2022年8月 佐土原教会礼拝説教

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聖書箇所:マルコ福音書10章17~31節     

 「平和を願う祈り」という祈りがあります。「主よ、私を、あなたの平和の道具として用いてください。憎しみのあるところに愛を、争いのあるところに和解を、分裂のあるところに一致を、疑いのあるところに真実を、絶望のあるところに希望を、悲しみのあるところに喜びを、暗闇のあるところに光を、もたらすことができますように、助け導いてください。主よ、私に、慰められるよりも慰めることを、理解されるよりも理解することを、愛されるよりも愛することを、望ませてください…」。
 私達が「憎しみのあるところに愛を、争いのあるところに和解を…」もたらす器となることが出来れば、どんなに素晴らしいでしょうか。この祈りは、聖フランシスコという人が祈った祈りです。聖フランシスコは、13世紀にイタリアのアッシジの町の裕福な商人の息子として生まれました。贅沢な生活を楽しんでいた人です。しかしある時、ローマへの巡礼の旅に出た時、乞食の苦しみを見て、心を動かされて、乞食の服と自分の服を取り替えて、自分もしばらく乞食をしたと言われます。その経験が彼に大きな影響を与え、やがては、本当に全てを捨てて、貧しい人々―(特にハンセン病の患者)―に仕えるような働きを始めるのです。彼はイエス様の言葉:「行って『天の国は近づいた』と宣べ伝えなさい。病人を癒し、死者を生き返らせ、重い皮膚病を患っている人を清くし、悪霊を追い払いなさい。ただで受けたのだから、ただで与えなさい。帯の中に金貨も銀貨も銅貨も入れて行ってはならない。旅には袋も二枚の下着も履物も杖も持って行ってはならない…」(マタイ10:7~10)を自分への呼びかけとして受け取り、この言葉を生きて行ったのです。そして当時のハンセン病患者が着ていた服と同じような服を着て、靴もはかず、赤貧を生きつつ神に仕えます。やがて彼の回りに、彼の姿に動かされた人々が集まり、現在に至るフランシスコ会という修道会が生まれるのです。なぜ彼は、富の全てを捨てて、そのような生活に入ったのか。1つには、今日の聖書個所の「21節に倣った」と言う人もいますが、いずれにしても「自分がイエス様に従うために妨げになっているのが富だ」と理解したのだと思います。だから「自分を地に縛り付けている富から―(全てのことから)―自由になろうとした。自由になって主イエスに従おうとした」のではないでしょうか。
 今日の個所―(特に21節)―を皆さんはどのように受け止められるでしょうか。カトリック教会には、聖フランシコのように全ての私有財産を放棄して、聖職者になったり、修道院に入ったりして、このイエスの御言葉に応答しようとする人々が今でもいます。聞きかじりですが、カトリック教会では「そういうことの出来る特別な人々がいて、その人々にこの言葉は語られている、一般の信者はその高徳に感謝して、それにすがるのだ」とこの御言葉を理解しているそうです―(今もそうかは分りません)。一方プロテスタント教会は、全ての信者にこの言葉が語られていると理解します。では、私達はこの個所をどう理解し、どのようなメッセージを受け取れば良いのでしょうか。「内容」と「適用」、2つに分けてお話し致します。
 

1.内容~「主イエスに従うことへの招きを拒否する」

 「イエス様とこの金持ちの男の会話」は物別れに終わるわけですが、何が問題だったのでしょうか。彼は「永遠の命を自分のものとして受けるためには、私は何をしたらよいのでしょうか」(17)とイエス様に問うて来ました。彼は「永遠の命」を求めていました。私達もそうではないでしょうか。私は鬱で入院している時、誰を見ても「この人もいずれ死ぬんだ」とそんな風にしか感じられなかったことがあります。人生というものが非常に虚しく思えました。今はそうでもありませんが、やはり「永遠の命」というものがなければ、人生は間違いなく死に向かって行く、しかもその中で、「喜び」もありますが、悩んだり、苦しんだり、悲しんだりしながら歩いて行くのです。何のために生きて行くのか。もしこの世界を超えた「命」が待っているのでなければ、人生は虚しいと思います。彼は「人生に死が待っていること」を意識していました。そして「永遠に生きたい、死に勝ちたい」と思ったのです。そしてその道を知りたいと願ったのです。
 彼は「永遠のいのちを自分のものとして受けるためには…」と言っています。「新共同訳」は「受け継ぐには…」と訳しています。親から財産を分けてもらうように、「『永遠の命』は神から分けて頂くより他には無い」ということを意識しているのです。その「分けて下さる方をイエスは知っているに違いない」と思った。だから聞いて来たのです。彼は「何かをすることによって―(具体的には『律法を守ること』によって)―それを手に入れようと―(神からもらい受けようと)―していました」。一生懸命に律法を守ったのでしょう。しかし「永遠の命を受けられる」という確信がない。それで「後、何をすれば良いのか」と教えを請うたのです。
 ここで不思議なのは、イエス様が「戒めはあなたもよく知っているはずです。『殺してはならない。姦淫してはならない。盗んではならない。偽証を立ててはならない。欺き取ってはならない。父と母を敬え』」(19)と言っておられることです。私達は「永遠の命を頂くこと―(『神の国に入ること』と言い換えても良い)―それは、何かをすることによって手に入れるものではなく、ただイエス様を信じて、神の恵みに信頼して、『神様、こんな者ですけど受け入れて下さい』と身を低くして神を見上げる、それしかない」と教えられて来ています。それなのに、ここでは、まるでイエス様が「律法を守れば永遠の命を手にいれられる」と言っておられるような感じです。これをどう考えれば良いのでしょうか。
 ここでイエス様が言われた戒めは「モーセの十戒」の一部ですが、いずれも「隣人との関係」について命じられている戒めをピックアップしておられます。後に「ローマ書」でパウロが「どんな戒めがあっても、それらは『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ』という言葉の中に要約されている」(ローマ13:9)と語りますが、イエス様はその基になるような信仰を語られるのです。それは、その人の神への姿勢、神との関係は、具体的には隣人との関係に出て来るからでしょう。だから「永遠の命を求める者」としての彼の生き方を、イエスは見ようとされたのだと思います。「永遠の命」が神から頂くものであるとすれば、神との正しい関係を求めることなしには、それはあり得ません。それに対して彼は「そのようなことをみな、小さい時から守っております」(20)と答えます。21節に「イエスは彼を見つめ、その人をいつくしんで言われた」(21)とあります。この「いつくしんで」という言葉は、直訳すれば「愛して」という言葉です。イエス様は、彼のそのような生き方を喜ばれたのです。と同時に、彼のその真剣な求道に答えて、イエス様も本気で、真剣に彼を「永遠の命」に押し出そうとされたのです。それが問題の21節の言葉です。
 私は、以前はこの個所を次のように理解していました。「何をすれば―(律法をどう守れば)…」と言って来た彼の考え方の土俵の上に、イエスが一旦乗られて、その延長で「あなたには、まだ欠けたことがある、持ち物を全部売り払い、貧しい人々に分けてやりなさい」と言われたのではないか。結局、彼にはそれが出来ないわけですから、「それが出来ない」と見越しておられたイエス様が、わざとこのような厳しいことを言って、「何かをすることで―(律法を守ることで)―永遠の命をつかみ取ろうとしても、出来ないのだよ。永遠の命は、信仰によって神から頂く以外にないのだよ」ということを教えようとされたのだ、と理解していました。確かにそういう面もあるのかも知れません。しかし今、少し違う理解をしています。イエス様は、真剣に「永遠の命」を求めた彼を、心から喜ばれました。そして21節のポイントは、「持ち物を全部売り払え」ということよりも、むしろ「わたしについて来なさい―(従って来なさい)」ということだと思います。先程「永遠の命」を頂くには、「イエス様を信じて、神の恵みに信頼して『神様…受け入れて下さい』と身を低くして神を見上げる」しかないと申し上げましたが、それは言い換えれば「イエス様に従う―(従い続ける)」ということです。今は、私達がどこに居ようとも「聖霊としてのイエス様」に従うことが出来ます。霊的に従うことが出来ます。しかしこの時は、イエス様は肉体を取っておられましたから、本気になってイエス様に従おうとすれば、財産を売り払って、身軽になって、文字通りイエス様の後をついて行くしかないのです。だからイエス様は本気になって、彼を召された、弟子にしようとされたのだと思います。しかし、彼はその言葉に応えることが出来ませんでした。イエスはがっかりされたと思います。彼は、イエス様に信頼するよりも、財産に信頼する方を取るのです。
 23節の言葉は、イエス様の悲しみの言葉だと思います。そして―(金持ちの男の姿を一般化して)―25節で「金持ちが神の国に入るよりは、らくだが針の穴を通る方がもっと易しい」と語られます。その言葉に弟子達は驚きます。というのは、当時は「経済的に繁栄していることは、その人が神に愛されているしるしだ」と考えられていたからです。「富めば富むほど神の国―(永遠の命)―に近い」と思われていました。イエス様はその考え方をひっくり返された。それはイエス様が「人にはできないことですが…神にはできるのです」(27)と言っておられるように、結局「永遠の命」を受けること、それは、人間のいかなる業が保障することでもない、ただ神の業なのです。そのために人に出来ることと言えば、神に信頼し、自分自身を―(自分の人生を)―イエス様に賭けて行くことなのです。言葉を換えれば、日々イエス様に従って行くことなのです。29~30節でイエス様は「そのために犠牲があるかも知れないけど、結局、それが人生の祝福の方法なのだ、そして『永遠の命に至る方法なのだ』と言われるのです。
 

2.適用~「豊かな信仰生活への招きに応える」

 この個所が私達にチャレンジすることは、「イエス様に従う」ということだと思います。「イエスに従う」とはどういうことでしょうか。 
 ここに登場した金持ちは、「ルカ福音書」の平行記事では「議員―(役人)」だったと記されています。彼にとって「生きて行く土台」は何だったのか。それは、おそらく富であり、議員―(役人)―という地位でした。彼は「富と地位」の上に自分の人生を作り上げていました。確かに誠実な人だったでしょう。神を求め、律法も守った。でも、やはり彼にとっては「富と地位」が人生の土台であり、「富と地位によって地上に縛り付けられていた」と言っても良いかも知れません。イエス様のチャレンジは「人生の土台を富や地位の上に置くのではなくて私の上に置きなさい」ということでした。「あなたを地上に縛り付けているものから自由になって、本当に私に従って来なさい。あなたの生きる土台を私の上に置きなさい。そのようにして永遠の命を目指しなさい。人生の土台を私の上に置かなければ永遠の命に至ることは出来ないのだよ」、そう語られたのではないでしょうか。彼は人生の土台を「この世の富と地位」の上に置いたまま、その状態で永遠の命を手にいれようとしたのです。しかしそれは無理なのです。
 「マタイ福音書」では、イエスは次のように言われます。「天の国は次のようにたとえられる。畑に宝が隠されている。見つけた人は、そのまま隠しておき、喜びながら帰り、持ち物をすっかり売り払って、その畑を買う。また、天の国は次のようにたとえられる。商人が良い真珠を探している。高価な真珠を一つ見つけると、出かけて行って持ち物をすっかり売り払い、それを買う」(マタイ13:44~46)。「神の国に入るということは、『持ち物をすっかり売り払って』と表現されているように、それまでの生活が手放され、新しいものに専念するということ」、「生き方の方向転換」、その姿勢が必要であることを言っておられるのです。
 しかし「人生の土台をイエス様の上に置く」、あるいは「生き方の方向転換をする」とは、具体的にはどういうことでしょうか。それと「持ち物をみな売り払い…そのうえで、わたしについて来なさい」(21)の御言葉と、どのように繋がるのでしょうか。
 私は、私達に求められることも、聖フランシコのように私達を地上に縛りつける危険のあるものから自由になることだと思います。もちろん、地上を生きて行くためには、ある程度の富は必要です。でも「富を最も大切な土台」とはしないのです。例えば「富は、この世でイエス様に従って生きるために、そのための必要を満たすために神から頂き、預かっているもの」と考えるのです。神から預かっているからこそ大切に考えなければならない。使う時にも感謝して大切に使うわけです。でもそこで大事なのは、富に魂を支配されない、最後の信頼はイエス様に置く、イエス様について行くことを第一にする、その思いだけはしっかりと持っておきたいと思うのです。羽鳥明先生がアメリカの神学校で学んでおられた頃の話です。学費が高い、先生は、アルバイトに明け暮れていました。しかしある時、思いました。「私は、神に仕えるために学んでいるのに、やっていることと言えば、金儲けだけじゃないか」。それからアルバイトに使う時間を、神を伝えるために使うようにしました。収入は減りました。しかしある日、学校に授業料を納めに行くと「あなたの分の授業料はもう収められていますよ」と言われたのです。神様が喜ばれたのだと思います。富だけではありません。例えば、聖書学では、信仰がない方が学問的に深い研究が出来るそうです。学問ならば色々と疑って掛からなければならない。でも信仰があると、信仰に抵触するような疑いはしない。だからある人は、実際に上の人から「君も信仰を捨てた方が良い研究が出来るよ」と言われたそうです。学者としての名誉に関わることかも知れません。でも、そこから自由になる。このようなことは、私達の回りには形を変えて色々とあるのではないでしょうか。三浦綾子さんが朝日新聞の懸賞小説に応募するために「氷点」を書いていた時です。12月31日の締め切りに間に合わないかも知れないと思いました。そこでご主人の光世さんに「毎年、子供達を集めて盛大にやっているクリスマス集会を今年だけは中止して欲しい」と頼みました。光世さんは言われました。「神が喜び給うことをして落ちるような小説なら書かなくて良い」。凄い言葉だと思いますが、主に従うことにおいて、何事からも自由だったのではないでしょうか。
 なぜ、聖書は、それ程「イエス様に従う」ということを強調するのでしょうか。「信仰生活は、そんな安価なものではない」ということを教えるためではないのです。イエス様は、この個所の最後に、信仰生活の祝福を語っておられます。以前、水曜集会でお話を聞いていた中川健一先生が、こんな話をしておられました。まだ飛行機が一般的でなかった時代の話です。ある人が日本からアメリカに行こうとしました。お金が無かったので4等席のチケットを買って、食べ物も自分で、スルメとチーズとクラッカーを持ち込んでそれを食べました。食事の時間になるとレストランには美味しそうな食事が並ぶ。彼はそれを見ながらスルメをかじっていた。いよいよもうすぐアメリカに着くという時になって、彼はレストランのスタッフと出遭った。スタッフが聞きました。「あなたは食事の時間になると姿が見えなくなりましたが、どうしたのですか」。彼は言いました。「私は船に乗るので精一杯で食事代まで買えなかったのです」。スタッフはビックリして言いました。「あなたが買ったチケットには食事代まで入っていたのですよ」。先生は「『信仰生活を送る』ということと『豊かな信仰生活を送る』ということは違う」という言葉を紹介されていました。私達に与えられている信仰生活は、本来もっと豊かなものなのではないでしょうか。しかし私達は、もしかしたら「とりあえず天国に行ければ良い」という程度の信仰生活を送っているのかも知れません。しかし、本当の豊かさを味わうには、打ち込むことが必要なのではないでしょうか。「人生の土台を変えて、イエス様に賭ける」、「イエス様に従うことを妨げるものに対して自由になる」、そのような信仰の姿勢が、私達に信仰を持って生きることの本当の豊かさを味わわせるのではないでしょうか。イエス様は、ただ「ついて来い」とは言われない。責任を持って私達を招かれます。イエス様に本当に従い、人生の土台を、最後の信頼を、イエス様の上に置き直して、主が与えようとしておられる豊かな信仰生活に与りたいと願います。
 

聖書箇所:マルコ福音書10章13~16節     

 私が教員を辞めて牧師になりたいと思ったのには、いくつか理由があるのですが、その1つは、ある教会で出会った12歳の女の子の信仰に触れたことです。前にもお話ししたと思いますが、その頃、私は学校で6年生を担任していて、女子のグループの対立のようなことで―(「1人ひとりは、みんな良い子なのに、グループになると難しいな」と)―悩んでいました。そんな時、その女の子が「教会学校で聞いたんだよ」と言ってこう話してくれました。「天国の私のお家は、私が生きている間にしたことが材料になって出来ているんだって。だから神様の喜ばれることをたくさんするんだ」。私は、「皆がこんな思いを持ってくれると、女の子達の学校生活も変わって来るのだけどな」と思ったのです。子供の心、良さを支える神様の力、信仰の力を感じました。「子供達に神様のことが語れたらな…」と思った、それが牧師になることを考える切っ掛けの1つでした。
 今日の箇所に「子どもたち」が登場します。この「子どもたち」という言葉は、聖書学者によれば「0歳~12歳くらいの子供達」を指すようです。「12歳の子供達」と聞いて、当時の様子を思い出すことです。
 さて、この個所の中心になるのは、15節「まことに、あなたがたに告げます。子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに、はいることはできません」(15)のイエス様の言葉です。イエス様が大事なことを言われる時の決まり文句―(「まことに、あなたがたに告げます」という言葉)―が入っていることからも、それが分ります。
 まず「神の国に入る」とは、どういうことかと言うことですが、それは「今この世に在って、神との関係に入る、神の恵みの支配下、保護下に入る」、そのような意味です。その「神との関係」が私達を守ります。私達に神の恵みを経験させます。その関係が、死の壁を打ち破って、私達を天国に運びます。ですから「神の国に入る」、それは私達にとって最も大切なことです。ところが
 イエス様は、「子どものように神の国を受け入れる者でなければ、決してそこに、入ることはできません」(15)と言われます。「神の国に入ることが出来ない」、これは重大なことです。私達は「子どものように神の国を受け入れる…」ということがどういうことなのか、どうしても考えなければなりません。
 ある時代の、ある人々は、この言葉を「子供のように振舞うことだ」と考えて、「子供のように話し、子供のように生活した」と言われます。もちろん、それは間違った考え方です。では、「子どものように…」とは、どういうことなのでしょうか。
 それを考えるために、全体を見てみたいと思います。イエス様は、初期のガリラヤでの宣教を終えて、今や十字架に架かるためにエルサレムに行こうとしておられます。エルサレムに向かう
 イエス様は、ガリラヤで為さったように「人々に神様のことを語ったり、癒しを為さったり」、そのようなことよりも、むしろ「自分が地上を去った後に、自分に代わって神の福音を宣べ伝えて行くことになる弟子達を訓練すること」、そこに活動の重点を置いておられました。そんなイエス様一行のエルサレムに向かう旅の道すがら、ある人々がイエス様の噂を聞いて、子供達を祝福してもらうために、イエス様のところに連れて来ました。親は子供の祝福を願います。当時の人々は「イエスのように霊的な力のある先生が現れると、子供を連れて行って、手を置いて祝福してもらう」、そのようなことを普通にしていました。この人々も、そのような素朴な願いを持って子供達を連れて来たのです。ところがイエス様の弟子達が、彼らを叱って追い返そうとしたのです。弟子達は、イエス様が十字架に向かっておられることはまだ知りません。しかし、何か緊迫した雰囲気は感じている。イエス様の顔にも疲れの色が見えていたかも知れません。それで彼らは、「子供の出る幕じゃない、子供なんかのことでイエス様を煩わせるわけにはいかない」とイエス様を煩いから守ろうとしたのだと思います。しかし、その様子を見ておられたイエス様は、憤られたのです。14節の「憤った」という言葉は、非常に激しい言葉です。なぜ、イエス様は憤られたのでしょうか。
 2つの理由があったと思います。1つは、イエス様が地上に来られたのは、神の祝福を人々に運ぶためです。「祝福」、日本語では何となく抽象的な、もう一つ掴みどころのない軽い言葉のような気がします。しかし聖書の信仰では、「祝福」というのは非常に重い言葉です。一旦「神の名」によって為された祝福は、もう取り消すことが出来ない―(取り消されることがない)、その祝福に、神は真実を尽くして答えて下さるのです。その祝福は、人生を支えて行くのです。
 12歳というと、水野源三さんのことも思います。水野さんは、小学4年生の時に集団赤痢によって脳性マヒになり、手足の自由と言葉を奪われ、瞬きしか出来なくなるのです。一時的に片言を話せる時があったそうですが、その時に彼の口から出る言葉は、「死ぬ、死ぬ」という絶望的な言葉だったのです。その彼が12歳の時、1人の老牧師が彼を訪ねて来て、聖書を置いて帰るのです。その聖書を、12歳の少年が、お母さんに手伝ってもらいながら貪るようにして読んだのです。聖書に触れ、そしてイエス・キリストの救いを知った時、彼は変わるのです。暗く、投げやりだった態度が、一変するのです。やがて洗礼を受け、瞬きで言葉を1語、1語を表現しながら、神を讃美する素晴らしい詩を作る人になるのです。水野さんがこんな詩を作っています。「神様の大きな御手の中で、かたつむりは かたつむりらしく歩み、蛍草は蛍草らしく咲き、雨蛙は雨蛙らしく鳴き、神様の大きな御手の中で、私は私らしく生きる」(水野源三)。「神との関係」に入った人を、神様は真実に世話して下さるのです。どんな状況に置かれようが、「私は私らしく、自分らしく生きる」力を、恵みを下さるのです。水野さんは、生涯、神の恵みに生かされて、素晴らしい証しを残して、天に帰って行かれました。いずれにしても、聖書の信仰では、「祝福」は、そういう重い言葉です。現実的な幸いです。イエス様は、神の祝福を人々に運ぼうとされました。そのイエス様の祝福に与ろうと、子供達が連れて来られたのです。イエス様の目には重要でない人等はいない。だからイエスは「祝福しよう」と立ち上がられたのではないでしょうか。その道を、弟子達が遮ってしまったのです。人々を祝福するために一生を生きられた方が、それを遮られた時に心の中に湧き出したのが、この時の憤りだったのではないかと思います。
 しかし、もう1つの理由は、「イエスがこの時、弟子達を訓練することに重点を置いておられた」、その文脈で考えると、イエス様は、このことを通して弟子達に何かを教えようとしておられるのです。それは何なのか。弟子達は、イエス様を煩いから守ろうとしてこの人々を叱ったのでしょう。しかしその時、イエス様は、弟子達の心の奥に何を見ておられたでしょうか。弟子達は、「自分達はイエス様に近い」と思っていたと思います。そして「その近さによって子供達を追い払うことが出来る」と考えていたのではないでしょうか。しかし、そこに人間の罪の姿があるのではないでしょうか。それは、「自分達はイエス様に近い、イエス様に代わってものを言うことが出来るのだ」という、いわば上から下を見下ろす意識です。しかも彼らは、子供達のことを「重要な存在ではない」と考えた。そう考えて追い返そうとした。弟子達は無意識だったかも知れませんが、そこには―(たとえささやかなものでも)―イエスが嫌われた権力者意識の姿があったのではないでしょうか。だから「メッセージ訳」という聖書は、14節の「妨げてはならない」(14)を「彼らと私の間に立つな」と訳しています。「私に代わって上からものを言うな」ということでしょう。
 しかし、それはさらにこう言い換えることも出来ます。この後、10章35節からの個所で、弟子のヤコブとヨハネの兄弟がイエス様のところにやって来てこう言います。「栄光をお受けになるとき、わたしどもの1人をあなたの右に、もう1人を左に座らせて下さい」(マルコ10:37)。彼らは、イエス様が十字架に向かっておられることを知りません。エルサレムに向かうイエス様のことを「いよいよ天下取りに動き始められた」と思っていたでしょう。だから「あなたが王様になった時には、私達を右大臣と左大臣にして下さい」と言ったのです。しかしイエス様は、その彼らにこう言われます。「あなたがたの中で偉くなりたい者は、皆に仕える者になり、いちばん上なりたい者は、すべての人の僕になりなさい」(マルコ10:43~44)。イエス様が弟子に求められたのは、「仕える者になれ」ということでした。この時、弟子達は子供達に仕えてなんかいません。弟子達に子供達に仕える思いがあったなら、このように彼らを退けることはなかったはずです。彼らの姿は「仕えること」を忘れた姿です。
 カナダで出会ったご高齢のご夫妻の話を良くしますが、このご夫妻が日本から来ている留学生の世話を良くしておられました。私は「良くされるな…」と、それくらいの気持ちで見ていました。そうしたらある時、「私達は学生さんに仕えなければならないんじゃないか」と言われました。「学生さんに仕える」という言葉は、私にとって衝撃でした。私には「親切にする」とか「手助けをする」という視点はあっても、「仕える」という視点はありませんでした。「仕える」というのは、勿論、何でも「ハイハイ」と言うことを聞くことではありません。それは、その人の祝福になることを考え、関わって行くことだろうと思います。しかしいずれにしても、「仕える」ということは、「下に立つ思い」がなければ出来ないことです。でもイエス様は「仕える者になれ」と教えられたのです。
 さて、そうすると最初の問題に戻りますが、「子どものように―(神の国を受け入れる)」とはどういうことでしょうか。少し話が逸れますが、あるところで家庭集会をしていた時、この個所の学びだったのだと思いますが、参加者の方が言われました。「イエス様が『子供が純粋で、その心がきれいなので、子供のようになれ』と言われたのだとしたら、家の子供や親戚の子供を見ていて、どうしても純粋だとは思えないので、今まで混乱していました」。ここに連れて来られたのは、申しあげたように、乳飲み子だけではない、12歳くらいまでの色々な年齢の子供達だったのです。12歳、小学6年生です。子供達なりに人間関係の問題を抱えています。対立したり、「いじめの問題」に巻き込まれることもあるかも知れない。その意味でイエス様はここで、子供達が純粋だから「その子どものようになれ」と言われたのではないと思います。聖書も、そのような意味で子供を讃美はしません。そうするとイエスが「子どものように…」と言われた言葉を、どのように受け止めればよいのでしょうか。
 ポイントは、「子どものように『神の国を受け入れる』」という言葉です。ここで、人々は子供達を連れて来ました。子供達の側からすれば、ただ連れられて来たのです。受身です。そして、ただイエス様の祝福を受けるのです。繰り返しますが、私はここで「子どものように…」と言われているその一番のポイントは、「誰かに連れられて来て、弟子達に追い払われ、でもイエス様によって祝福をされた」、その「受身の姿勢」というか、ある意味で自らを虚しくしている姿勢、そこにあるような気がします。神の国には「自分は、これこれが出来る、こんなに頑張った、努力した」、そういう在り方で入るのではないです。あるいは、弟子達のように、「自分はイエス様に近い」、そのような自負をもって入るのでもないのです。弟子達は、「自分達はイエス様の弟子であり、家も、仕事も、何かも置いてイエス様に従っていて、自分達ほどに神の国に入るに相応しい者はいない」、そう思っていたかも知れません。しかし、その考え方こそ、イエス様を憤らせた考え方なのです。「一生懸命努力して、頑張って、良い人になって、義しい人になって、神の国に入るに相応しい人になって、神の国に入る」、分かり易い考え方です。しかしそれは、福音―(イエス様がもたらして下さった神の国に入る方法)―ではないのです。
 もし、それが神の国―(神の御手の中)―に入る方法なら、イエス様は命を捨てて十字架にお架かりになる必要ななかったでしょう。弟子達が「何にも出来ない子供なんかのことで…」と子供達を追い返そうとした、そこには、イエス様がこれから私達のために十字架に架かられる、その十字架の意味を根本から否定するものがあったのです。イエス様は「私がこの世に来たのは、この子供のように何も出来ない、何も誇るものがない、そういう者を救うためなのだ」と言っておられるのではないでしょうか。そしてここが大切なことですが、私達も、神の国―(神の御手の中)―に入れて頂くための功徳のようなものは、何もないのです。私達も、ただ神様の憐れみによって罪の泥沼から拾い上げてもらって、罪を赦され、救って頂く、それしかないのです。それ以外に何もない。もちろん、神の御手の中に入れて頂いた者が、感謝して、少しでも神に喜ばれるように生きようとすることは大切でしょう。しかし、救われる―(神の御手に入れて頂く)―ということについて、私達は何も誇るものはないのです。神の国に入るに相応しくない人、それは、「自分は神の国に入るに相応しい」と考え、自分を誇る人です。その人は、結局、イエス様の十字架を必要としないのです。
 先程、イエス様は「仕える人になれ」と言われたと申し上げました。それは、頑張ってそうなるのではないのです。それは、「自分には何もない、ただ神に拾い上げてもらった、憐れんで救ってもらった」、その意識の表れとして出て来る姿勢であり、そのことに感謝して、「少しでも神の御心に適うように生きて行きたい」と思うところから出て来る姿勢なのです。「本当に自分には何もない、ただ憐れんでもらい、救ってもらった」ということを思う時、そういう姿勢に導かれるのではないでしょうか。ある本に「(宗教改革者)ルターは、その最期に『自分は乞食だ』と言った」と書いてありました。「ただ憐れみを施してもらうしかない乞食、神様の憐れみを頂くしかない乞食」です。その意識こそが、「子どものように神の国を受け入れる」者の姿なのではないでしょうか。
 イエス様は、子供達をご自分から遠ざけようとした弟子達に激怒されました。人には、神の祝福が必要なのです。神との関係が必要なのです。神の祝福があれば、瞬きしか出来ない人が「私は私らしく生きる」と胸を張って、喜びをもって、言うことが出来るのです。その祝福を、イエス様は子供達に与えたいと思われたのです。その祝福を、イエス様は私達にも与えたいと願っておられるのです。いや、与えたいがために、これからエルサレムに上って、十字架に架かって、この罪ある私達が、何もない私達が、それでも神の御手の中に入ることが出来るようにして下さったのです。私達も、心を虚しくして、ただ神に憐れんで頂くしかない者であることをしっかり覚えて、神の国に入れ直させて頂きましょう。それが人生の祝福、いや永遠の祝福に与る方法です。
 最後に御言葉をお読みします。「詩篇131篇」です。「主よ。私の心は誇らず、私の目は高ぶりません。及びもつかない大きなことや、奇しいことに、私は深入りしません。まことに私は、自分のたましいを和らげ、静めました。乳離れした子が母親の前にいるように、私のたましいは乳離れした子のように御前におります」(詩篇131:1~2)。
 

聖書箇所:マルコ福音書10章1~12節     

 私は「アーミッシュの赦し」の話を良くしますが、その事件を扱ったセミナーに出たことがあります。そのタイトルは「アーミッシュ・グレース―(『赦し』は悲劇をどのように変えたか)」というものでした。2006年10月2日、ペンシルベニアのアーミッシュの村の学校に銃を持った男が乱入して、5人の子供を殺し、自分も自殺しました。アーミッシュのコミュニティーにとっては測り知れないほどの大きな悲しみと嘆きでした。しかし、事件の6時間後、アーミッシュの人々は、犯人の家族の許に出かけて行って、そして「私達は彼を赦します」と「赦し」を宣言したのです。事件以上に、その「赦しの宣言」に驚いて、世界中から2500のメディヤが取材に来たそうです。特に興味深く聞いたことがあります。実はその事件の8日前にも1つの事件があって、1人のアーミッシュの子供が、33歳の女性の運転する車に撥ねられて死亡したのです。犯人は逃げました。ところが、取材に来た記者に対して、子供のお母さんはこう言ったのです。「犯人が見つかって欲しい。その人に『私は赦します』と言いたいから」。これを新聞で読んだ犯人が、自首して出たのです。子供が銃で殺された時、彼らは「赦し」を宣言しました。それは1回限りの特別なことではなかったのです。いわば、それが彼らの生き方になっていたのです。私は、深く自分の心を探られました。このことは、後にまた触れます。
 今日の個所が取り扱うのは難しい問題です。私達は、その人生において色々なところを通らされます。信仰生活は、大きな喜びや祝福の生活ですが、しかし「(所謂)ばら色」の生活ではありません。様々な試練の中を通ることがあるのです。中には「離縁」という辛い現実を通られる方もおられます。いや、私自身もその痛みを経験することがあるかも知れません。そうでなくても、勇気がなくてひたすら我慢しているだけ、というところを通るかも知れません。いずれにしても「信仰の学び」は、「私と神様の関係」を学ぶものです。「私の生き方、私の在り方」を学ぶものであり、「誰かのことを測る物差し」を学ぶわけではありません。聖書の御言葉は、決して「御言葉で誰かを裁く」ような用いられ方をしてはならないのです。いや、それどころか、「離縁」の痛みを通った方だけが語り得る信仰の言葉があると思います。日本のキリスト教の代表的な指導者の1人であった内村鑑三も、離縁を経験した人です。メソジスト教会の創始者ジョン・ウエスレーの結婚生活も、破壊的なものだったと聞きます。でも彼らは、多くの人々に大きな影響を与えました。痛みを知っているが故に、悩みの中、痛みの中にある人の心に響く「信仰の言葉」があると思います。いずれにしても、この個所を学ぶ中で「離縁」の痛みを経験された方が辛い思いをされるようなことがないようにと、心から願います。そしてこの個所は、「離縁」の問題を入り口としますが、それを越えて、全てのキリスト者に「信仰のあり方」を教える個所です。「神と私の関係」という視点で学びましょう。
 1節に「イエスは、そこを立って、ユダヤ地方とヨルダンの向こうに行かれた…」(1)とあります。イエス様は、いよいよ十字架の待つエルサレムに向かう歩みを始められたのです。イエス様は、8章34節で「だれでもわたしについて来たいと思うなら、自分を捨て、自分の十字架を負い、そしてわたしについて来なさい」(8:34)と言われました。エルサレムへの道は、弟子達にとっては、十字架を担いでイエス様に従い行く歩みのはずでした。しかしその歩みを始めた時に、イエス様が弟子達に語られることになったのは、「離縁についての話」であり、次の13~16節「子供のこと」であり、さらに17~31節「富についての話」なのです。いずれもその切っ掛けがあったのですが、いずれにしても「結婚関係、子供との関係、富との関係」、それは、私達の日常生活に関わりの深いことです。聖書が書かれた時代に生きた人々も、私達と同じように日常生活を送り、家庭を営む人も多かったでしょう。子供が生まれれば子育てをしたことでしょう。また生きて行くためには、ある程度の富が必要でした。それは私達の生きる現実です。「その1つ1つの現実の中で、イエス様の弟子に相応しい心持ちを持って生きて行くには、どうしたら良いのか」、それは初代教会の時代から現代に至るまで、キリスト者の変わらない問いです。そのキリスト者の切実な問いに答える意味でも、マルコはこの個所を書き残したのかも知れません。
 ことの発端は、パリサイ人の質問です。2節「パリサイ派の人々が近寄って、『夫が妻を離縁することは、律法に適っているでしょうか』と尋ねた。イエスを試そうとしたのである」(2 新共同訳)。「律法に適っているか」とありますが、律法には「人が妻をめとって、夫となったとき、妻に何か恥ずべき事を発見したため、気に入らなくなった場合は、夫は離婚状を書いてその女の手に渡し、彼女を家から去らせなければならない」(申命記24:1)と定められていました。彼らは良く知っていました。しかし論争になっていたのは、「『恥ずべき事』とは何か」ということです。ある人達は「妻の不貞だ、それ以外の理由では離縁が出来ない」と言いました。ある人達は「料理が下手だというのも理由になる、家の外に聞こえるような大きな声でおしゃべりすることも理由になる…何でも理由になる」と言いました。パリサイ人は、自分が悩んで答を聞きに来たのではない。「イエスが離縁についてどのように考えているのか」、論争になっているこの問題について口を開かせることによって、何らかの罠にはめようとしたのでしょう。
 しかし、この質問の問題は何かというと、「夫が妻を離別することは…」(2)と言っているように、当時のユダヤ社会では離婚を言い出すことが出来るのは、男だけだったということです。特別な例外を除いて、女性が離婚を言い出すことは出来ませんでした。女性は「もの」として見られていたのです。そして、ユダヤ教の中に「『恥ずべき事』とは何か」、これを緩く、緩く、拡大解釈しようとする傾向があった。それは、当時のユダヤの男性の中に「結婚の問題も、離婚の問題も、自分達の自由に考えたい、結婚したい時に自由に結婚し、離婚したければ自由に離婚したい。それなのに『申命記』の戒めがあるから自由が制限される、窮屈だ。せめてその制限をなるべく広げて、なるべく自由に思い通りに出来るようにしたい」、そういう思いが働いていたと思います。私は、洗礼を勧められた時に―(大学3年生でしたが)―牧師に言いました。「タバコは止めます。でも酒は止められません。酒は止めなくても良いですか」。(結局、たばこもすぐには止めなかったのですが…)。神の恵みは経験していました。だから、神の恵みを受けて生きたいと思いました。しかし「あれはダメ、これはダメ」と言われるのは嫌でした。「神は信じたい。でもある部分では、神抜きで好きに生きたい」と思ったのです。卑近な例で恐縮ですが、もしかたしたら似たものがあったかも知れません。そういう思いが、恐らくこの質問の背後にあるのです。しかしそれは、信仰の問題として、勘違い、間違いなのです。
 このことは、決して当時のユダヤ人男性の問題ばかりではありません。CSルイスが現代のキリスト者について、「真面目に信仰生活はしましょう、でも信者の義務を果たした後は、神に干渉されないところで自由にやりたい…そういう意識、間違った信仰生活の理解を多くのキリスト者が持っている」(CSルイス)と言うのです。ですからこの問題は、「離縁」の問題を越えて「信仰生活をどうのように考えるか、信仰生活の目標をどこにおくのか」という、信仰生活の基本に関わる問題になって来るのです。
 信仰生活の目標を理解するためには、今私達が立っているところを確認しなければなりません。私達はどのような者なのか。イエス様は言われます。「モーセは、あなたがたの心がかたくななので、この命令をあなたがたに書いたのです。しかし、創造の初めから、神は、人を男と女に造られたのです。それゆえ、人はその父と母を離れて、ふたりの者が一心同体になるのです。それで、もはやふたりではなく、ひとりなのです。こういうわけで、人は、神が結び合わせたものを引き離してはなりません」(5~9)。イエス様は「『モーセの律法』が云々」を越えて、「神の御心」に人々の目を向けさせるのです。男性は、女性を「もの」と考え、自分の所有物と見ていた。しかし6節に「しかし、創造の初めから、神は、人を男と女に造られたのです」(6)とあるように、「神は男も女も等しく大切なものとして造られた」という、神が人をどう見ておられるか、神の前で人はどのような存在なのか、そのことを示されたのです。イエス様のポイントは、「『人との関係』を『神との関係』で考えなければならない」ということです。
 「申命記」10章に次のようにあります。「イスラエルよ。今、あなたの神、主が、あなたに求めておられることは…ただ…主を恐れ、主のすべての道に歩み、主を愛し、心を尽くし、精神を尽くして…主に仕え、あなたのしあわせのために…あなたに命じる主の命令と主のおきてとを守ることである…あなた方は…もううなじのこわい者であってはならない…主は…かたよって愛することなく…みなしごや、やもめのためにさばきを行ない、在留異国人を愛してこれに食物と着物を与えられる。あなた方は在留異国人を愛しなさい。あなた方もエジプトの国で在留異国人であったからである」(申命記10:12~19)。後半の部分に「隣人(在留異国人)を愛しなさい」という戒めがありますが、「隣人を愛する愛」がどこから出て来るのかというと、それは「主を信じ、主を愛するところから、『この人は、主が愛しておられる人なのだ』と、『主がこの隣人を愛することを求めておられるのだ』と思うところから出て来る」と言われているのです。イエス様が言っておられることも、このことなのです。「神を信じるということは、神の御言葉に心を開くことであり、神の御旨を素直に受け入れることであり、神が大切に考えておられるあなたの隣人に対して『神への愛』を持って向かうことだ」と言われる。(その人の背後にイエス様を見るということでしょうか)。そのような意味で聖書には「隣人への愛」が強調されているのです。その流れの中に「コリント人への手紙」13章の「愛の章」があるのです。「愛は寛容であり、愛は親切です。また人をねたみません。愛は自慢せず、高慢になりません。礼儀に反することをせず、自分の利益を求めず、怒らず、人のした悪を思わず、不正を喜ばずに真理を喜びます。すべてをがまんし、すべてを信じ、すべてを期待し、すべてを耐え忍びます」(コリント13:4~7)。
 しかし、一体私達の誰が、そのような愛で家族を、隣人を愛しているでしょうか。誰にそれが出来るのでしょうか。「それが神を信じることだ」と教えられても、また頭では「それは良い」と思っても、「私達には出来ない」という現実があるのではないでしょうか。私はもう長く、「赦せない」という問題に苦しんでいます。赦さなければならないことは分かっている。しかし「ハイ」と素直に頷けないのです。なぜ出来ないのか。そこに私の罪性があるのです。神の願われるような愛に生きることが出来ない罪性があるのです。神が恵み豊かな方であることは知っています。しかし、それでもなお神の言葉に心を開き得ない、なお神の言葉に「ハイ」と頷けない罪性、頑なさがあるのです。そう考えると、人との関係も、信仰者にとっては「信仰の問題」、私達が―(と言ってよいのでしょうか)―しっかりと握り締めている罪の問題であることが分かって来ます。
 そうであるなら、私達が本当に神と和らぎ、信仰の祝福を経験するためには、「神に嫌われないように義務を果たして、その後は自分の好きなように生きる、どれだけ好きに生きることが出来るかを考える」、そういう信仰生活が、的外れなものであるかが分かります。信仰生活というのは、「神の願っておられるように生きることが出来るように、神の願っておられるような隣人との関係に生きることが出来るように」、自分が変わること、神の恵みによって変えて頂くこと、そのことが大切なことなのです、それが目標にすべきことなのです。そこに本当の祝福があるはずのです。
 以前、水曜集会で取り扱った「人生を導く5つの目的」の中でリック・ウォレン牧師は、「私達が『自由に生きたい』と思っている状態、『それは「自由」に生かされている状態ではない』」と言っています。「私達が『自由だ』と思っている状態、その本質は『自我、人の期待、お金、怒り、恐れ、プライド、欲望、エゴに動かされている姿だ』」と言っている。私達は自分の経験からもそのことを知っています。私達が「自由」だと思っている感情、それは本当に自由なのか。自由どころか、実は色々なものに振り回されて生きている姿ではないでしょうか。
 「アーミッシュ・グレース」のセミナーの中である人がこう質問しました。「彼らはその犯罪を赦した。でもそれは客観的に正しいことなのか」。難しい問題です。しかし講師によると、彼らは、第一義的には、犯人の家族のことを思って赦したのではない。彼らは「私達は自由になるために赦すのだ」と言ったそうです。もちろん彼らが「赦し」に生きようとするのは、まずイエス様がそう教えられたからです。「だから、こう祈りなさい。『…私たちの負いめをお赦しください。私たちも、私たちに負いめのある人たちを赦しました』。もし人の罪を赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたを赦してくださいます。しかし、人を赦さないなら、あなたがたの父もあなたがたの罪をお赦しになりません」(マタイ6:8~15)。その他、聖書の中には「赦し」に関する教えが沢山あります。彼らは、イエスの教えに従って生きようとしている。そこから「赦し」は出て来ているのです。アーミッシュの1人は言ったそうです。「なぜ『赦す』か『赦さない』かで騒ぐのか。クリスチャンだったら赦すことは、すでに決まっていることではないか」。この言葉に激しく心探られました。彼らは、イエス様に従って生きようとした結果として赦した。しかし、同時に彼らは、自分が自由になるために赦したのです。激しい憎しみに縛られて生き続けることがないように、その憎しみから解放され、自由になるために赦した。それが彼らの言い分だった。良く「絶対に赦しません」という言葉を聞きます。耐えられない痛みを負わされた方にとって、それは自然な感情だと思います。だから、私などがとやかく言えることではありません。でも「自由になるために赦す」という言葉は、言い換えれば「主の言葉に従う時に自由になるのだ」と教えているように思います。神の御心に適う生き方を求めること、神の御心に適う生き方が出来るように変えられることを求めること、それこそが私達自身を本当に自由にする生き方であり、力ある生き方であると思います。「力ある生き方」というのは、例えばこれらの事件では、それだけが「復讐の連鎖」を断ち切ることが出来るからです。子供を撥ねた犯人の心を捕らえたのも「赦し」だったです。
 しかし、そのためにはどうすればよいのでしょうか。ここで私達は、イエス様が十字架に向かって歩き始められた、その時にこの言葉を語っておられることを考えなければなりません。アーミッシュの人達は、またこうも言ったそうです。「イエス様が十字架で死んでくれた、その十字架の痛み、それを思う時に赦すことが出来た。神の助けによって赦すことが出来た。赦しの力は神から来るのです」。彼らは「迫害する者を赦すことが出来るようにして下さい」という古い祈りを、日常の祈りにしているのです。同じように私達もイエス様の十字架を思う時、十字架の上で手を広げて「あなたのために十字架に掛かっているのだよ」と言われるイエスの声を本気になって聞く時、そして十字架の赦しを受け取る時、心に働く神の霊の働きによって、私達の心は少しずつ溶かされ、私達は少しずつ変えられて行くのではないでしょうか。そして少しずつ、具体的な生活、人間関係の問題の中で「変えられる祝福」、そのことによる自由を、経験して行くのではないでしょうか。
 

聖書箇所:マルコ福音書9章42~50節     

 神学校の先生が「本物のパピルス」を見せて下さったことがあります。私達が使っている紙に比べると、厚くて、硬くて、ポリッと割れてしまいそうな、使い勝手の悪そうな「紙」でした。聖書が書かれた時代、私達が持っているような紙はありません。「パピルス」か、羊の皮をなめして作った「羊皮紙」と呼ばれる「紙」か、どちらかです。どちらも高価だったでしょう。また印刷術等もありませんから、全て手書きです。要するに誰でもが聖書を持てる、という時代ではないのです。当時のクリスチャン達は「家の教会」に集まり、そこで読まれる聖書の言葉を聞いて、覚えたのだと思います。ということは、聖書は、ある意味で「教会で読まれ、皆が覚える」、そういうことを前提として書かれている面もあると思います。覚えるために一番良いのは、連想出来るようにすることです。「4月」、「4月と言えば桜」、「桜といえば桜餅」…と連想出来るようにしておくと覚え易いです。私は高校時代、英語の単語を「連想暗記術」という方法で覚えました。連想で覚えると、いつまでも忘れないのです。
 実は今日の個所は、そのように「『連想してイエス様の言葉を覚えることが出来るように』ということを意図されて書かれている個所ではないか」と、学者達が言うそうです。前回の箇所の最期、41節に「…キリストの弟子だからというので、あなたがたに水一杯でも飲ませてくれる人は、決して報いを失うことはありません…」(41)とありました。「キリスト者に親切にする」ということです。そうすると、この言葉から、イエス様が「その逆のこと」を言われた言葉を連想することが出来ます。42節「わたしを信じるこの小さい者たちのひとりにでもつまずきを与えるような者は、むしろ大きい石臼を首にゆわえつけられて、海に投げ込まれたほうがましです」(42)。今度は「つまずき」という言葉が出て来ますから、「他の人をつまずかせる」のではなく「自分がつまずかないようにしなさい」と言われた言葉を連想することが出来ます。そういう具合です。なぜそのように言われるかと言うと、「全体としてテーマの一貫性」に欠けるように見えるからです。全体の主題(テーマ)、ポイントが掴み難いのです。
 ですから「そういうこともあるかも知れない」という可能性を確認した上で、しかし、「福音書」記者マルコが「1つのまとまった個所」として書いているのは、やはり彼なりの意図が、伝えたいイエス様のメッセージがあったからではないかと思うのです。そしてそれはもちろん、イエス様がそのご生涯で教えておられたことを反映するもののはずです。だからこそ、神の許しの下で、このような形で聖書に収められたのです。では、マルコが意図した全体テーマとは何なのでしょうか。
 この個所を理解するための中心的な言葉は、一番多くのスペースが割かれている「43~47節」の中の、43節「いのちにはいる」、45節「いのちにはいる」、47節「神の国にはいる」の言葉だと思います。「いのちに入る」と「神の国に入る」は、同じ意味で使われています。つまり、ここには「『神の国』に入ることの、何にもまして大切なこと」が語られていると言えます。この「『神の国』に入ることの重要性」という言葉をキーワードとして、全体をもう一度眺めてみましょう。
 42節「わたしを信じるこの小さい者たちのひとりにでもつまずきを与えるような者は…」(42)。「小さい者」がつまずくと、その人は「神の国」に入ることが出来ません。そのことは言い換えるならば、1人の人が「神の国」に入ることが、どれだけ重要かということです。しかし、他の人をつまずかせることも大問題ですが、その前に、まず自分が「神の国」に入ることが出来るようにしなければなりません。そこでイエス様は、「私達が『神の国』に入るために私達をつまずかせるものがあれば、切って捨ててしまった方が良い」と言われる。「それを切って捨ててでも『神の国』に入った方が良い、さもないと『ゲヘナ(「地獄」新共同訳)』に投げ込まれる」と言われるのです。
 ここで確認したいのは、「神の国」とは何か、「ゲヘナ(地獄)」とは何か、ということです。「神の国」の「国」という言葉は、「支配」という言葉と同じ言葉です。「『神の国』に入る」と言うのは、「日本の国に入る」というような「場所的な意味合い」ではありません。「神の支配に入る」ということです。人は「キリストの十字架を『自分のためであった』」と信じることによって「神の御手の中」に、「神の保護下」に入って行くのです。そして、その「神との関係」が私達を守って行くのです。私達は、やがて死を迎えます。生と死の間には、激しい断絶があります。こちらから死の世界へ手を伸ばすことは出来ません。だから、私達は死を恐れます。しかし、神との関係にあれば、神は生も死も支配しておられる方ですから、神との関係が私達を「死の滅び」から守って行くのです。その意味で「(永遠の)いのちに入る」ことなのです。それは「天の御国」に続いて行くものなのです。私達は、ここ3年あまりの間に何人もの兄弟姉妹と地上の別れを経験しました。しかし、ご葬儀のたびに「この方は天国に行かれたのだ」と、私達には確信が与えられます。神様が、そう語って下さるのです。だから、葬儀は悲しみですが、希望の時でもあります。いずれにしても、だから「神との関係に入ること」が大切なのです。
 一方、「ゲヘナ(地獄)」ですが、これはもともと、エルサレム城外にある「ベン・ヒノムの谷」のことでした。ヘブル語の「ベン・ヒノム」をギリシャ語に直すと「ゲヘナ」になるそうです。「旧約」の時代、イスラエルの悪王達は、「バアル」という偶像の神を拝み、バアル信仰のしきたりに従って、自分の子供を焼いて神に捧げる、ということをしました。「子供を捧げる」というのは、当時、他宗教においては広く行なわれていたことです。真の神に背いた王達がそれを行なったのが、「ベン・ヒノムの谷」でした。聖書の神は「子供を捧げる」等という行為を厳しく戒めておられます。さらに「そんなことをする者を裁く」と言われます。そこから「ベン・ヒノムの谷」は、「神の裁き」を象徴する場所となりました。後には、その場所はエルサレムのゴミ焼却場となり、ゴミを焼く火が絶え間なく燃えている場所となりました。そして、その「神の裁きの象徴」であり、また「絶え間なく火が燃えている『ベン・ヒノムの谷』」の名前は、特定の場所を示す以上に、「神の裁き」そのものを意味する一般名詞になったのです。「神の国」が「神との関係」を表すように、「ゲヘナ(地獄)」も「神の裁き」という状態に主眼が置かれた言葉なのです。「神の裁き」の下にあれば、当然、「永遠のいのち」に入ることは出来ないのです。
 イエス様は、「人は、『神に裁かれる状態』ではなく、『神の御手の中に入り、神との良き関係の中で生きること』、それが何よりも大切で、何を失ってでも、それを自分のものに、人生の目的にしなければならない」と言われるのです。
 しかし、こう言われる時、イエス様は具体的には、何をイメージしておられたのか。そこで思い出さなければならないのが、このイエス様の言葉は、元々、弟子達の「誰が一番偉いか」という論争から始まっているということです。イエス様は、この個所の最後で「そして、互いに和合して暮らしなさい」(50)と言われました。つまり、「誰が一番偉いか」とお互いにピリピリ競い合っているような状態は、本来、神の支配に入っている状態ではないのです。CSルイスも「人間の最大の罪はプライドだ」と言っています。プライドから、妬みや、僻みや、自己中心や、裁きや…そのようなものが出て来るのではないでしょうか。そのプライドに支配され、プライドに振り回されて、お互いに和合出来ない状態は、「神の御手」の中から飛び出して、自分を「神の裁き」の下に置くような状態なのです。私達に人間関係の問題をもたらし、私達が「神の国(支配)」に入ることを妨げている一番のもの、それは恐らく「プライド」です。私達は天国について、どのようなイメージを持つでしょうか。皆が優しく労わり合い、憐れみ合い、心から愛し合う、そういう恵みに満ちた世界を想像します。「天国に行ったら、右と左に分かれて争っていた」、そんな天国なら、永遠に暮らすのが、なぜ楽しいでしょうか。「神の国」は平和です。「神の国」は和解です。「神の国」は仕え合いです。だから、イエス様がここで言わる一番のことは、私達の中に、その平和、和解、和合、「神の国」の特徴を壊すものがあれば、それを切って捨ててしまいなさい、ということです。「誰が一番偉いか」等という論議は、最も「神の国」から遠い論議なのです。
 でも、そのためにはどうすれば良いのか。イエス様は「地獄では蛆が尽きることも、火が消えることもない。人は皆、火で塩味を付けられる」(48~49新共同訳)と言われます。「火で塩味をつけられる」とはどういうことでしょうか。「コロサイ書」に「いつも、塩で味付けされた快い言葉で語りなさい。そうすれば、一人一人にどう答えるべきかが分かるでしょう」(コロサイ4:6)とあります。「塩味をつけられる」ということは、「神の国」を生きる者の特徴として使われる言葉です。しかし「火」とは、何を意味しているのでしょうか。これは、私達にやって来る様々な試練かも知れません。人は、確かに試練によって清められます、導かれます。カナダで開拓伝道を始めた頃、教会会議の伝道委員会の人達と一緒に食事をしながら交わったことがありました。1人の高齢の兄弟が自分のことを話して下さいました。彼は、戦後すぐに旧ソ連(ウクライナ)からカナダに移住して来た人でした。旧ソ連では、メノナイトの人達は大変な迫害を経験しました。彼は言いました。「ある日、コミュニストが家にやって来て、私の父を連れ去った。父は2度と帰って来なかった」。こういう事件が沢山あったのです。しかし彼は、その辛い話をにこやかな表情で話すのです。私は、その人の中に「もう何があっても揺れない『樫の木のような信仰』」を感じたのを覚えています。CSルイスは言いました。「もしも世界が実際に『魂をつくる谷』であるならば、世界は概してその仕事を良く果たしているように思われます」(CSルイス)。それを思う時、神が私達に試練がやって来るのを許しておられる、それが理由の1つかな、とも思います。
 しかし、48~49節の「火」は、良く読むと「地獄の火」を意味していることが分かります。その言葉通りの「地獄の火」を、私達は経験していません。でも「地獄の火」を経験された方がおられます。イエス様です。イエス様は、私達に代わって「神の裁きの火」を経験して下さいました。その意味で「地獄の火で塩味をつけられる」というのは、「十字架によって…」ということではないでしょうか。水野源三さん―(子供の頃の脳性麻痺で、生涯、瞬きしか出来なかった方ですが、瞬きを使って神様を讃美する素晴らしい詩を作り続けた方です)―がご自分の信仰を証する詩を書いておられます。「もしも私が苦しまなかったら、神様の愛を知らなかった。もしも多くの兄弟姉妹が苦しまなかったら、神様の愛は伝えられなかった。もしも主なるイエス様が苦しまなかったら、神様の愛はあらわれなかった」(水野源三)。しかし水野さんは、イエス様の苦しみが自分のためであったということもしっかりと受け止めておられます。「ナザレのイエスは…本当に知らないと、私も叫びました、私も叫びました、主よ主よ、ゆるし給え。ナザレのイエスを…十字架につけよと、私も叫びました、叫びました、主よ主よ、ゆるし給え。ナザレのイエスよ…そこから降りてみよと、私も叫びました、私も叫びました、主よ主よ、ゆるし給え」(水野源三)。そして、その自分のためにイエス様に死んでもらった者としての生き方も、詩に書いておられます。「主よ、あなたが十字架にかかって愛しておられるあの人を、愛のない私も心から愛させてください」(水野源三)。つまり、「イエス様が十字架にかかられた」、その思いを、私達が本当に受け止めようとする時、十字架の火は、私達に塩味をつけて行くのではないでしょうか。つまらないプライドにこだわっている
 私達が、和解へ、和合へ、導かれて行く。それはつまり、私達の心が神の支配の中にもう一度引き入れられて行くということなのではないでしょうか。
最後に、淵田美津雄という方の書かれた「真珠湾からゴルゴダへ」というお証を紹介して終わります。十字架で塩味をつけられるということを具体的に教えてくれる証しです。淵田美津雄という方は、日本軍の真珠湾攻撃の爆撃隊長をしていた方です。日本が負けて戦犯を裁く裁判が始まりました。彼は旧海軍の軍人として「軍事裁判は、勝者が敗者に対して行なう復讐だ」と怒りと憎しみを燃やしていました。そんな時、アメリカ軍の捕虜になっていた日本兵から不思議な話を聞きます。日本兵が捕虜として収容されていたキャンプに、いつの頃からか1人のアメリカ人の若い女性が現れるようになり、日本兵に何かと親切をしてくれるようになりました。あまりの親切に心打たれ、また不思議に思った彼らは、「お嬢さん、どうしてそんなに親切にしてくれるのですか」と尋ねました。彼女はやがて答えました。「私の両親が日本軍によって殺されましたから…」。話はこうでした。彼女の両親は、宣教のためにフィリッピンにいましたが、日本軍がフィリッピンを占領したので難を避けて山中に隠れました。やがて3年後、アメリカ軍の逆上陸によって日本軍が山中に追い込まれました。そしてある日、その隠れ家が発見されて、日本軍はこの両親を「スパイだ」と決めて、「斬る」と言いました。両親は「私達はスパイではないが、どうしても斬るというのなら、支度をしたいから30分の猶予を下さい」と言いました。そして与えられた30分で、聖書を読み、祈り、斬られて行ったのです。アメリカでその話を聞いた彼女は、悲しみと日本軍に対する怒りで胸は張り裂けそうでした。しかしある時、彼女は「両親は殺される前の30分間に何を祈ったのだろうか」と考えました。その時に、彼女の心は憎しみから人間愛に変わったというのです。
 淵田さんは「美しい話だ」とは思いましたが、良く分からないものがありました。そんなある日、渋谷駅の前で1人のアメリカ人が道行く人々にパンフレットを配っているのに出くわしました。「私は日本の捕虜でした」と題してあり、中には「『獄中で虐待されている時、人間同士がなぜこうも憎み合わなければならないのか』と考え、『人間相互の憎み合いを兄弟愛に変える』というかつて聞いたキリストの教えに心が向き、聖書を調べてみようという不思議な欲求に捕われた」とありました。同じ心境だった淵田さんは、心が動き、聖書を買って読んで見ることにしました。読んでいるうちにぶつかったのが、キリストの十字架上の言葉でした。「父よ、彼らを赦したまえ、その為す所を知らざればなり」(ルカ23:34)。その言葉に出会った時、淵田さんは、あのアメリカ人の若い女性の話が頭にひらめきました。彼女が斬られる前のご両親の祈りをどう理解したか、それが分かったのです。「神様、今日本の軍隊の人達が私達の首をはねようとするのですが、どうぞ彼らを赦して上げて下さい。この人達が悪いのではありません。地上に憎しみや争いが絶えないので、戦争などが起こるから、このようなこともついてくるのです」。そこに思い至った時、淵田さんは目頭が熱くなり、涙が溢れ、そしてキリスト教信仰に踏み出すのです。
 私達の信仰生活を導いて行くのは、十字架を思うことではないでしょうか。主はどのような思いで、私のために十字架にかかられたのか。主は、私がどのように生きることを願い、十字架にかかられたのか、それを忘れないことだと思います。それを思うことが、私達を「神の国」に導き直します。それを思うことが、私達が誰かを躓かせることから守ります。私達は、もう一度、私の「いのち」のために十字架に架かられたイエス様の願いに、その十字架を見守られた神様の願いに、思いを致したいと思います。そしてそれを大切にして「神の国」の中を歩いて行きたいと願います。