2023年3月 佐土原教会礼拝説教

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聖書箇所:マルコ福音書15章21~32節  

「パッション」という映画のことを前回も話題にしましたが、映画「パッション」は「ゲッセマネの園のイエス様の祈り」に始まり、「イエス様が十字架の上で息を引き取られるまで」を克明に描きます。最後にイエス様が墓の中で甦る場面もありますが、中心はイエス様の受難です。この映画を監督したのは「メル・ギブソン」という人です。この人は、子供の頃でしょうか、顔が―(病気がケガかで)―グチャグチャだったことがあったそうです。ある時、カトリックの神父さんが「あなたがイエス・キリストを受け入れるなら、私が整形外科医を世話しよう」と言って世話をしてくれました。お金も出してくれました。それでメル・ギブソンは、前に向かって生き直す希望を与えられた―(救われた)―のだそうです。それ故に彼は「私はキリストに借りがある」と言っていた。その借りを返すために、私財を投じて作ったのか映画「パッション」だったということです。
映画の中でローマ兵に痛めつけられながら十字架を運ぶイエス様を見て、私は一瞬「誰か助けに来ないものか」と思いました。もちろん誰も来ません。正義の味方は現れませんが、ただ1人、イエス様に手を貸すのが、今日の箇所に登場する「シモン」なのです。今日はこの個所から、特に「シモン」に焦点を当てて信仰の学びをします。「内容」と「適用」に分けてお話しします。
 

1:内容~十字架を担いで歩いたシモン

ここに「アレキサンデルとルポスの父で、シモンというクレネ人」(21)が登場します。クレネというのは、現在のアフリカのリビアにあった町です。クレネは、アフリカでもユダヤ人が多く住む町だったようです。その彼がエルサレムに居ました。おそらく「過越しの祭り」をエルサレムで祝うために、クレネからエルサレムに出て来ていたのだと思います。パレスチナ以外に住むユダヤ人にとって、エルサレムで「過越しの祭り」を祝うことは、生涯の夢でした。(もしかしたら、もっと前にクレネから出て来ていて、エルサレム近郊で暮らしていたのかも知れません。「いなか」というのは「エルサレム近郊」のことかも知れません)。しかしいずれにしても、エルサレムでとんでもないことが起こります。
囚人として十字架を運ぶイエス様は、既に散々な拷問や虐待を受けておられました。特にピラトの官邸における鞭打ちは酷いものでした。もう重い十字架を背負う力も尽きておられたのでしょう、運ぶことが出来ない。ローマ兵は、イエスの代わりに十字架を担がせる者を探します。その時に目をつけられたのが「クレネ人シモン」でした。体格も良かったのでしょう。有無を言わさずローマ兵に命じられて、イエスの十字架を担ぐことになりました。「ルカ福音書」には「彼らは、イエスを引いて行く途中、いなかから出て来たシモンというクレネ人をつかまえ、この人に十字架を背負わせてイエスのうしろから運ばせた」(ルカ23:26)とあります。シモンは、イエス様の歩かれるその直後を、十字架を担いで歩いたのかも知れません。映画「パッション」では、シモンは、イエス様と一緒に十字架を担ぎながら、イエス様に「もう少しだ、もう少しだ、頑張れ」と声を掛けていました。いずれにしても思いもしなかったことが彼に起こったのです。それは、ただ「重い物を背負わされる」ということだけでなく、イエス様がこの時受けておられた辱めを、自分も共に受けなければならない、身に引き受けなければならない体験でした。
しかし、この後シモンはどうしたのか。不思議なことにシモンは「あいつのお蔭で無理やり十字架を担がせられたのだ、俺はナザレのイエスなんか関係ないんだ」と腹を立てて、イエスを捨てたのではなかったのです。ここには「アレキサンデルとルポスの父で、シモンというクレネ人」(21)と書いてあります。これは「『マルコ福音書』の読者が当然アレキサンデルとルポスを知っている」という書き方です。「マルコ福音書」は「ローマでローマのキリスト者を読者として書かれた」と言われます。使徒パウロは「ローマ書」に「主にあって選ばれたルポスによろしく。また彼と私の母によろしく」(ローマ16:13)と書きました。アレキサンデルとルポスは、ローマ教会の信者だったのだろうと思われます。またその母親を、パウロは「私の母」と呼ぶような親しい関係にあったのです。ということは、シモンはキリスト者になったのではないでしょうか。だから家族もキリスト者になったのです。初代教会において彼は、「イエスの十字架を担いだ人、イエスの十字架の重さを知っている人」として存在したのだと思うのです。
しかし、なぜ彼はキリスト者になったのか。それは、はっきりとは分かりません。しかし「彼がこの出来事から何を知ったのか」、それなら思い測ることが出来ます。何度も「パッション」のことを申し上げますが、ピラト官邸での鞭打ちのシーンは、見るに耐えないシーンです。メル・ギブソンは「なるべく史実に基づいて当時の様子を再現した」ということですから、実際イエス様が受けられた鞭打ちも、それは残酷なものだったと思います。肉が裂けるのです。剥ぎ取られるのです。しかし「マルコ福音書」は、ここで「イエス様の十字架がどんなに残酷な、悲惨なものであったのか」、そういうことを書かないのです。読む人に、イエス様の十字架の苦しみを伝えようとすれば、それを書くことは出来たでしょう。でも、書かない。その代わりに2つのことを書くのです。その2つのことこそが、シモンが信仰を持つに当たって意味のあることだったのだと思います。
1つは、29節以降の「人々がイエス様を嘲笑する場面」です。言葉を換えると、人々の残酷さです。イエス様は、肉体的にも激しい痛みを経験されたでしょう。しかし、イエス様を痛めたのは、むしろこの人々の嘲りの中に現れた残酷さだったのではないでしょうか。それは、すでにイエス様が十字架を担いで歩く時、そしてシモンがイエス様の十字架を担いで歩く時からそうだったでしょう。シモンは、イエスの身になって人々の残酷さを身に受けたのです。人々は言うのです。(意訳します)「お前が十字架から降りるなら、それを見たら、信じてやっても良い。私の神にしてやろう」。残酷なだけではない。「信じてやろう、私の神にしてやろう」、人間が「神」というものを、本音の部分でどう捉えているのか、この言葉はそれを表現する言葉です。人間の罪、何よりも神に対する罪が、ここに現れるのです。そしてまた、その言い方は、荒野でイエス様を誘惑したサタンの言い方に似ています。その意味でも、人間の邪悪さが現れているのです。
シモンは、イエス様と共に人々の言葉を受けながら、今まで見えなかった人間の罪性を見たのではないでしょうか。人はどんなに残酷になれるのか、いや、人は神の前にどんなに罪深い存在なのか、十字架の重さは、人間の罪の重さなのです。だからどんなに救われなければ、変えられなければ、ならない存在なのか、それを知ったのではないでしょうか。
そして、それ以上に「マルコ福音書」が強調するのが、黙って嘲りを受けられるイエス様の姿です。なぜ、イエスは嘲りに対して何も答えないのか。イエス様が十字架に架られる時、24節に「それから、彼らは、イエスを十字架につけた。そして、だれが何を取るかを決めたうえで、イエスの着物を分けた」(24)とあります。「詩篇22篇」で預言されていることがここで起こったのです。「新改訳聖書」をお持ちの方は「27節の欄外注」として「異本28節として『こうして「この人は罪人とともに数えられた」とある聖書が実現したのである』を加えるものもある」とあるのがお分かりになると思います。その言葉は「イザヤ書53章12節」の引用です。つまりどちらも「旧約聖書」に書いていることが現実になった。後に「聖書」は「キリストが、聖書に書いてあるとおりわたしたちの罪のために死んだ…また、聖書に書いてあるとおり三日目に復活した」(コリント15:3~4)と書きます。「聖書に書いている通り」とは、「神の意志だった」と言っているのです。イエス様は「罪の中に生き、神さえも嘲り、天国への歩みが出来なくなっている、その人間を救う」という神の決意を断固として行っておられます。ここに神の「救い」の意志が行われている。それを、この箇所は強調しているのです。「人を救う」、それは「天国に入る」というためだけの「救い」ではない、「神が分らない。だから神の祝福を信頼して生きることが出来ない、祝福を待ち望む者の生き方が出来ない」、そこから救われなければならないのです。宗教改革者カルバンは、「人間にとって最も幸せなことは、どんな時にも神の祝福を信頼し切って生きることだ」と言いました。神の「救い」、それは「幸いに生きるための救い、祝福を生きるための救い」でもある。神は私達に「神の祝福を信頼して生きる生き方」を―(それは「神の祝福に与る生き方」と言ってもよいでしょう、それを)―回復させようとしておられるのです。
いずれにしても「人を救う」、それは神の意志です。その神の意志があるからこそ、罪人の私達でも救われるのです。CSルイスが次のようなことを言っています。「良いものも、悪いものも同様に一種の感染によってうつるものである。体を温めようと思ったら火の近くに立たなければならないし、濡れたいと思ったら水の中に入らなければならない。それと同様に、歓喜や力や平和や永遠の生命が欲しかったら、それを持っているものの近くに、いやその中にさえも入っていかなければならない。あなたがそれに近づくなら、それから噴き出すしぶきがあなたを濡らしてくれであろう。しかし近づかなければ、乾いたままでいるしかない」(CSルイス)。シモンはイエス様に近づきました。そして「神の意志」に触れたのではないでしょうか。もちろん、この出来事だけではなくて、後に使徒達の説教を聞いて、イエス様を心から信じたのではないかと思います。
「マルコ福音書」は、「救われなければならない人の罪の現実」を書き、「その罪人を救おうとされる神の意志」を書きます。それが、イエス様の十字架の核心だったのです。
 

2:適用~十字架を負って歩くことの祝福

この箇所から何を学べるでしょうか。聖書学者がこの箇所について共通して言うことがあります。それは「福音書は、ここに―(イエスの十字架を担いで歩いたシモンの姿に)―本来あるべき信者の姿、自分達のあるべき姿を見ようとしている」ということです。どういうことでしょうか。
この箇所から思い出される御言葉は、「マルコ8章34節」の御言葉です。「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい」(マルコ8:34)。イエス様は「信仰者は、自分を捨て…十字架を背負って、わたしに従いなさい」と言われました。そして、クレネ人シモンこそ、正に十字架を背負ってイエス様の後を従って歩いた人だったのです。そして福音書が、初代教会が、彼の姿に「信者の本来の姿」を見ているということは、私達は、十字架を背負い歩くシモンをイメージしながら、十字架を担いで歩くということについてもう一度真剣に考えなければならないと思うのです。
十字架を背負って歩くとは、どういうことなのでしょうか。「十字架を負う」とは、本来の意味は「死刑場に向かって歩いて行く」ということです。イエス様がそうであったように「自分が掛けられる十字架を背負って刑場に歩いて行く」、それが「十字架を負う」ということです。その意味で「十字架を負い…」というのは「死に行く」ということです。あるいは「自分を殺す」ということです。
では「自分を殺す」とは、どういうことでしょうか。ある大学の歴史学の先生は、学生がレポートを出すたびにいつもこう質問するそうです。「それで君は何が分かったのかね」。その質問の意味は「分かるということは、本当に分かるということは、分かった時に自分自身が変わるものだ」ということだそうです。私達は、イエス様を信じて、イエス様の教えを素晴らしいと思います。その素晴らしさが分かったつもりになります。でも問題は、「分かっても自分自身を変えない」ということです。どうでしょうか。私達は、「『分かった』と言って、自分を変えようとしない『その頑なさ』」を持って信仰生活をしているのではないでしょうか。「自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい―(わたしに従いなさい)」(8:34)、それは「『その頑なさ』を殺して、本当に私の言うこと、すること、それをしっかり学んで、その後を同じようについて来なさい」と言う招きの言葉なのではないでしょうか。シモンは、いわば強いられて自分を捨てさせられたのです。「自分を殺すことを強いられた」と言って良いでしょう。自分を殺さなければ、恥ずかしい十字架を背負ってイエスと一緒に歩くことは出来なかったのです。しかし彼は、自分を殺してイエスと歩いたのです。そして十字架を背負って歩いた時に、イエス様に触れたのです、「救い」に触れたのです。私達も、十字架を背負って歩く時に―(自分を変えない頑なさを殺して御言葉に生きる時に)―見えるものが、分かることが、あるのではないでしょうか。
ジョン・ロスというメノナイトの学者が言うのです。「キリスト教信仰は、見えない神様が見えるキリストになって下さったところから始まった。(『キリストの受肉』と言います)。そうであれば『信仰は受肉しなければならない―(つまり信仰は、具体的な形を取らなければならない)』」。形にならなければならない。それは、十字架を担いで歩くこと。つまり、イエス様にしっかり学んで、殺すべき「頑なさ」を殺して行くこと、御言葉に従って行くこと、そういう形を取らなければならないのだと思う。その時、私達は、永遠に向かって少しずつ変えられて行くのではないでしょうか。CSルイスが言っています。「来世でも、現世における行い―(正しい行為や勇気ある行為)―の結果としてのみ生まれるような、そんな人間であることが必要とされる機会は常に存在するに違いない…重要なのは、人々が自己の内部に、そのような品性の少なくとも萌芽をもっていなければ、天国が環境的にどんなにすばらしいところであったにしても、それは彼らにとっては『天国』になりえない――つまり、神が我々のために備えたもう深い、強烈な…幸福を、幸福として味わうことができない、ということなのである」(CSルイス)。今、私達が十字架を負い、イエス様に従い歩く―(御言葉を生きる)―その時にだけ私達の中に育てられる信仰の実、それが永遠の祝福に繋がるようです。
そして―(これはある本から学んだのですが)―「『自分の『頑なさ』において自分を殺すこと』を学んだら、次は『人を愛する労苦のために自ら死ぬことを学ぶこと』が出来る―(学ばなければならない)」とありました。さらに続けてこうありました。「『私の負うべき十字架はどこにあるのか』と改めて探す必要はない。人を愛することは、既に十字架を負うことである。家族でも、隣人でも、人を愛することは、自分をどこかで殺していなければ、本当には出来ないことである。『キリストに教わらなければ―(キリストに学ばなければ)―本当に人を愛することは出来ない』ということを知るところに、自ら十字架を負う道が生まれる」。
シモンは十字架を負ってイエス様の後を歩きました。私達は、自分の頑なさを変えることにおいても、誰かを愛することにおいても、十字架を負って歩くことを、シモンの姿を、求めて行きたいと願います。そのようにして、この生涯を、天国に向かう二度とないこの道を、一歩一歩大切に歩いて行きたいと願うのです。
 

 

聖書箇所:マルコ福音書15章1~20節  

 2004年、20年前になりますが、「パッション」という映画が評判になりました。ゲッセマネの園から十字架まで、イエス様の最後の12時間を忠実に描いていると言われる映画です。ご覧になった方もおられると思います。アメリカ映画ですが、イエス様役の人も、弟子達役の人も、当時、実際に人々が話していたアラム語で話すのです。それだけでも、興味をそそられる映画ですが…。この映画を見ると、十字架刑がどんなに惨たらしい刑か、イエス様がどんなに激しい苦しみを経験されたか、それが良く分かります。(機会があられたら、ご覧になられると良いと思います)。特に十字架に架けられる前のローマ兵による鞭打ちが、見るに堪えません。背中から血が噴き出し、背中の肉、脇腹の肉が引きはがされる、そういう感じです。「パッション」を作ったのは、メル・ギブソンという監督ですが、彼は監督をしながら一箇所だけ自分も画面に出ているのです。といっても、手だけです。イエス様を十字架に釘付けにするために釘を打つ、その釘を打つ手の役を自分でやっているのです。自分の罪がイエス様を十字架に架けた、私のためにイエス様は十字架に架かって下さった、そんな思いで彼が「パッション」を作った、それが伝わって来るエピソードです。
 さて、今日の箇所は、その「鞭打ち」の場面を含む個所ですが、「マルコ」は、イエス様がどんな酷い目に遭われたか、そんなことは書かないのです。では「マルコ」は、何を伝えたいのか、そのことを考えて行きたいと思います。「内容」と「メッセージ」に分けてお話し致します。
 

1.聖書の内容~裁かれる主イエス

 イエス様は、ゲッセマネの園で逮捕された後、まず大祭司の屋敷で開かれた即席の「最高議会」で裁判を受けられました。そこで最高議会は、イエス様に死刑の判決を下しました。しかし(先日も申し上げた通り)、当時、ユダヤ自治政府である最高議会には、囚人を死刑にする権限はありませんでした。それはローマから派遣されたユダヤ総督が持っていました。そこでユダヤ最高議会のメンバーは、イエス様を総督ピラトの所に連れて行くのです。そしてピラトに裁いてもらおうとするのです。
ピラトはイエス様に尋ねます、「あなたはユダヤ人の王ですか」(2)。{この辺りは「新共同訳」の方が実際の様子を良く再現していると思います。「新共同訳」では「お前はユダヤ人の王なのか」(2)と訳しています}。ユダヤ最高議会では、大祭司はイエス様に「お前はほむべき方の子、メシアなのか」(新共同訳61)と聞きました。そして、イエス様を「自分を神の子と自称した」ということで死刑に定めました。ところが、ローマ人であるピラトにとっては、ユダヤ人の宗教の問題は、どうでも良いことでした。ピラトは「それはユダヤ自治政府の仕事だ」と言って宗教問題には関わらない。ユダヤ人の指導者達はそれを知っていましたので、イエス様を訴えるのに「彼は自分を神の子だと自称した」というような罪状では訴えなかったのです。「ユダヤ人の王と自称した」と訴えたのです。それならば、ピラトが関わらざるを得ない政治問題です。何人であれ、ローマの許可(同意)なく勝手に「王」となることをローマは赦さないからです。さらに3節には「イエスをきびしく訴えた」(3)とありますから、「彼は騒ぎを起こす者だ、治安を乱す者だ、カイザルに税金を納めないように扇動する者だ…」、祭司長達、議会のメンバーは、そういうことを諸々訴えたのでしょう。それでピラトは、イエス様に「お前はユダヤ人の王なのか」と聞く。それに対してイエス様は「そのとおりです」(2)と答えられます。その後は、沈黙を守られるのです。
(6節から後に行きます)。イエスは沈黙を守られますが、その裁判の席で声を上げる人がいます。群衆です。群衆がやって来て「祭りの度ごとに行われている恩赦を実施して欲しい」と訴えるのです。彼らは「暴動の時に人殺しをして投獄されていたバラバ」を釈放するように要求します。10節を読むとピラトは、祭司長達の計略によってイエス様が訴えられていることに気づいています。それで、祭司長達の言いなりになってイエスを裁きたいとは思わなかったようです。しかし、祭司長達の言うことを全く無視することは出来ない。祭司長達には「ピラトのユダヤ支配の不手際をローマの中央政府に直訴する」という奥の手がありました。大祭司は、ローマで一定の影響力を持っていたようです。ピラトとしては、それをされると自分の経歴に傷が付きます。そこで、「恩赦の制度」を用いてイエスを釈放しようと考えます。
「バラバ」という男は、恐らく愛国主義的な暴力革命家でした。熱心党の一員だったかも知れない。(現代のテロを行う原理主義者のような者でしょう)。それだけにローマに反感を持っている国民には、恐らく人気があったのです。彼の名前は「イエス」だったと言われます。正式名は「バラバ{(バル・アバ/父の子)の短縮形}・イエス」と言ったとされています。「父の子」というのですから、「尊父」と仰がれる宗教指導者の子供だったのかも知れません。また「イエス/イエシュア/ヨシュア」という名前は、当時ポピュラーな名前でした。いずれにしても、群衆はバラバのことを指して「イエスを、イエスを」と言って来たのかも知れません。「イエス」と聞いてピラトは「このユダヤ人の王を釈放してくれというのか」(9)と言うのです。しかし、この群衆は「バラバの反ローマ革命運動」に期待して、バラバの釈放を求めて来た人々だったようです。そのような人々が集まるように、祭司長達が手を打ったのかも知れません。それで「バラバ・イエス」ではなく「ナザレのイエス」が釈放される可能性が出て来た時、この群衆は激しく叫ぶのです。しかも「バラバ・イエスが釈放されるように」ということだけでなく、祭司長達から「ナザレのイエスを死刑にするように」叫ぶように扇動されていたのでしょう―(「イエスは神を冒涜した」と聞かされていたかも知れません)。
結局ピラトは、群衆の声に負けるのです。ピラトにすれば、自分がユダヤを治めている間に、祭司長達に直訴されるのは困るし、また群衆に暴動を起こされるのも困るのです。自分の失点になります。だから、ある程度は群衆を宥めて治めざるを得ない。それで、そうやって群衆の声を聞いて、イエスを有罪として十字架につけることに同意するのです。
イエス様は、鞭打たれ、ボロボロになられたことでしょう。映画ではそうでした。さらに兵士達は、イエス様を「ユダヤ人の王様、万歳」と言って嘲弄するのです。イエス様が語られた受難予告―{「人の子は、祭司長、律法学者たちに引き渡されるのです。彼らは、人の子を死刑に定め、そして、異邦人(ローマ人)に引き渡します。すると彼らはあざけり、つばきをかけ、むち打ち、ついに殺します」(10:34)}が現実になるのです。
 

2.メッセージ~主イエスを王とする

 この箇所は、私達に何を語るのでしょうか。イエス様の言葉に帰って考えたいと思います。ピラトはイエス様に聞きます。「お前がユダヤ人の王なのか」(新共同訳2)。それに対してイエス様は「そのとおりです」(2)と言われますが、原文では「あなたが言った」です。それで「新共同訳」は「それは、あなたが言っていることです」(新共同訳2)と訳しています。「新共同訳」の訳の方が原文に近いということになります。しかし分り難いです。「メッセージ訳」という聖書は、マルコの意を汲んで、もう少し分りやすくこう訳します。「あなたがそう言うなら、そうです」(メッセージ訳2)。どういう意味でしょうか。
この箇所を読んで気づくのは、ここに「ユダヤ人の王」という言葉が4回も出て来るということです。それぞれの人がそれぞれの使い方をします。2節のピラトは「こんな男がユダヤ人の王か」と皮肉を込めて使っているかも知れません。9節や12節では、ピラトは、ユダヤ人指導者達に対するあてつけとして、イエス様のことを「ユダヤ人の王」と言っているかも知れません。また18節の兵士達は、イエス様をバカにしながら「ユダヤ人の王」とからかいます。しかし、イエス様は言われます。「あなたがそう言うなら、そうです」。ピラトは、そんなに深い意味を込めて言っているのではないかも知れません。またイエスを「王だ」等と思って言っているのではないかも知れません。しかしイエス様は、真実の意味においては王なのです。「ユダヤ人の王」であるだけではなく、「世界の王の王」です。そして、そのイエスが言われる。「あなたがそう言うなら、そうです―{私は(あなたの)王です}」。そしてマルコが「ユダヤ人の王」という言葉を4回も書き留めた意味、それは読者に「あなたはイエスを誰だとするのか。真実の意味でイエスを王とするのか」、そう問いかけているのだと思うのです。しかも「ユダヤ人の王」と言われているその意味は、私達の生きる現実からかけ離れたような、現実の政治からかけ離れたところで「王」だというのではなく、私達の生きているこの現実の社会の中において、私達はイエス様を「王」とするのか、それが問われていると思うのです。誰かを「王」とするという概念は、もう1つ、私達には身近ではありませんが、それは、現実の中で、その方に信頼を置き、従い、献身を捧げ、仕えることでしょう。三浦光世さんが妻の綾子さんに言った言葉が心に残っています。綾子さんが「氷点」を1年かけて書いて来て、もうすぐ完成という時、締め切り日が迫っていたので、彼女は光世さんに頼みました。「毎年の子ども達を集めてのクリスマス会を今年だけは延期したい」。光世さんは言いました。「神の喜び給うことをして落ちるような小説なら書かなくて良い」(三浦光世)―(凄い言葉です)。神を「王」とするということは、こういうことかも知れません。
 戦前の日本では、キリスト者は―(分かり易く言うと)―「天皇を『王』とするのか、イエス・キリストを『王』とするのか」と問われたそうです。礼拝の最初に、皇居遥拝と言うのでしょうか、神様を拝む前に、天皇を拝まなければならなかったそうです。ある人々は「日本的キリスト教」ということを言い、「天皇を礼拝することとイエス・キリストを礼拝することは、次元の違うことなのだ、矛盾しないのだ」と言って妥協を図ろうとしたのです。もちろん当時のクリスチャン達にも、大変な戦いがあったことでしょう。安易に批判することは出来ませんが…。
話を元に戻しますが、この箇所は、「現実的なことと霊的なことを区別する、イエス・キリストと地上の王とを次元の違うところに置く」、そういう信仰を意図してはいないと思います。ここでイエスは、現実社会の「王」として裁かれている。マルコは、その意味での「王」という言葉を何度も何度も使うのです。その意味で、この箇所は私達に「あなたは生きる現実においてイエスをあなたの「王」とするか」、そう問い掛けるのです。平和な時代は良いです。しかし国家の体制が、戦前のようなことになった時、キリスト教は国粋的な政治とぶつかるかも知れません。しかしそれは、キリスト教が時代の価値観に左右されない神の真理として存在しているからです。その真理を不都合とする時の権力の方がおかしいのです。戦前、キリスト教を弾圧した権力も、国家の政策に迎合したキリスト教の一部の勢力も、戦後「自分達の間違いだった」と認めざるを得なかったのです。真理だから、私達はイエス様を「王」とするところ、そこに立つ価値があるのです。私達は、平和な時代から、「イエス様が私の王である」ということ、「誰に何を言われようとも、これは譲れない」という、その覚悟を育てる必要があるのではないでしょうか。イエス様は言われるのです。「あなたが私を『王』とするなら、私はあなたの『王』である。『王』として、あなたを守る」。
しかし、この箇所は「イエスを『王』とする」ことについて、さらに踏み込んで語っていると思います。それは、イエス様を「王」として生きるということは、具体的には、例えばどうすることなのかということです。
イエスは黙っておられます。ピラトは驚きます。彼は裁き人として「訴える者も訴えられる者も、一生懸命自分の義を主張する」、そういう裁判に慣れていたでしょう。しかし、イエスは黙っておられる。その代わりに回りの者がイエスを裁いて声を上げるのです。祭司長達は、イエスのことを「死刑にあたる」と裁きました。そして、ここでイエス様のことを色々と訴え出ます。群衆も「十字架につけろ」と裁きました。いや、群衆こそ、裁きました。イエス様の回りにいる全ての者が裁いているのです。なぜ、皆が裁くのか。なぜ人々は裁くのでしょうか。
私達の日常にこの問題を置き換えると、私達も―(「私も」と申し上げるべきかも知れません)、身の回りの人を「あの人は、○○だ」と裁くのではないでしょうか。私はそうなのです。だから、私は自分に向かって言わざるを得ないのですが…。なぜ私は―(「私達は」と言っても良いでしょうか)―対人関係において人を裁くのでしょうか。それは、何よりも「自分が正しい」と思うからでしょう。それは多くの場合、事実かも知れない。あるいは、誰かの不条理な言動に対する怒りかも知れません。しかしそれだけでなく、私達は、心の深いところで、無意識かも知れませんが、誰かを裁くことによって、裁いている自分が某かの優越感を覚える、そういう面があるのではないでしょうか。この民衆の姿と自分の姿とが、何か重なるような気がします。皆様はいかがでしょうか。
しかし、イエス様は、何とも言わずに黙っておられます。なぜ無実を主張されないのでしょうか。それは、イエス様は、ピラトの裁判を受けておられるのではないのです。ピラトの裁判を通して、神の裁判を受けておられるのです。人の―(私達の)-罪を背負って神の裁判を受けておられるのです。その神の裁判において、私達の罪を背負っておられるイエス様は、反論出来ないのです。私達の罪の一切を背負っておられるから、イエス様は無実ではない、有罪なのです。イエス様は、ここで、ただ祭司長達の、群衆の、ピラトの愚かさを嘆いて沈黙されているのではないのです。ここで、私達のために神の裁きを受けておられる、だから沈黙されているのです。そうやって、実は裁かれるべき私達が赦されるのです。神がイエス様によって私達の罪を赦して下さっているのです。
私達がイエス様を「王」とするということはどういうことか。それは、例えば、私達が、「私は、私が『王』と仰ぐイエス様に、私の罪の罰のために死んでもらった者である、イエス様によって罪を赦してもらった者である」というところに、立つということではないでしょうか。しかし、それは消極的なことではない、素晴らしいことなのです。あのペテロの後の大きな働きは、どこから出て来るのか。彼が自分の罪を自覚したところから―(「イエス様に罪を赦してもらったのだ」と思うところから)―出て来るのではないでしょうか。ヨハネは、「雷の子」と呼ばれるくらい激しい人でした。でもヨハネも、後に「愛の使徒」と呼ばれました。「自分の罪を自覚したところ、イエス様にそれを赦してもらったことを自覚したところから始まった変化だった」と思うのです。
私達も「私は、ただ『王』なるイエス様に、一切の罪を赦して頂いた存在である」ということを忘れてはいけないと思います。私達が、その罪を神様に赦されるために、じっと沈黙を守っておられるイエス様の姿を忘れてはいけないと思います。それが、色々な形で私達の生き方を変えて行くのです。それは例えば、「安易に隣人を裁かない」という生き方となっても現れて来るのかも知れないと思うのです。
 

3.終わりに

 イエス様は、私達に変わって鞭打たれ、裁きに耐え、十字架を忍んで下さいました。「人間にはただ一度死ぬことと、その後に裁きを受けることが定まっている」(ヘブル9:27)。本来は、私達が受けるべき罰でした。しかし私達は、イエス様の受けて下さった裁きによって、もうどんな裁きも恐れる必要はなくなったのです。全ての罪を既に赦され、「神の子」にまでされているのです。どんな時にも、神の愛と配慮を信じ、神様に、イエス様に、期待することが出来るのです。その特権を下さった神様が、イエス様が、私達に求めておられるのは、私達がイエス様を、「王」とすることなのです。イエス様を「私の王」として、いつも心の深いところにお迎えしましょう。
 

 

聖書箇所:マルコ福音書14章54、66~72節  

 前にもお話したことがありますが、私は、日本に帰って来て間もない頃、信号無視で捕まりました。日曜日、礼拝の帰りでした。田舎道の小さな交差点を「こちらが優先道路だ」と思って通り過ぎたら、パトカーが追いかけて来ました。その交差点の真中に四方を向いて点滅している小さな信号があったらしいのですが、私はそういう信号機のことを完全に忘れていましたから本当に見えなかったのです。車を脇に寄せて止まると、警察の方がやって来て私に聞かれました。「信号があったでしょう」。「いや、気がつきませんでした」。「あったのですよ」。「お仕事は何ですか」。「えッ!」。仕事を聞かれると思っていませんでした。恥ずかしくて「牧師です」と言えなかった、というか言いたくなかったのです。やっと絞り出すようにして「キリスト教会の牧師です」と言いました。あれほど「牧師です」と言いたくなかったことはありません。家内も、まだ小さかった子供も乗っていましたし、神妙にしていたら、警察の方の口調も柔らかくなられて、最後は違反の切符を手渡しながら「ご迷惑をおかけします」と言われました。「ご迷惑をおかけします」という言葉も何かおかしかったのですが、それ以上に「牧師です」と言いたくなった、その情けない思いが心に残りました。でも―(交通違反ということでなくても)―「お仕事は何ですか」と聞かれた時に「教会の牧師です」と自然に言えないような、そんな自分が今もいます。皆さんはいかがでしょうか。「私はクリスチャンです。私は教会に行っています」と何の抵抗もなく言っておられるでしょうか。
今朝の箇所は、ペテロがイエス様を3度否認する、という有名な個所です。「内容」と「メッセージ」に分けて、ご一緒に学びましょう。
 

1:内容~イエス様を否んだペテロ

イエス様はゲッセマネの園で逮捕され、大祭司の屋敷に連れて行かれました。ゲッセマネの園から逃げ出したペテロは、大祭司の屋敷までイエス様の後をこっそりつけて行ったようです。そして大祭司の屋敷に入り込むのです。66節に「ペテロが下の庭にいると」(66)とありますから、屋敷の二階部分ではユダヤ議会のメンバーによる「イエスの裁判」が続いている、その「イエスの裁判」と同時並行的に下の庭では「ペテロを取り巻く出来事」が起こっている、そういう状況です。
寒かったのでしょう。裁判が行われている間、下役の者達や屋敷に仕えている者達が火に当たっているのを見て、ペテロもそこに近寄って行ったようです。恐る恐る火に当たっていたのかも知れません。そこに新しい薪が投げ込まれたのか、火が燃え上がりました。ペテロの姿も照らし出されたのでしょう。その時、大祭司に仕える女から突然「あなたは、あのナザレのイエスの仲間でしょう、私は見たんだよ」と言われた。彼は「『何を言っているのか、わからない。見当もつかない』と言って、出口のほうへと出て行」(68)くのです。しかし女はしつこかった。後をついて来ます。そして、そこにいた人々に「この人は、あの人達の仲間です。ナザレのイエスと一緒にいたあの人達の仲間です」と言いました。ペテロは再び打ち消します。しかしこの女一人だけでなく、周りの者達も言い出したのです。「あなたにはガリラヤ訛りがある。あなたはナザレのイエスの仲間だろう」。それに対してペテロは「のろいをかけて」否定します。「のろいをかけて」という言葉を「新共同訳」は「呪いの言葉さえ口にしながら」と訳します。誰を呪う言葉だったのでしょうか。ある注解書は「『私が真実を言っていないとすれば、神が私を裁いて下さるように』と叫んだ」(71)と説明します。「自分を呪った」ということだったのかも知れません。いずれにしても、そのようにしてだんだんと調子を激しくしてイエス様を3度否定した時に、2度目の鶏が鳴くのです。ペテロはそこでイエスの言葉を思い出します。「最後の晩餐」の時、ペテロとイエス様の間でこんなやり取りがありました。「ペテロがイエスに言った。『たとい全部の者がつまずいても、私はつまずきません』。イエスは彼に言われた。『まことに、あなたに告げます。あなたは、きょう、今夜、鶏が二度鳴く前に、わたしを知らないと三度言います』。ペテロは力を込めて言い張った。『たとい、ごいっしょに死ななければならないとしても、私は、あなたを知らないなどとは決して申しません』…」(マルコ14:29~31)。「イエス様の言われた通りだった」。ペテロは、自分の現実(本性)を見せられ、情けなさ、恥ずかしさ、悲しさ、自責の念、そのようなどうしようもない思いを抱えて泣くのです。しかしそれは、イエスを「知らない」と言い続けて逃れようとした、ペテロの自我が崩れ始める時でした。本当の意味での悔い改めが始まる時だったのです。
 

2:メッセージ

この箇所は、2つのメッセージを語っていると思います。

1)警告~神を否定しない

1つは、「イエスを否定することに対する警告」です。ペテロは結局、「あなたはナザレのイエスの仲間だ」、そう言われて、イエス様を否定します。初代教会の人々は、ある場合は「ナザレ人という一派」(使徒24:5)と呼ばれました。「あなたはナザレ人の一派の者だ、連中の仲間だ」、そう言われて迫害されたのです。今の時代に置き換えれば、「あなたはクリスチャンだ、あなたが教会に行っているのを知っている」、そう言われることかも知れません。もちろん、そう言って私達を迫害する人はいないかも知れません。しかし、日本でも戦争中は「敵国宗教を信じている非国民」と責められたのです。ある時、キリスト教放送を聞いていたら、ある人が「戦前は『非国民』と言われ、戦後はマルクス主義の先生から『人類の敵』と言われた」と証しをしておられました。投獄された牧師もいます。解散させられた教会もあります。実際、多くの人が教会を去ったのです。今がそういう時代でないことは、本当に感謝です。
しかし、私達はどうでしょうか。「日本のクリスチャンは、礼拝の出かけに近所の人から『どちらにお出かけですか』と聞かれると、『教会に行きます』とは言わずに、『ちょっとそこまで…』と答える」と聞いたことがあります。教会に行っていることをそっとしておきたい、そういう気持ちからでしょうか。あるいは、思いもしないところで「あなたはクリスチャンだ、教会に行っている」と言われて、身構えてしまうようなことがあるかも知れません。あるいは、仏式や神式の葬儀は、いつもチャレンジです。日本の社会の中で信仰者として生きて行くことは、まだこの国の文化や社会と何の抵抗もなく馴染む、というわけにはいかないのかも知れません。皆さんも色々な葛藤を経験されることでしょう。
しかし、それでもこの話は、「人間は弱いのだ」と語って、私達を慰めようとする物語ではないと思います。やはり、ペテロがイエス様を否定したことを「罪の姿」として描くのです。その意味で、私達が「イエス様を信じて生きていること、教会に行っていること」、もし、それをどこかで隠そうとする思いがあるとするなら、それはこの箇所が語る「神に喜ばれない思い(罪)」ではないでしょうか。「隠そう」とすることも罪でしょうが、(私が信号無視で捕まった時のように)「隠しておきたい、言いたくない」と思うような生活をしているとしたら、それも罪だと言えるかも知れません。もちろん「クリスチャン、クリスチャン」と触れて歩く必要はないでしょう。しかし使徒パウロが「わたしは福音を恥としない」(ローマ1:16)と言った言葉を、いつも心の中に住まわせておきたいと願うのです。
しかし、私達はもっと表に出ないところで神を否定しているのではないか。この箇所は、それを問うのです。ペテロは呪いました。申し上げたようにそれは「私が真実を言っていないとすれば、神が私を裁いて下さるように」という言葉だったかも知れません。しかしこの言葉は、もっと深い意味を含んでいると思います。彼は自分を呪った。どう呪ったのでしょうか。彼は、心の深いところでこう思ったのではないでしょうか。「なぜ、イエスという男について来てしまったのか。お前はバカだ!」、そう自分を呪い、あるいはイエス様まで呪ったのではないでしょうか。しかし自分を呪う、自分の人生を呪うということは、「自分の人生は神の祝福の中にはない」と決めることです。そういう形で神を否定することです。ペテロには、この後、およそ考えることも出来なかったような、癒しと、喜びと、祝福が待っていたのに、です。
しかし私達もまた、このようなことをしてしまうことがあるのではないでしょうか。「自分は神の祝福の中にいるのだ」ということを認めない、否定する。そうやって、神様を心の中で否定してしまうことがあるのではないでしょうか。私は、鬱で入院した時、自分を呪いました。「なんでこんなことを始めてしまったのか。お前はバカだ!」。そして信仰も、神様も、どうでも良くなりました。私は「自分は神の祝福の中にいる」ということをとても信じることは出来ませんでした。友人が病室を訪ねて来て、言ってくれました。「神は、もうあなたのために業を始めておられるのだよ」。そんなこと、とても信じられませんでした。でも、その通りだったのです。その時も、私は神の恵みの御手の中にいたのです。
色々な状況が私達の毎日の生活の中にあります。その中で現実の問題に翻弄されて、「自分が神の祝福の中にいる」ということを信じることが出来ないようなこともあると思うのです。一昨年の鬱の時は、私はより激しく神の恵みを否定しました。神様さえ呪いました。しかし、この箇所は、私達に語るのです。「神の祝福を否定していないか。神の祝福の中にいることを否定してはならない。神の深いみ旨、深いお考え、を信じなさい」。
 

2)慰めと励まし~神が救いを達成して下さる

しかしこの箇所は、「イエスを否定してはいけない」と叱咤激励するだけではなく、慰めと励ましも語るのです。「マルコ福音書」というのは、ペテロが語ったことをマルコが書いた、と言われます。ということは、ペテロにとってのこの情けない話は、どこから出て来た記事かというと、他ならぬペテロの口から出て来たことなのです。ペテロにしても、出来れば知られたくなかったことだと思うのです。なぜペテロは、このことをわざわざ語ったのか、「福音書」の中に記録として留めたのでしょうか。
ペテロは、イエス様の言葉を思い出して泣きました。イエス様は、ペテロの裏切りを見抜いておられたのです。しかし「ペテロの物語」は、そこで終わりではなかったのです。ペテロの涙を拭って下さる方がおられたのです。イエス様です。「ルカ福音書」によれば、最後の晩餐の時、イエスは言われました。「シモン、シモン。見なさい。サタンが、あなたがたを麦のようにふるいにかけることを願って聞き届けられました。しかし、わたしは、あなたの信仰がなくならないように、あなたのために祈りました。だからあなたは、立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい」(ルカ22:31~32)。この言葉は、何を意味するのでしょうか。
イエスはペテロの裏切りを知っておられた、ペテロ以上にペテロの真の姿を知っておられた、しかしそれを知った上でペテロを赦しておられた、ということです。ペテロの裏切りを赦し、しかも信仰がなくならないように、立ち直ることが出来るように、祈っておられたのです。ペテロにとって、この言葉がやがてどれほど大きな慰めになっていったことでしょうか。悔い改めを助けたことでしょうか。
そして、この言葉をサポートするかのように、イエスが甦られた日、墓に行った婦人達に天使は言いました。「驚いてはいけません。あなたがたは、十字架につけられたナザレ人イエスを捜しているのでしょう。あの方はよみがえられました。ここにはおられません…ですから行って、お弟子たちとペテロに、『イエスは、あなたがたより先にガリラヤへ行かれます。前に言われたとおり、そこでお会いできます。』とそう言いなさい」(マルコ16:6~7)。ペテロが、神の配慮の真中にいるのです。「ルカ24章32~34節」には「すぐさまふたりは立って、エルサレムに戻ってみると、十一使徒とその仲間が集まって、『ほんとうに主はよみがえって、シモン(ペテロ)にお姿を現わされた』と言っていた」(ルカ24:33~34)とあります。甦られたイエス様は、まずペテロを訪ねて下さったのです。このようにしてペテロは、絶望の涙の中から、イエス様の赦しと慰めと励ましの中で立ち上がって行くのです。やがて弟子達は「使徒」として任命されますが、ペテロがそのリーダーとされて、彼は伝道の生涯を生きて行くのです。この時にも「あなたは、立ち直ったら、兄弟たちを力づけてやりなさい」(22:32)、この言葉がどれだけ大きな意味を持ったでしょうか。「自分のようなものが…」、彼はそう思ったでしょう。でもイエスは「あなたは、また兄弟を力づけて行くのだ」と言われたのです。そして彼は、迫害の中にいる信仰者達を励まし続け、最期には、皇帝ネロの迫害の中で殉教して行くのです。バチカンの聖ピエトロ大聖堂は「ペテロが十字架で殉教した、その場所に建てられている」と言われます。ペテロは救いの生涯を全とうして、見事に天に凱旋して行くのです。
どうして彼は、そういう生涯を生き抜くことが出来たのでしょうか。彼が強かったからでしょうか。そうではありません。彼ははっきりとイエス様を否定した、イエス様を捨てたのです。イエスを信じてついて来た自分を呪い、もしかしたらイエス様を呪いました。しかし、イエス様がそのペテロを赦し、包み込み、ペテロの涙を拭い、再び立ち上がらせて下さったのです。涙の中で悔い改めるペテロに、聖霊の力を覆わせ、その歩みを導いて行かれたのです。ペテロは自分の弱さを知りました。自分の罪を知りました。それだけに「その弱い、罪深い自分を、主は赦し、導き続けて下さった」、そのことを語りたかったのではないでしょか。それが「福音」です。それを語り、クリスチャン達に、自分がたとえどんな状態になろうとも信仰を諦めないこと、救いを諦めないこと、赦しがあること、「神は恵みの神であること」、そのことを言いたかったのではないでしょうか。
私達も思い出せば、恥ずかしいこと、自己嫌悪に陥りそうなこと、自分の中に大きな傷を持ち、心には棘が刺さっている、しかも日々の生活の中で小さな失敗を重ね、時には思いがけない時に神の恵みを否定してしまうこともある、そんな者ではないでしょうか。しかし、そんな私達にも、神の赦しと、慰めと、励ましは尽きないのです。そして、ペテロが自分の大失敗を、失敗の故にイエス様のことが分かり、福音が分かり、神に立ち上がらせてもらったそのことを、人々に語りたいと思うようになったように、私達の失敗は、失敗のままでは終わらないのです。神は、それさえ私達のための益にして、私達を導いて下さるのです。そして、その躓いた経験は、信仰の立つ瀬となり、さらに誰かを励ます証しとなるのです。
あの遠藤周作の「最後の殉教者」という短編の中でも、長崎で起こった迫害の中で一番最初に信仰を捨てた臆病者の喜助に、神が語られ、彼を立ち上がらせ、その喜助が、拷問に耐え、信仰を守っていた村人を励まして行ったように、私達の辛い経験は、誰かを慰め、励まし、支えるものとなるのです。私達は、ペテロを赦し、慰め、励まし、恵みを注ぎ立て上げて下さった、その神様を信じているのです。何という恵みでしょうか。
 

終わりに

ペテロの姿は私達に「主を否定することへの警告」を語ります。同時に「私達の救いを全うして下さる神の大きな御手」を語ります。私達も、信仰を精一杯働かせて、恵みの神を証しする生涯を生き抜きたいと思います。