2022年6月 佐土原教会礼拝説教

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聖書箇所:マルコ福音書8章27~30節    

 昨年8月、アメリカはアフガニスタンから撤退しましたが、その長い戦争の原因になったのは、2001年9月11日の同時多発テロでした。その時、ワシントンの国会議事堂を標的にしていた飛行機は、乗客の抵抗に遭い、ペンシルベニア州ピッツバーグ市の郊外に墜落しました。乗客は全員亡くなりましたが、地上には1人の死者も出さずにすんだのです。ワシントンへの攻撃を阻止した乗客の1人はトッド・ビーマーというクリスチャンでした。事件の後、残された奥様(リサ・ビーマー)は、失意の中で「でも神に信頼して、委ねて生きて行こう」という証の本を書いて、多くの人に励ましを与えました。彼女は次のように語っています。「私は神を信じる道を選びました。なぜか、その理由を知りたいとは思いません。ただ、私はその道を日々選び取ります…私はあきらめたくありません。人生は前に向かって進んで行くのです。私は信仰と希望と愛に行きます」。アメリカも、色々な問題を抱えています。しかしそのアメリカには「私は神を信じる道を日々選び取ります」というメッセージを語る人がいます。そのメッセージは今、アメリカもそうですが、世界中の人が揺すぶられている時、人々の目を神に向けさせる、ますます大きな意味を持って来ていると思います。
 そして彼女の言葉は、今日の聖書個所が中心的に語るメッセージを要約している言葉でもあるように思います。今日も2つに分けてお話しします。
 

1:内容~主イエスを「キリスト」と告白したペテロ

 27節に「イエスは弟子たちとピリポ・カイザリヤの村々へ出かけられた」(27)とあります。今日の個所は、ペテロがイエス様のことを「あなたは、キリストです」(29)と告白する個所です。この告白を境にして「マルコ福音書」は「十字架」に向かって書き進められることになります。その重大な「ペテロの告白」を引き出す個所としてイエスが選ばれたのがピリポ・カイザリヤでした。なぜここを選ばれたのでしょうか。
 ピリポ・カイザリヤ―(現在ゴラン高原に存在)―は美しい自然に囲まれた風光明媚な場所だそうです。ローマ帝国がこの地域を征服した後、ローマ皇帝はここを自分のものとしました。しかし、皇帝の後ろ盾でヘロデ大王がパレスチナの領主となった時、皇帝(カイザル)はここをヘロデ大王に与えました。ヘロデはそのことに感謝して、また皇帝に阿る目的もあって、ここに皇帝(カイザル)を祭る大理石の神殿を造り、カイザルを神として崇めたと言います。「ユダヤ人の王」が…です。カイザリヤという名前はカイザルから来ています。そのようにピリポ・カイザリヤは、皇帝礼拝が行なわれ、時の権力者の威光がいやが上にもクローズ・アップされる所でした。またピリポ・カイザリヤは、ギリシャ神話の神である「パン(パーン)神」という牧羊の神が祭られている場所でもありました。牧羊に精を出す牧童達が、そこに「牧羊の神パン」を祭るための神殿を造っていた、そういう場所でもあります。さらにここは、山の中腹からヘルモン山の雪解け水が勢い良く湧き出ている所でもあり、その流れはヨルダン川の源流となりました。ヨルダン川は、「旧約」の歴史の中で様々な役割を果たす川です。その意味でヨルダン川の源流は、ユダヤ人にとってユダヤ教の歴史や伝統をいやが上にも感じさせました。要するにピリポ・カイザリヤは、ギリシャの偉大な文明を意識させ、またユダヤ教の歴史と伝統を意識させ、何よりも当時の世界を支配しているローマ皇帝の絶大な権力を意識させるような場所だったのです。逆に言うと、それらに比べて「『ナザレ出身の放浪の説教家イエス』を信じる信仰」が、ちっぽけに見えるような場所だったということです。私達―(日本人キリスト者)―は、しばしばキリスト教会の小ささを意識させられることがあります。「小さな群れに属するこの私が、イエスに捧げる小さな祈りが、何になるのか。この世の現実の様々な力の前で私達は何と小さな存在か」、そう思わされ、内側に、内側に籠もるような思いにさせられることがあるのではないでしょうか。弟子達にとって、ピリポ・カイザリヤが正にそのような場所だったのです。その場所でイエス様は、弟子達に重大な質問をなさるのです。その質問に弟子達が何と答えるのか、それは、ここまで弟子達を訓練して来た、その真価が問われることだったのです。もし弟子達がイエス様の期待に全く答えられないとしたら、イエス様は弟子の教育をやり直さなければならないということになるのです。
 イエス様はまず聞かれます。「人々はわたしをだれだと言っていますか」(27)。彼らは答えます。「バプテスマのヨハネだと言っています。エリヤだと言う人も、また預言者のひとりだと言う人もいます」(28)。この言葉には背景があります。ユダヤ人は「私達は、神の特別の民、選民である、だから私達は、世界において特別の地位にあらねばならない」、そう考えていました。事実ダビデ王、ソロモン王の時代、イスラエル人は中東世界の覇者だったのです。しかしその後、アッシリア、バビロン、ギリシャ、ペルシャ、ローマと大国の支配の下で細々と生きることを余儀なくされて来ました。しかし人々は、神の言葉に期待していました。かつて神はダビデに「あなたの身から出る世継ぎの子…の王国を確立させ…その王国…をとこしえまでも堅く立てる」(2サムエル7:11~13)と約束されました。人々は「ダビデの家系からもう一度イスラエルに栄光をもたらしてくれる王―{油注がれた者―(神の特別の役割を果たす者、それを『メシア』と言った。『メシア』のギリシャ語訳が『キリスト』)}―が登場して来るに違いない」と期待しました。しかし、待っても、待っても状況は変わらない。その中で「ダビデの子孫からメシアが来る」という思想は引き継ぎながら、「もう普通の現実的な方法ではどうにもならない、『どんなに強い国にも立ち向かい、打ち負かすことの出来る力』で神の救いを実現する、そういう人が来なければどうしようもない。神は必ずそのような救い主(メシア)を送って下さる」と希望を持ち始めたのです。それがイエス様の時代です。「そのような救い主(メシア)が来る時には、その前に『「旧約」の預言者エリヤ』が『メシアの先駆者』としてやって来る」ということも信じました。「バプテスマのヨハネだと言っています。エリヤだと言う人も、また預言者のひとりだと言う人もいます」(28)という人々の評判は、その希望の上にあるのです。「バプテスマのヨハネ」は、信仰復興運動を展開して社会に大きな影響を与えた人です。人々は彼を「エリヤの再来」と見ていたのではないでしょうか。彼が殺された後は、人々は「その再来」をイエスに見ました。また、イエス様が古い慣習に縛られずに権威を持って教えをなさる姿に、人々は「メシアの先駆者」としての姿を―(少なくても「神の言葉を持っている預言者」としての姿を)―見たのではないでしょうか。
 さて、それを前提にしながら、しかしイエス様が本当に尋ねたかったのは、その次の質問です。「では、あなたがたは、わたしをだれだと言いますか―(『それでは、あなたがたはわたしを何者だと言うのか』新共同訳)」(29)。「イエスはこの質問に全てを賭けていた」と言った学者もいます。そこに弟子達を代表してペテロが言いました。「あなたは、キリスト(メシア)です」(29)。この答えは、私達から見れば何でもないように見えますが、素晴らしい答だったのです。人々はイエス様のことを「メシアの先駆者」としては見ることが出来ました。しかし「メシアそのもの」と見ることは出来ませんでした。しかし彼は、イエス様の中に「メシアの到来」を見ました。「放浪の説教家ナザレのイエス」を「世界に決定的な救いをもたらす者」と見ることが出来たのです。だからイエス様は喜ばれました。「マタイ福音書」の平行個所を見ると、イエス様はペテロに「バルヨナ・シモン。あなたは幸いです。このことをあなたに明らかに示したのは人間ではなく、天にいますわたしの父です」(マタイ16:17)と言っておられます。 
 しかし同時にイエス様は、「自分のことをだれにも言わないようにと、彼らを戒められ」(30)ます。確かにペテロは、イエス様を「メシア」だと認めた。しかし彼が「メシア」と言う名前を使う時、やはり他のユダヤ人と同じような期待があったのです。「政治的に偉大な権力者、どの王よりも優れた王、ユダヤ人を虐げて来た人々を裁いて復讐する王」を考えていたでしょう。その意味でペテロは、「ではメシアとは何をする者なのか」、教えられて行かなければならなかったのです。教えられ、本当の意味で理解して、そして自分も、イエス様の十字架を担げる人間にならなければならなかったのです。だからまだ言ってはならないのです。
 

2:メッセージ~主イエスを『キリスト』と告白して生きる祝福

 この個所のポイントは29節の「では、あなたがたは、わたしをだれだと言いますか」(29)というイエス様の質問です。この質問は、イエス様の目の前にいる弟子達にだけ為されているものではありません。今、私達に向かっても為されている質問です。私達は、イエス様の質問に対して、イエス様に何と答えるでしょうか。
 私達は今、神様(イエス様)に向かって礼拝を捧げています。それを神が喜ばれるし、礼拝を通して神様と交わることは、信仰生活の土台だからです。礼拝で私達は、讃美を捧げ、祈りを捧げ、御言葉を聞き、捧げものを捧げ、コロナ禍でなければ交わりを喜びます…。これら1つ1つは、礼拝の要素として大切なことです。それが私達の霊的生活を支え、励まします。しかし一方で、礼拝はそれだけのところではありません。礼拝で大切なことは、私達がイエス様にお目にかかることです、神にお会いすることです。それは目に見えない霊的な事柄です。だから私は礼拝の前に祈ります。「礼拝が祝され、お1人びとりが神様にお目にかかれますように」。神にお目にかかるというのは、言葉を換えれば「あなた…は、わたしをだれだと言いますか」というイエス様の問いを聞くことです。そしてその時、「あなたは私の救い主です。あなた以外には『救い』はありません」とイエス様に申し上げることです。そこに礼拝の大切なポイントがあるのです。
 しかし、その質問はまた、礼拝の中でだけで聞かれることではありません。イエス様は尋ねられます。「あなたは毎日の生活の中で、私を何と呼んで生きているのか」。私達は日々の生活の中で「イエス様、私はあなたのものです。私はあなたを『私の救い主』と呼び、そう告白し、そう心して生きています」と答え得るでしょうか。それが私達へのチャレンジです。その告白はもちろん言葉でなされるものですが―(この次の個所でイエス様は、ペテロの信仰告白を受けて直ちに「では私をメシアと告白する者はどのように生きれば良いのか」を教え始められます。その意味で)―私達がイエス様を「救い主(メシア/キリスト)」と告白する、その告白の誠実さは、私達の生き方によって実を結ぶ―(実が測られて行く)―のではないかと思います。パウロは言いました。「しかし今は、わたしたちは…御霊に従う新しい生き方で仕えるようになっているのです」(ローマ7:6)。その意味で私達は、口で告白すると同時に、生き方によって告白して行く必要があるのだと思います。いや私達が、本当に告白するならば、それは必然的に生き方に現れてくるのではないでしょうか。
 しかし、私が今日言おうとしていることは、「だからこう生きなければならない…」ということではなく、私達がイエス様への信仰を告白して、それを大切にして、そこに両足を乗せて生きる、その時にやって来る祝福を、私は語りたいのです。先程も申し上げたように、私達は世の中に翻弄されます。私達の小さな生活は、様々な出来事の中で揺すぶられます。私達はその中で、時に神を見失います。また世の現実は、私達に、神を思わせるのではなくて、むしろ「神なんかいない、神がいたとしても何もしない」と思わせることが多いのではないでしょうか。その中で「イエスはキリストです」と告白するとは、どういうことか。私は思います。それは、目に見える現実がどうであろうとも、イエス様を救い主として「私の救いはイエスから来る、他に救いはない―{「詩篇121篇」は告白します。「私の助けは、天地を造られた主から来る」(詩篇121:2)}―このところに立ち続けることだと思います。
 フィリップ・ヤンシー―(アメリカ人のクリスチャン作家・ジャーナリスト)―が当時の東ドイツのことを書いている記事を読みました。1989年~1990年、東欧諸国は雪崩を打って「平和革命―(一部の例外を除いて)」を成し遂げ、共産主義体制を倒して行きました。その象徴的な出来事は「ベルリンの壁の崩壊」です。(今のロシアの大統領は「20世紀最大の悲劇は、ソ連が崩壊したことだ」と言っているそうですから、時代に逆行している思想の持ち主だと思わされます)。フィリップ・ヤンシーによれば、ベルリンの壁に穴を開けたのは、教会の「祈り会」から生まれた小さなデモ行進だったそうです。教会は「共産政権を打ち倒そう」と叫んだわけではありません。「平和のために祈ろう」と人々に呼びかけたのです。多くの人々が現状を憂いて集まって来ました。人々は「祈り会」で祈った後、平和的に整然とデモ行進を行ないました。その行進に参加する人々が増えて行きました。東ドイツ国内、どこでも「教会の祈祷会」からデモ行進が生まれたそうです。時には秘密警察(シュタージ)によって「祈り会」が邪魔されました。でも人々は暴力に訴えることはなかった。祈って整然と行進を続けました。しかし「平和的」と言ってもデモ行進です。政府による弾圧が現実味を帯びて来ました。1989年11月9日、その日は「大規模な弾圧があるだろう」と噂されました。事実、政府は軍隊に「デモ行進への発砲」を命じていたのです。しかし、その日も「教会の祈り会」から行進が始まり、そして何十万という数に膨れ上がったのです。デモ隊がベルリンの壁に押しかけた時、不思議に軍隊は発砲しなかった。そしてそのまま人々は壁を通り抜けて西ベルリンに入って行くことが出来たのです。結果的に「ベルリンの壁」は崩壊したのです。ライプツィヒという町の大通りには、その後、大きな横断幕が掲げられました。そこには「教会よ、ありがとう」という文字が書いてあったそうです。{かつてイエス様は言われました、「『…もし、からし種一粒ほどの信仰があれば、この山に向かって、『ここから、あそこに移れ』と命じても、その通りになる…』(マタイ17:20)}。ヤンシーの記事にはこうありました。「東ドイツでは、今でも当時のことは奇跡だと語られている。祈りが山を動かすかどうかはともかくとして、ライプツィヒの祈りは確かに住民を動かした」。
 私が教えられるのは、神を否定する国家権力の中で、主イエスを「キリスト」と告白し、主イエスに祈りを捧げ、イエスの助けを信じて生きた人々―(行動した人々)―が、巨大に見える現実を変えてしまったということです。生きる現実の中でイエス様を「私の救い主、他に救いはない」と告白して生きて行くことが、私達に力を与えるのです、希望を与えるのです。そして、その力と希望が私達の現実を変えて行くのです。イエスを「キリスト」と告白し続けることは、単に自分を鼓舞することではない。神の働きを受け、聖霊の働きを受け、私達を立たせることなのです。私達には色々なことがあります。でも私達は「イエス様は私の救い主です、救いはイエス様から来る、他に救いはない」と告白し続けて、そこに立って、神の力を頂いて、生きて行きたいと願うのです。
 

聖書箇所:マルコ福音書8章22~26節    

 今、ロシアの動向が気になることですが、ある雑誌でこんな記事を読みました。旧ソ連が崩壊して、新しい国造りを目指すロシアにとっての大きな問題は、70年も神を否定する―{人(スターリン等)を神にする}―歩みをした結果、多くの人が本当の神を見失い、そしてその結果、「人々は、善悪が分からなくなってしまった」、「子供達は、なぜ善を行なわなければならないのかが分からない」ということだそうです。新聞「プラウダ」の編集者が、アメリカからやって来たキリスト教団体の人達に向かって「どうすれば人々が憐れみの心を持つようになるのか分からない」と言ったということです。ソ連時代、彼らが「神」として崇めさせられていたスターリン―(スターリンの政治)―には「憐れみ」はありませんでした。その結果、人々は「憐れみ」が分からなくなったのです。この話は「人が何を神にするか、それによってその人自身も、またその生き方も変わってくる」ということを教えるのではないでしょうか。
 私達はイエス・キリスト―(キリストの父なる神様)―を神とします。「慈愛の神、慰めの神」を自分の神として持てるということは、本当に感謝なことです。しかし問題は「では私は、本当に神様を正しく持っているのか」、言葉を換えると「私は、神様(イエス様)が正しく見えているのか」ということです。正しく見ないと、正しい信仰生活、本当の祝福の信仰生活は、難しいのではないでしょうか。今日の個所は、そのことを私達に問うて来る個所です。今日も「内容」と「適用」に分けてお話しします。
 

1:内容~盲人の目を癒す主イエス

 イエス様がベツサイダに来られると、人々が1人の盲人を連れて来て「癒して下さい」と願いました。イエス様は、その盲人を人々の前で癒すのではなくて、村の外に連れ出され、人々に見えない所で癒しを為さるのです。目の不自由な人を癒すには、賑やかな場所より、静かな、刺激を一度に受けないような場所の方が良かったということもあるでしょう。それ以上に、イエス様は、人前で癒しを為し、人々がイエス様のことを、だた「病を癒してくれる人」という見方をして、「癒し主」という意味で「救い主」に祭り上げることを避けようとされたようです。
イエスは、ご自分で彼の手をとって村外れまで連れて行き、2人きりになったところで癒しをされました。「両眼につばきをつけ」(23)、当時の人々は「つばきに癒しの力がある」と信じていましたから、盲人にイエス様の御業を受け止める心備えをさせる意味があったと思います。イエス様は尋ねます。「何か見えるか」(23)。彼は答えます。「人が見えます。木のようですが、歩いているのが見えます」(24)。彼は、人にも木にも触ったことがあったでしょう。「人の体」と「木」のイメージを持っていました。  英語の「trunk」という単語は、人間の「胴体」にも「木の幹」にも使われます。似ているということです。まだはっきりとは見えませんが、ぼんやりと「trunk」が見えてきた。ところで、彼に見えた「人」とは誰でしょうか。「イエス様は人気のない所に彼を連れて行かれた、彼はイエス様と2人きりのはずだから、『人』とはイエスご自身ではなか」と言う意見があります。もしそうなら、彼の目はイエス様を見た。そしてイエス様は、彼の視力の回復を促すために、彼の目の前を歩いて見せて下さったのかも知れません。しかし、まだぼんやりしている。それでイエス様は、もう一度、彼の両眼に両手を当てて、完全に回復するまで癒しを為さいました。それによって、彼ははっきりと見えるようになるのです。しかし、癒された時、イエス様は彼に「人々のいる方には行かないように」言われるのです。人々が、このことを通してまたイエス様を間違って理解し、間違って祭り上げることがないようにするためです。内容としては以上です。
 

2:メッセージ~主イエスを正しく見るための悔い改めと信従

 この個所のポイントは、盲人の目が1回では完全に癒されずに、2回目の御業を受けて癒されていることです。どういうことかというと、もし彼がイエス様を見たとしたら、1回目の癒しでは、イエス様がはっきり見えていないのです。2回目の御業を受けて、はっきり見えるようになったのです。これは、この通り起こったことだから、マルコはそのまま書いたのでしょうが、しかしマルコは、このことを通して読者にメッセージを語っていると思います。それは、私達はイエス様の導きの御業を受けて、イエス様を信じるようになりましたが、信じてはいても、イエス様がはっきり見えていない、つまりイエス様を信じて生きるということはどういうことか、それが見えていないということがあるのではないか、ということです。私達が、イエス様の御業をさらに受けて、イエス様がはっきり見えるようになるように、マルコは、そのような願いを込めてこれを書いているのではないでしょうか。
 この個所がまず強調しているのは「イエス様が彼を村外れに連れ出された」ということです。それは、人々がイエス様のことを単に「癒し主」として見ることがないようにするためだったと思いますが、言葉を換えると―(そして否定的な言い方をすると)―「人々はイエス様を自分に都合の良い存在という部分でだけ受け入れようとした」ということです。それは、決してイエス様の回りに集まっている人々だけのことではないのです。
 この次の個所には「ペテロの信仰告白」の記事が記されています。ペテロが「あなたは、キリスト(救い主)です」(8:29)と、人間の歴史で初めて「イエス様を救い主」として告白します。「新共同訳」では「あなたは、メシアです」(8:29)となっています。ギリシャ語で「キリスト」と訳された言葉は、弟子達が話していた言葉では「メシア」です。「メシア(キリスト)」というのは、元々「油注がれた者」という意味の言葉です。イスラエルの歴史の中で、神がご自分の特別の使命を与える者―(王、大祭司、預言者)―に油を注ぐ儀式を受けさせて、神の使命に着かせたのです。ところが、イエス様が来られた頃には、その言葉が新しい意味を持つようになっていました。「イスラエルの民に―(ひいては世界に)―決定的な救いをもたらす者、そういう力ある者が必ず神から送られてくる」、それを「メシア」と呼ぶようになっていたのです。ペテロは、その意味で「メシア」と使ったのです。「マタイ福音書」によれば、その「ペテロの信仰告白」を受けて、イエス様は「わたしはこの岩―(ペテロの信仰告白)―の上にわたしの教会を建てます」(マタイ16:18)と言われます。ペテロの一言は、教会の土台となる素晴らしい一言でした。そして、その「信仰告白」を受けて、イエス様は「ご自分のメシアとしての死と復活についての予告」をされます。「私は、国のリーダー達、宗教のリーダー達から排斥され、十字架につけられて死ぬ。そういう形で人々に救いを与える」と言われました。
 ところが、素晴らしい「信仰告白」をしたペテロが「イエスをわきにお連れして、いさめ始めた」(8:32)のです。「そんなことを言ってもらっては困ります。あなたはそんな方であるはずがない。あなたには、力、権力、栄光の道を歩いてもらわなければ困る」と言ったのです。そのペテロを、イエス様は「下がれ。サタン。あなたは神のことを思わないで、人のことを思っている」(8:33)と叱るのです。ペテロは、確かに信仰はあった、しかし実は、イエス様を正しく見てはいなかったのです。私達はどうでしょか。イエス様を正しく見ているでしょうか。そして、イエス様との正しい関係を生きているでしょうか。これがいつも信仰者へのチャレンジなのです。私達も、しばしばイエス様をボンヤリとしか見ていない、そういう面があるのではないでしょか。それが故に、私達の信仰生活が、何か曖昧なものになっている面があるのではないでしょうか
「イエス様を正しく見る」とはどういうことでしょうか。イエス様は、「力、勝利、栄光、富…」、そういうものを人々に約束されたメシアではなかった。そうではなく、十字架に掛かることによって神の使命を果たされた方だった。なぜ、十字架に架かる必要があったのでしょうか。それは、神様の側から見れば、私達の罪の罰を身代わりに受けて下さるためだったのですが、私達の側から見れば、神の子が、救い主が、十字架で苦しむ姿―(鞭打たれ、骨を砕かれ、血を流し、ボロボロになって十字架で苦しみ抜いて下さる姿)―それが自分のためであったということが分かった時、人は初めて心砕かれるからです。そして自分の罪を本気になって考え、悔い改めるのです。そして人は、神と和解出来るのです。神の御手の中に回復されるのです。CSルイスは「人は神を燃料にして走るように出来ている」(CSルイス)と言いました。本来あるべきところに回復されるのです。イエス様は、人が神に受け入れられる者になるように、人が神の御手の中に回復されるように、そのために人が自分の罪を認めて、悔い改めるように、そのために、地に降って来られたのです。それが第1のことなのです。私達は、そのことをはっきり見なければならないのです。
 あの「アメージンググレイス/おどろくばかりの」の讃美歌を作ったジョン・ニュートンは、奴隷船の船長として奴隷貿易で働いていた時に、嵐に遭いました。死ぬかも知れないという状況でした。その時、初めて、母から聞いていた神様に祈ったのです。「神様、助けて下さい」。すると心に響く神の御声がありました。「あなたを愛している、あなたを赦す、あなたを助ける」。彼は、自分が奴隷貿易に従事して、どんなに酷い生き方をして来たか良く知っていましたので、びっくりしたのです。「こんな者も赦して下さるのですが、こんな者も助けて下さるのですか、神様の恵みはそんなに大きいのですか」。びっくりしたから、後に「アメージンググレイス/おどろくばかりの(恵み)」という歌を作ったのです。彼は、生涯その恵みに生かされて行くのです。私達は、神との関係が回復されること、それが全てなのです。全ての祝福の土台なのです。
 今、戦争を目の前に見せられ、平和のことを考えさせられています。戦後世代の人にとって、今回の戦争ほど「人間の罪が―(身勝手な理屈が)―戦争を引き起こす」ということを具体的に見せられたことはなかたのではないでしょうか。清水町教会の前の牧師の吉間先生が次のように言っておられます。「神との平和なしに、地の平和はあり得ない」(吉間磯吉)。私も、本当にそうだと思います。そのこと1つをとっても、私達は生きるために神との和解、御手の中に回復されることが、まず何よりも大切なことではないかと教えられます。そしてその恵みは、私達が地上の生涯を終えた後、私達を天国に導いて行くのです。その恵みは、私達が天国の希望を持って今を生きて行けるようにするのです。
 神との和解のための悔い改め、神との生き生きとした関係を窒息させないための悔い改め、そのために地に来られた主イエス、繰り返しますが、これこそ私達がイエス様の中に見なければならいことです。
 しかし、イエス様を正しく見るために、もう1つ大切なことがあります。イエス様は、続けてこう言っておられます。「だれでも…自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい」(8:34)。それはつまり、私達がイエス様をはっきり見えるようになるためには、イエス様に従い歩くということが大切だということではないでしょうか。私達の霊的な祖先であるアナバプテストのリーダーだったハンス・デンクという人はこう言いました。「生活においてキリストに従うのでなければ、誰もキリストを真実に知ることはできない」(ハンス・デンク)。これは「キリストを真実に見ることはできない」と言い換えても良いと思います。イエス様に従い歩く過程で、私達はイエス様の御業―(取り扱い)―を受けて、ますますイエス様のことがはっきり見えるようになるのではないでしょうか。
 イエス様に従い歩くとは…。イエス様はもっとも大切なこととして「『あなたの神である主を愛せよ』…『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ』」(マタイ22:37~39)と言われましたが、具体的には「神様を心から信頼して生きること、隣人への愛に生きること、赦しに生きること、仕え合うこと…」、そのようにまとめることが出来るかも知れません。イエス様は、天にお帰りなる時、弟子達に「わたしがあなたがたに命じておいたすべてのことを守るように、彼らを教えなさい」(マタイ28:20)と言われました。その意味で私達は、聖書を通して、イエス様が何を教え、何を命じておられたのか、学んで行かなければならないと思いますが…。とにかくそのように歩いて行く中で、私達は、イエス様をはっきり見ることが出来るように、イエス様の取り扱いを受けて行くのではないでしょうか。
 先日、尾山令仁という先生の動画を見ていたら、先生が感慨深い話をしておられましたので、その話を皆さんにもご紹介して、終わりたいと思います。それは「本間俊平」という方の話でした。後に「秋吉の聖人」と言われた方ですが、伝道者でもありました。本間先生は、請われて山口県の秋吉で大理石の採掘の仕事を始めますが、その現場で、刑務所から出て来た人、世間から見放された若者…、そんな人達を雇用して、厚生事業としていたのです。ある時、前科11犯の荒くれ者が入って来ました。この人は、相川という人で、元々警察官でしたが、11犯の犯罪を犯すような人生に転落していたのです。この人を受け入れる時、本間先生は奥さんに言われたそうです。「今度入って来た相川は、一筋縄ではいかない。私達に大変なことが起こるかもしれないけど、いいかい」。奥さんは言われました。「私は何の取り柄もない者ですが、イエス様の十字架だけは心から信じております。もしもそれが神の御心なら、喜んでお受け致します」。ある時、さらにもう1人の若者が入って来て、相川という人の下に付きました。彼がまたとんでもない強情者で、相川という人は本間先生の奥さんに「奴を追い出してくれ」と何度も言いました。奥さんは「ここにいる人は、自分から出て行くのでなければ、こちらから追い出すわけにはいきません」と、言いました。「こんなに頼んでいるのに…」。相川という人は、石切りノミで奥さんに切りつけたのです。それを奥さんは、左手で受けました。そして、血の滴る左腕を右手で押さえて祈ったのです。「神様、この相川を赦して下さい…」。そこに本間先生が帰って来て、相川という人に言いました。「相川、お前が殺したいほど憎んでいたのは、この俺だろう。赦してくれ。赦してくれ。さあ、家内を医者に連れて行ってくれ」。この時から、相川という人は、本当の悔い改めを経験して、真人間になって、全く違う人生を送ったそうです。本間先生ご夫妻は、鮮やかな神の御業を見たのです。そして、イエス様がますますはっきりと見えるようになったのです。
 私達は、こんな凄まじい経験をしないでしょうが、申し上げたかったことは、主に従って歩む時、私達も主の御業を経験し、主をもっとはっきり見ることができるようになる、ということです。
尾山先生は言われました。「信仰は、最後は経験です」。その意味でも、イエス様に従い歩くことが、私達の信仰生活を祝福するのではないでしょうか。
 私達は、イエス様を信じていても、イエス様がはっきり見えていないことがあると思うのです。地上の生涯は、イエス様をはっきり見るようになるために歩いて行く巡礼です。盲人は「すっかり直(った時に)…すべてのものがはっきり見えるようになった」(25)のです。私達はイエス様がはっきり見えるようになる時に、自分の在り方が正しく見えて来る、周りの人々とどう関われば良いのかが見えて来るのです。イエス様の姿が正しく見えて来るような信仰生活を歩みたいと願います。
 

聖書箇所:マルコ福音書8章1~21節    

 小学校で2年生を受け持っていた時、学級の皆でパン作りをしたことがあります。お家の方に材料を整えて頂き、子ども達に持たせて頂いて、家庭科室で作りました。しかし、私の勉強不足というか、経験不足というか、指導が悪くて、まともなパンが出来たのは2~3人で、あとの子ども達のは、ビスケットのように固いものが出来たり、散々でした。今でも、お家の方や子ども達に謝りたい気持ちです。そのように私は、料理のことは何も分らないのですが、ここに出て来る「パン種」というのは、パン生地の一部を焼く前に取って置くものだそうです。それが発酵します。それを次のパンを捏ねる時に「イースト」として使ったようです。少しの「パン種」を混ぜると全体が膨らみました。(私のパン作りでは膨らみませんでしたが…)。また当時、「パン種」は、「悪いもの(罪)」を表す言葉として使われました。「パリサイ人やヘロデのパン種」が弟子達の中に入ると、弟子達の「悪いもの」が膨れ上がるのです。人間関係もそうではないでしょうか。家族でも、ちょっとしたことで否定的な感情が膨れ上がる現実があるのではないでしょうか。
 今日も、「内容」と「適用」とお話しします。
 

1:聖書の内容~神の支配を見ない不信仰

 今日の個所は長い個所ですが、3つに分けることが出来ます。「1番目:1~10節:4000人の給食」、「2番目:11~13節:パリサイ人との議論」、「3番目:14~21節:『パリサイ人とヘロデのパン種』についての議論」。この3つのことが、ガリラヤ湖の周りで起こっています。
 この個所の中心となる言葉は15節「パリサイ人のパン種とヘロデのパン種とに十分気をつけなさい」(15)と、21節「まだ悟らないのですか」(21)というイエス様の言葉だと思います。イエス様は弟子達に大切なこととして「パリサイ人のパン種とヘロデのパン種とに十分気をつけなさい」(15)と言われました。ところが弟子達には、それが理解出来ません。理解で出来ないからイエス様から「まだ悟らないのか」と叱責を受けます。「私を正しく見ることが出来ない時、あなた方もパリサイ人やヘロデと同じではないか」という厳しい言葉です。「パリサイ人のパン種とヘロデのパン種」とは何でしょうか。弟子達はそれをどのように受け止めるべきだったのでしょうか。それを考えるために、改めて全体を見て行きます。
 この個所は「4000人の給食」の出来事から始まります。場所は、ガリラヤ湖の東岸です。イエス様の回りには4000人の人々がいました。彼らは3日間もイエス様と一緒にいて、イエス様の話を聞いていました。霊的なものを求めていたのでしょう。その人々のことを、イエス様の方から「かわいそうに…何か食べるものをあげたい」と言われるのです。弟子達は、既に「5000人の給食―(イエス様が5つのパンと2匹の魚で5000人を養われた出来事)」を経験していたのに、また同じことを言うのです。「こんなへんぴな所で、どこからパンを手に入れて、この人たちに十分食べさせることができましょう」(4)。「愚かな弟子達だな」と、私は思いました。しかし良く考えると、
 自分も同じだと気付かされます。何度も何度も、神様の祝福を経験しながら、しかし何かあると、「神様が祝福を下さるから大丈夫」とは思えないのです。「神様、どうしてですか」と呟くのです。笑えない姿です。今回も、イエス様が7つのパンを使って4000人の人々を養って下さいました。またパンだけではなく、魚もおかずとしてつけて下さったのです。この出来事が何を教えるのか。「神の祝福」です。イエス様を通して「神の祝福」が地上に流れ込んで来ている、イエス様を通して神が働いておられる、それを弟子達は見なければならなかったのです。
 その後、イエス様は、弟子達を舟に乗せてダルマヌタ地方に行かれました。ガリラヤ湖の西岸、ガリラヤ領です。するとそこにパリサイ人がやって来て、イエス様に議論を吹きかけます。彼らは何を言っているかというと…。彼らも「メシア(救い主)」が現れることを待っていた。「イスラエルの民に『決定的な救い』をもたらす者、そういう力ある者が必ず神から送られてくる」、それを「メシア」と呼び、待っていました。そこで様々な業をしているという評判のイエスをチェックしようとしました。「あなたが天から来たメシアなら、メシアであるという証拠を見せなさい。私達に判断できるような証拠を見せなさい」、そう言っているのです。イエス様は、今「4000人の給食」の奇跡を為さったばかりです。憐れみに動かされて大きな奇跡を為さいました。小さな地域です。その話は対岸の彼らの耳にも入ったでしょう。また、イエスがしておられた様々な御業の話も、
 彼等は聞いているはずです。それこそ「しるし」です。しかし「ダメ」なのです。イエスがたとえどんな大きなことを為さっても、彼らにとってそれが「自分達が期待している『しるし』、力強い、破壊的な超自然的な現象」、そういうものでなければ、彼らは、それを「メシアのしるし」とは認めないのです。イエスがいくら「憐れみの奇跡」を為さってもダメだったのです。だからイエス様は「しるしは絶対に与えられません」(12)、「あなた達の見たいと思っているような『しるし』は、罪の世が『これが神の救いだ』と判断できるような『しるし』は、与えられない」と言われたのです。なぜ、イエス様は、彼らの望んでいるような「しるし」を為さらないのか。そんなものは、
 イエス様が来られた目的ではないからです。神の願っておられる「救い」には繋がらないからです。
 2つの出来事の後に、舟の上でのイエス様と弟子達との「パン種」の議論があります。弟子達は、パンを持って来るのを―(買って来るのを)―忘れてしまったようです。1つしかありません。イエス様と12弟子の分で、最低でも13個は要るのです。彼らは、「どうしよう、イエス様に申し訳ない」という思いで心が占められていたのではないでしょうか。だから「パン種」と聞いた時に「そこを衝かれた」と思って過剰反応をしてしまったのでしょう。しかしイエス様は、そんなことを言っておられたのではない。「パリサイ人のパン種とヘロデのパン種」に注意しなさいと言われたのであり、また「パリサイ人のパン種とヘロデのパン種」と聞いても全く理解しない彼らの鈍さを責めておられるのです
 最初の問題に戻りますが、「パリサイ人のパン種とヘロデのパン種」とは何なのか、弟子達は何を悟らなければならなかったのでしょうか。ここには、はっきりとは書いてありません。「ルカ21章1節」では、別の文脈で、「パリサイ人のパン種に気をつけなさい。それは彼らの偽善のことです」(ルカ12:1)と教えておられます。表面だけを宗教的に飾り立てようとする生き方、神の見栄えよりも人の見栄えを考える信仰、そういうものが弟子達に影響を与える危険がありました。ここでも、そういう意味もあると思いますが、ただ「パリサイ人のパン種とヘロデのパン種」と2つ並べた時に見えて来るものがあります。パリサイ人は「メシアはこうあるべき、こうであらねばならない、こうでなければ認めない」という態度でイエス様に向かいました。イエス様が為さる「しるし」と彼らの期待するものとは違っていた。それで、イエス様において神が働いておられることを見ることが出来ませんでした。「そんなメシアでは困る、私達は気に入らない、認めない」。ヘロデというのは、ガリラヤ領主ヘロデ・アンティパスです。ローマ帝国に後ろ盾になってもらってガリラヤを治めている、当時の現実主義の代表です。ローマの権力に阿ねって、世の中を上手に、豊かに生きて行こうとしました。そしてバプテスマのヨハネの「神の前に悔い改めなさい、神の方を向きなさい」というメッセージを受け入れなかったのです。彼は、自分を越えたところに居られる神を、神の支配を認めることが出来なかった。「パリサイ人のパン種とヘロデのパン種」とは何か。それは「イエス様において神が今ここで支配しておられる、ここにも神の支配はある」ということを認めない心です。不信仰です。弟子達は「給食の奇跡」の中に、イエス様の回りで神様が働いておられるのを、イエス様の働きを神が支配し、守り導いておられるのを、認めなければならなかったのです。「5000人の給食、4000人の給食」の経験を土台として、「パンが1つしかない、でもイエス様の回りで神が働いておられる、必要なら神が与えて下さる」という結論を導き出すような信仰が期待されたのです。
「パリサイ人のパン種とヘロデのパン種」、私達にとっても深刻な問題です。私達も信仰を持って歩いているつもりですが、小さな不幸によって神の支配が見えなくなるのです。「どうして自分はこんな目に遭うのか。神は本当に生きておられるのか」と言い始めるのです。それが「イエス様において世を支配しておられる神の支配」を認めない心です。「パリサイ人のパン種とヘロデのパン種」です。信仰というものは、そんなものではないでしょう。ヘブル書に「信仰とは、望んでいる事柄を確信し、見えない事実を確認することです」(ヘブル11:1)という言葉があります。信仰とは、「神の存在を打ち消すように見える現実」に逆らうようにして、「いや、神は生きておられる」と信じて行くことです。イエス様は、弟子達にその信仰を期待されたのです。「イエス様において神が生きて、現実を支配しておられること、イエス様において自分達も神の働きに与ることが出来るに違いないこと」、イエス様の御業を経験したからこそ、弟子達はそのことを学び取らなければならなかったのです。あたかも自分達の「生きる現実」に神が介入されないかのように生きてはならなかったのです。
 

2:信仰生活への適用~神の支配を信じる

 弟子達はイエス様に「イエス様において神の支配が来ている。今ここも神が支配して下さっている」ということを、その信仰の洞察を持つように期待されました。イエス様が言われた「悟らない」というのは、「神が見えなくなっている」ということです。神が見えなくなっている時、私達は悟っていないのです。神は私達に、神の支配―(神の恵みの支配)―を認め、信頼して欲しいと願っておられるのです。信仰は応答です。私達にとっても大切なことは、イエス様の「まだ悟らないのか」というチャンレジに応答することです。「神は今、ここも、いや、私の生涯の全てを、イエス様において支配しておられる」という洞察を見失わないようにすることです。
 以前ご紹介した気仙沼の印刷所の阿部さんのお証―(「箱舟の中の家族達」という本に記されているのですが)―は、私達を励ましてくれます。大震災、神の働きを否定しようと思えば、その材料はいくらでもあったのではないでしょうか。「神なんかいない、神が支配しておられるなど信じられない。私の願いとは違う」、そう叫んだとしても、誰が何を言えるでしょうか。阿部さんのお証の中にも「絶望」という言葉が出て来ます。「自宅が流され、全財産を失い、これからどう生きて行けばいいのかと、絶望感が襲ってきます」、「苦しみのどん底にある私が、どうして主の御名を褒め称えることが出来るだろうか」と言っておられます。神の支配の洞察は危機的状況です。しかし、このご夫妻は、神の支配を見る目を失われないのです。神の働きを否定しないのです。「主は与え、主は取られる。主の御名はほむべきかな」(ヨブ1:21)。「苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。私はそれであなたのおきてを学びました」(詩篇119:71)。これらの御言葉を握りしめ、なお神の支配を信じて、神の働きに信頼して、神と歩こうとされたのです。「私の信じている神様は生きておられる。神は真実なお方である…きっと…『主の御名はほむべきかな』と言える日が来ることを信じ…この試練の中を乗り越えて行きたい」と叫ばれたのです。これが「『神の存在を打ち消すように見える現実』に逆らうようにして『いや神は生きておられる』という信仰を持つこと」ではないでしょうか。あの時、東北のクリスチャン達が、そのような生き方を通して、神が生きて、なお支配しておられることを、私達に証してくれたのです。私達も、その信仰を持ち、イエス様のチャレンジに応えて行きたいと願います。
 しかし、そのためには、自分の中に神様への信頼を育てなければならないと思います。「信頼を育てる」とはどういうことかというと―(この個所が教えるのは)―私達が何かの状況にぶつかった時、これまで経験したことを基に、疑う方にではなく、信じる方に、否定的な結論を導き出す方にではなく、積極的な結論を導き出す方に、踏み出す、その心の向きを常と出来るようにする、ということではないでしょうか。弟子達も「パンの奇跡―(給食の奇跡)」を忘れていたのではないと思います。覚えていたのです。しかし、肝心の時に、前向きな結論を導き出すことが出来なかったということだと思います。
 確かに困難の中で前向きな結論を導き出すのは難しいです。だからそのために大事なことは、神がこれまで為して下さった恵みを数えることだと思います。以前、教会の集会で星野富弘さんのビデオを見ました。事故で首から下が動かない。大変な苦しみを通った方が、こう言われたのです。「嫌なこと、辛いことが、いつの間にか良いことに変わっていた」。本当に言われたかったのは「神は、嫌なこと、辛いことだと思ったことを、いつか祝福に変えて下さった」ということではないかと思いました。星野さんのこんな詩があります。「私は傷を持っている。でもその傷のところから、あなたのやさしさがしみてくる」。傷だと思った。でも実はそこが神の恵みを受け取る所になった。なくてはならない大切なものだった。傷だと思った。でもそこにも神の愛の配慮があった。支配があった。神に在って全てのことに無駄はない。そんなことを教えてくれる詩です。「あてはずれ」の詩もそうです。「あなたは私が考えていたような方ではなかった。あなたは私が想っていたほうからは来なかった。私が願ったようにはしてくれなかった。しかしあなたは私が望んだ何倍ものことをして下さっていた」(星野富弘)。星野さんも恵みを数えておられるのではないでしょうか。それが星野さんの笑顔を、生きることへの希望を、造っているように思いました。かつて私の友人が私に言ってくれたことがあります。「ここまで導いて下さった神様は、これからも導いて下さいますよ」。恵みを数えることを教えられた言葉でした。
 聖書の中にこんな御言葉があります。「主は、あなたをエジプトの地、奴隷の家から連れ出し…あの大きな恐ろしい荒野、水のない、かわききった地を通らせ、堅い岩から、あなたのために水を流れ出させ、あなたの先祖たちの知らなかったマナを、荒野であなたに食べさせられた。それは、あなたを苦しめ、あなたを試み、ついには、あなたをしあわせにするためであった」(申命記8:14~16)。イスラエル民に「出エジプト」の経験を想起するように語られてい言葉ですが、「ついには、あなたをしあわせにするためであった」、この言葉が私の心に食い込んで来ました。生きていると、色々なことがありますが、でも神は「ついには、あなたをしあわせにするためであった」という御心を持って私達を取り扱って下さるのです。それを経験させて下さるのです。そして最後の最後には、天国という「幸せ」を備えて下さっているのです。だからこそ、恵みを数え、心に神への信頼を育て、この神様が、私の行く道を支配し、導いておられる、という信仰の洞察を見失わないようにしたいと願います。
 

 

聖書箇所:マルコ福音書7章31~37節    

本聖日は、ペンテコステを記念する礼拝です。私は「AD」というイギリスの映画(テレビドラマ)が大好きで時々ビデオを見ます。隠れ家に隠れていた弟子達のところに聖霊が降って来られた時、弟子達は「ハレール」と讃美しながら、神殿に行くのです。そしてそこでペテロが、喜びと力に溢れて人々にイエス様の復活を語るのです。感動的な場面ですが、「AD」によれば、ペンテコステの時、弟子達はまず讃美するのです。讃美は力です。「詩篇」に「あなたは…賛美を住まいとしておられます」(詩篇22:3)とあります。だから私達は讃美の中で神様に触れることが出来るのです。
ある時、インターネットで「アメリカの人が一番好きな讃美歌は何か」というページに出会いました。と言っても40年前の調査ですが…。ある調査によると、それは「輝く日を仰ぐとき」だそうです。英語のタイトルは「How Great Thou Art」、「あなたは何と素晴らしい方でしょう」です。カナダにいる時、時々地元のメノナイト教会と合同礼拝を捧げました。ある時の礼拝で、最後に「輝く日を仰ぐ時」を歌いました。ある人は手が上がる、ある人は体を揺らす、皆が心からこの歌を讃美していました。それを見ていて、「わが霊、いざ讃えよ、大いなる御神を」と心から歌えることの喜びを思いました。「神様は素晴らしい」と歌えること、それは特権だと思いますが、なぜ私達は「神は素晴らしい」と讃美するのでしょうか。今日の37節で、人々は主を讃美しています。そのこともあり、この個所は、「なぜ私達は神様を讃美するのか」、その一端を確認させてくれる、そのような個所です。2つのことをお話しします。
 

1:主を讃美する理由~主が私達の信仰を顧みて下さるから

前回は、イエスがツロに行かれ、そこで1人の女の求めに応じて彼女の幼い娘を癒された、という出来事から学びました。異邦人であるフェニキヤの女の「飽くまでも謙遜な、しかしどこまでもイエス様を信頼してイエス様に迫るような信仰」を、イエスは喜ばれました。31節に「それから、イエスはツロの地方を去り、シドンを通って、もう一度、デカポリス地方のあたりのガリラヤ湖に来られた」(31)とあります。イエス様は、ツロからシドンに行き、そこからガリラヤ湖の遥か向こう側を回ってガリラヤ湖畔に帰って来ておられます。「デカポリス」、ギリシャ語で「10の町」という意味です。ガリラヤ湖の東岸、異邦人の地です。そこで人々がイエス様の所へ「耳が聞こえず、口のきけない人」を連れて来て、「手を置いて癒して下さい」と願うのです。
イエス様は、ガリラヤへ帰って来るのに大変な大回りをしておられます。真っ直ぐ帰って来た方が遥かに近かったのです。なぜ、こんな大回りをされたのでしょうか。しかもガリラヤ湖に帰って来るのに、なぜわざわざ異邦人の地デカポリスを通るようにして帰って来られたのでしょうか。そして異邦人の地デカポリスに来られた時、なぜ人々はイエス様の所に病人を連れて来たのでしょうか。
イエス様の通られたルート、それはガリラヤの中心地―(カペナウム等の町場)―から見ればいわば辺境地です。「この辺りにはそんな評判の先生は来て下さらないだろう」と人々が思っていたような地域をイエス様は訪ねて下ったということです。しかも異邦人の地域です。なぜイエス様はそうされたのでしょうか。ある学者は言います。「イエス様に、異邦人の地域、しかもこのような辺境地へと足を向けさせたのはスロ・フェニキュヤの女の信仰だった」。イエス様は、異邦人の女性の中に驚くような信仰を見出され、そしてご自分の伝道の思いを異邦人に、しかも辺境の地に向けられた、と言うのです。そして「なぜデカポリスを通ってガリラヤ湖畔に帰って来られたのか」ということですが…。5章でイエス様は、悪霊に憑かれたゲラサ人の男を癒しておられます。この「ゲラサ人の地方」というのはデカポリスにあります。5章に「彼は立ち去り、イエスが自分にどんなに大きなことをしてくださったかを、デカポリスの地方で言い広め始めた。人々はみな驚いた」(5:20)とあります。イエス様は、やはり異邦人である彼の信仰に期待して、そして彼が宣べ伝えているであろう地域へ行こうとされたのではないでしょうか。そして事実、彼は信仰に生きいていた、イエス様を宣べ伝えることに生きていたのです。ここで「耳が聞こえず、口のきけない人」をイエス様の所へ連れて来た人の1人は、悪霊を追い出してもらった彼だったかも知れません。そしてその「耳が聞こえず、口のきけない人」も、また癒されるのです。本来「神の民」ではない異邦人の人々の信仰、それがイエス様を動かしているのです。
ある学者は、「この旅には8か月が掛かっただろう」と言います。少し長く考え過ぎではないかと、私は思いますが、とにかく、そんな旅をさせてまで、彼らの信仰がイエス様にこのルートを取らせたのです。イエス様を動かしたのです。それはつまり、私達の信仰が、イエス様を―(神様を)―動かすということではないでしょうか。いや私達の小さな信仰を、主は顧みて下さるということではないでしょうか。
そして、神の業を受け止めるためにも、信仰は大切です。「耳が聞こえず、口のきけない人」が連れて来られた時、イエス様は彼を群集から連れ出されます。彼が、イエス様と1対1で向かい合うためです。そして「その両耳に指を差し入れ、それからつばきをして、その人の舌にさわられた。そして、天を見上げ、深く嘆息して、その人に『エパタ』すなわち、『開け』と言われた」(33~34)。なぜこんなことをされたのでしょうか。イエス様のしようとしておられることが、彼にも分かるためです。当時の人々は「唾には人を癒す力がある」と思っていました。だから唾も使われた。祝福は天から来ることを分からせようともなさった。要するに「イエス様が癒そうとされる」、彼の中にそれに応える―(受け止める)―信仰の決断が必要だったのです。そして彼がイエス様の御業を―(それがどんなに小さなものでも)―信仰を持って受け止めた時、彼は癒されるのです。
いずれにしても、私達が信仰を持って生きること、また信仰を持って祈ること、「悪霊を追い出して頂いた人」が「耳が聞こえず、口のきけない人」をイエス様の所に連れて来たとすれば、そのように誰かのために心を砕いて執り成すこと、それを神は喜ばれ、私達の願いに―(心の思いに)―耳を傾けて下さり、「こんな所には、イエス様は来て下さらないだろう」と思うような所に来て下さり、私達の願いに動いて下さるのです。
私はしばらく前、結石で苦しんだのですが、私のような者のために、多くの方々が祈って下さいました。本当に感謝でした。そして神様は、その方々の祈りに答えて、私のような者も顧みて下さり、その日の昼には私を痛みから解放して下さいました。翌日、泌尿器科でレントゲンを撮ったら、痛みの原因であった尿管結石がしっかり写っていました。1週間分の薬をもらい、1週間後にまたレントゲンを撮って頂いたら、尿管結石が消えていました。自分では、石が出たことに気づきませんでした。盲腸の時と同じように、祈って頂ける中に生かされていることの大きな恵みを思いました。もちろん、祈ったことが祈った通りにならないことも多いでしょう。しかし神様は、私達にやがて分かるように、深いお考えをもって祈りを取り扱って下さることを経験させて頂くことも多いのではないでしょうか。
いずれにしても、私達は自分の信仰を、祈りを、信仰の業を、過小評価してはいけないと思います。「私の信仰生活が、小さな祈りが、何になる」と思ってはいけない。主は、それを顧みて下さるのです。神の時に神の業をなして下さるのです。だからこそ、私達は、主を讃美するのです。
 

2:主を賛美する理由~主は私達を回復して下さるから

しかしこの個所は「私達がそのような点―(神に祈りを聞いて頂く、御業を為して頂く)―だけを見て信仰を理解することを、神は『良し』とされない」ということも教えます。人々は癒しを見て驚きます、喜びます。そして「この方のなさったことはみなすばらしい…」(37)と言い始めます。「素晴らしい」、これは単なる驚きの言葉ではありません。申し上げた通り、讃美する言葉です。癒された彼も、この讃美に加わったでしょう。彼は舌が解けた時、「イエス様は素晴らしい」とイエス様を讃美出来るようになったのです。しかしイエス様を讃美しようとする人々の思いを制するかのように、イエス様は「このことをだれにも言ってはならない」(36)と口止めをされます。なぜ、この素晴らしい出来事を言ってはいけないのか。逆に言うと、これは「私達は、何を語らなければならないのか。何に目を留めなければならないのか、何の故に『主は素晴らしい』と言うのか」ということです。
申しあげたように、神は私達の信仰を顧みて下さいます。しかし、これも申し上げた通り、祈ったことが祈った通りにならないこともあります。癒されないこともあります。では「救い」はないのか。「癒し」とは、「救い」とは、「福音」とは何でしょうか。もちろん病気が癒されれば素晴らしいです。だから私達も祈ります。一生懸命祈ります。しかし「救い」というものが、もし「肉体的な癒し」だけなら、イエスは口止めをされなかったと思います。しかし、もし「肉体の癒し」だけなら、私達は必ずいつか死ぬわけですから、最後には皆が「救い」に絶望して人生を閉じなければならなくなります。そうではないのです。
ここで人々が讃美している「この方のなさったことは、みなすばらしい…」(37)の「すばらしい」という言葉は、ギリシャ語「カロース」という言葉の訳です。紀元前300年に「ヘブル語旧約聖書」がギリシャ語に翻訳されました。「七十人訳聖書」と言います。その聖書の中で、天地創造が終わった時の言葉、「そのようにして神はお造りになったすべてのものをご覧になった。見よ。それは非常によかった…」(創世記1:31)の「非常によかった」という言葉に「カロース」が使われているそうです。人間というのは、本来素晴らしく造られたのです。しかし、その人間に罪が入り込むことによって素晴らしくなくなったのです。問題の中を生き、神の栄光を表すことが出来なくなったのです。先日、召天された兄弟が証しの時、「人は罪を犯さずには生きて行けないのですよ」と言われました。魂の叫びだと思いました。私達の苦しみの原因は、ある面で人の―(誰かの、私の)―罪に帰着することも多いのではないでしょうか。
しかし私達には、私達の罪を、私達以上に悲しんで、だから私達の罪を背負って十字架に掛かって下さった方がおられるのです。イエス様が私の代わりに死んで下さったので―(罪の始末をして下さったので)、イエス様を信じることによって私達は、神の御手の中に迎えられるのです。もちろん人間的には―(生きる現実においては)、問題に悩み、苦しみ、傷つき、自分の人生を肯定的に見ることが出来ないこともあります。それも現実です。しかし、それが「全て」とはならないのです。神の御手の中に回復されることによって、色々な問題に悩みながらも、私達は、自分の中に「かつて神が『良かった』」と言われた「良きもの」を見ることが出来るようになったのです。どういう「良きもの」が見えるのでしょうか。
カナダで「メノナイトの歴史を考えるセミナー」に参加したことがあります。メノナイトは、宗教改革の中で生まれますが、生まれると同時に迫害が始まり、それもあってヨーロッパを流れ流れて、ある人々は今のウクライナにたどり着きます。「たどり着く」と言うより、メノナイトは「優秀な農民」としても知られていましたので、時のロシア政府から招かれて、移住して行くのです。そこで、彼らはロシア政府から与えられた土地に「自分達の植民地」を作って住み、勤勉に励み、農業で成功して、黄金期を迎えます。ところが時代が下って、ロシア革命の混乱に直面します。メノナイトは、歴史的に皇帝の庇護下にいて、農業で成功していました。さらにロシアにいながらドイツ語を使い続けていたということもあり、混乱の中で迫害の対象になるのです。大変な苦しみを経験します。しかし、その中で彼らは神様に問うのです。「神様、私達はどうしてこのような苦しみに逢うのでしょうか」。その必死の問いの中で、1つの答を受け取るのです。それは、メノナイト―(アナバプテスト)―は元々「全ての人が幼児洗礼を受けたクリスチャンである世界」で伝道を始めた人々です。「ところが、自分達はロシアに来て、自分達の世界で平和に豊かに暮らすことだけを考えて来た。100年以上、外の人々に伝道をして来なかったではないか―(政府の方針で出来なかったのですが)。自分達が今出来ることは―(変えることがあるとしたら)―伝道をすることではないか」。そこから「メノナイトの外の人への伝道」が始まるのです。そして、その延長線上に、北米メノナイトの「日本伝道」もあるのです。私は「自分の信仰は、ロシアで苦難を通った多くの人々の犠牲の上にあるのか」、そう教えてもらった時、自分の信仰を「尊い」と思いました。「決して疎かに考えることは出来ない」と思いました。私が感慨深げにしていたからでしょう、担当の方が私に声を掛けて「あなたの感想を発表しなさい」と言いました。私は、突き上げて来るものに動かされるようにしてそのことを話しました。もっと言うと、私以外の参加者は全員「生まれながらのメノナイト―(内側の人)」ですから、「私こそ、そうやって信仰を伝えてもらった外側の人間です」と「日本で伝道されたことを誇りたいような思い」にもなりました。メノナイトだけでなく、とにかくキリスト信者の背後には、それを伝えるために苦しんだ多くの人々の犠牲があるのです。
しかし私達は、「メノナイトの歴史」を越えて、何よりも「イエス様の十字架と復活」に目を向けなければならないと思います。私達は、罪を赦され―(「罪ある自分を隠さなくて良い、繕わなくて良い」、罪あるという事実が赦されている)―神を喜んで、神の眼差しを暖かく感じて、生きるにも死ぬにもこの人生を委ねて、そうやって生きることが出来るようになったのです。「神の御手の中に迎えられる」ということは、私達の人生に「神の回復の力―(恵み)」が働くということです。「百万人の福音」にこんな言葉がありました。「復活信仰は、人々の人生が絶望から希望に代わることを信じる信仰です」。そういう希望を絶えず持ちながら生きることが出来るということです。素晴らしいことだと思います。
私達の人生に見える「良きもの」、「私達の生」にある「良きもの」とは、「私達の人生はイエス様の犠牲の上にある」ということです。「イエス様の犠牲の上にあるから、この人生は尊い」ということです。これは「神の子に死んで頂いた人生」です。「絶望が希望に変わる人生です」。決して疎かにしてはならない。大事に生きなければならない。そう思う時、私達は自分の人生を愛おしく見ることが出来るのではないでしょうか。魂が回復されるのです。そして、自分の人生を主に在って愛おしく見ることが出来る時に、誰かの人生をもまた愛おしく見ることが出来るのではないかと思います。だから「あの人の人生にも神に入ってもらいたい。あの人の傍らにイエス様が来て下さることによって、何かが変わるのに…」と私達は思います。ここで口のきけない人が話せるようになったように、私達も神の恵みを思い、神の恵みを語ることが出来るようになったのです。いずれにしても、神様は、私達の人生に「良いもの」を回復して下さるのです。これからも回復して下さるのです。だから私達は讃美するのです。
 

3:終わりに

「第2讃美歌161番」5節は「間もなく主イエスは来り、我らを迎え給わん、いかなる喜びの日ぞ、いかなる栄えの日ぞ。(だから)我が霊、いざ称えよ、聖なる御神を」と歌います。私達の人生には、これからも色々なことがあるでしょう。でも私達には「イエス様にお会いして、『よくやった』と言って頂いて、イエス様と一緒に全てのことを感謝して喜ぶ」というゴールが待っているのです。そのゴールに向かって、備えられた道を「讃美しながら」歩いて行きましょう。