと、「神様、こんな者を赦して、受け入れて、愛して、良くして下さり、ありがとうございます」と言うことなのです。その時―(使徒パウロは教えます)―「信仰によって義と認められた私たちは、私たちの主イエス・キリストによって、神との平和を持っています」(ローマ5:1)と言うことが出来るのです。そこに立った時、その信仰は私達に、平和つくりの動機と力をくれると思うのです。「この罪ある自分が、それでも赦され、神に愛されている」という思いが、平和をつくり出す前提ではないかと思います。
1つの証を読みました。先住アメリカ人(インディアン)のシャイアン族の族長、メノナイトのクリスチャンの証です。1968年、オクラホマ州のシャイアン族の町は、その100年前、合衆国の第七騎兵隊がシャイアン族の村を攻撃して虐殺した「ワシタの戦い」の100年記念を祝うことになりました。町の人達が決めたことです。町の人達は、無邪気にというか、「その100年記念を祝うためにシャイアン族の人達を招きたい」と言って来たのです。シャイアン族にしてみれば、自分達の村が破壊され、女性や子供が殺された辛い出来事です。祝う理由はありません。シャイアンの族長達は相談しました。そして「町の人達は善意から自分達を招いている」と信じ、「町の博物館に陳列されているシャイアン族の1人の遺骨を埋葬することを赦して欲しい」という条件で参加することにしました。
記念会の当日、呼び物は「ワシタの戦い」の再現でした。他所から来た人々の中に第七騎兵隊の孫たちがいました。本物の軍服に身を整えて、本物の武器やサーベルを持って第七騎兵隊の孫達は、昔そっくりに作られたシャイアンの村の攻撃に参加しました。村のテントの中には、シャイアンの子供達がいて、討たれる役をするのです。証をしている人の子供もテントの中にいました。彼は、騎兵隊に対する憎しみが沸いて来るのをどうしようもなかったのです。ようやく全てが終わり、シャイアンの人々は、100年前に虐殺された人の遺骨を埋葬しました。その棺を担いで行進をしている時、1人のシャイアンの婦人が自分の美しい肩掛けを脱いで、棺を覆いました。次に、シャイアン族の人々が、自分達から栄誉を受けるべき人に、先程の肩掛けを渡すことになっていました。族長達は誰に渡すか相談しました。人々は、恐らく州の知事か役人が選ばれるだろうと思っていました。ところが、選ばれたのは「合衆国陸軍第七騎兵隊の子孫」の司令官だったのです。子孫の代表の現役の大尉がやって来て、剣を抜いて礼をし、剣をさやに収めると、族長が大尉の肩に栄誉の肩掛けを掛けたのです。
第七騎兵隊によるシャイアン族の虐殺の100年後、シャイアンの族長達は、自分達が受けた過去の傷、罪を赦し、騎兵隊の子孫達に和解の手を差し伸べたのです。その行為の重要さが分かった人々は、シャイアン族の人も、町の人も、騎兵隊の子孫も、そこに泣き崩れたのです。お互いに肩に顔を埋めて、泣いたのです。戦いを記念する場が、平和を祈念する場に変わったのです。このシャイアン族の多くがクリスチャンだったという理解で、私はこれを読んだのですが、これが平和つくりではないでしょうか。
ただ押さえておきたいことは、イエスは「神との関係を持てばそれで良い」と言われたのではないのです。(初めに帰りますが)「神の助けを頂いて、平和をつくる者になれ」と言われました。アメリカでは「『福音的だ』、『聖書的だ』と言われているクリスチャン達が国の戦争を積極的にサポートして来た」という現実があります。かつて大虐殺が起こったルワンダという国は、国民の90%がクリスチャンでした。人口の90%がクリスチャンの国で大虐殺が起こったのです。イエスは言われました。「わたしについて来たい者は、自分を捨て、日々、自分の十字架を背負って、わたしに従いなさい」(ルカ9:23)。イエスは平和の生き方に徹し、十字架を負い、死なれましたが、しかし神の力によって復活し、平和に生きる者の勝利を見せて下さいました。だから神と関わる者は「『平和の生き方』の十字架」を背負って従い歩く―(大きなことは出来ないでしょう、しかし周りの人間関係において平和を求める十字架を背負い歩く)―あとは神に任せる、そのことが大切なのだと思います。
具体的には、色々なことがあるでしょうが、53歳で召された牧師は、最後の日々、このように日記に書いています。「『私は平安を与える者であったか』、『私はだれかにほほえみをもたらしたか』、『いやすことばを語ったか』、『怒りをやり過ごしたか』、『人を許したか』、『人を愛したか』…主が平安(平和)を下さったことの実は、だれかに平安(平和)を少しでも与えることである。私の残された日々も、そういう1日1日でありたい」(片岡伸光)。「私も神に赦され、日々神に赦されている」、そういう砕かれた心になり、そこから出る、「私は平安を与える者であったか」、「私はだれかにほほえみをもたらしたか」…そういう生き方が出来れば、具体的な赦しと愛に踏み出せればと、願うことです。そして家庭で、職場で、様々な人間関係において、子どもとの関係においても、小さな平和をつくり出す、その努力を続けることが出来ればと願います。その上で、神に示されるなら、導かれるなら、この地に主の平和を実現するために、そしてこの国が主の御心に適う歩みが出来るように、小さな祈りと、小さな努力を、続けて行きたいと願います。その時、私達も「神の子ども」、つまり「神に似た者」と呼ばれるのです。主が呼んで下さるのです。