2022年5月 佐土原教会礼拝説教

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聖書箇所:マルコ福音書7章24~30節    

 3年前にお出で下さった佐藤彰先生の本の中に、次のような話があります。ある時、先生の、3歳になるご長女の靴が一足見当たらなくなりました。あるはずの所にありません。捜しても、捜してもありません。結局、その靴のことはいつしか諦めてしまわれました。そんなある日、先生が、自動車を運転しながら、ふと後ろの座席を振り返ってみると、1歳のご次女が、なくなったはずの靴をおもちゃにして遊んでおられたのです。「あった!でも、どこに?」。やがて一切のことが分かりました。靴ははじめから、自動車の前部座席の下にあったのです。「ない、ない」と目の色を変えて捜し回っておられた時から、前部座席の下にあったのです。しかし、それが、体が大きく、視点も高い大人の目には入らず、1歳のご次女の目には、自然と飛び込んできたのです。そして、靴に興味を持ったご次女は、当たり前のようにして、手に取って遊んでおられたのです。先生は、この出来事のレッスンを次のように書いておられます。「私たち目の位置の高い大人には見えなくて、その位置の低い1歳になったばかりの女の子には見えた――という事実が残りました。高いがゆえに見えなくて、低いがゆえに見える。何やら大切なことを教えられた気がして、自らの低くあることの幸い、自らを低くすることの尊さを、今一度胸に刻んだ次第です」。
 {因みに佐藤先生ご夫妻は、原発事故で避難せざるを得なかった元々の地域―(そこが帰還可能区域になるそうです)―にある教会に戻り、そこでの働きを再開されると伺いました。祝福をお祈りしたいと思います}。
「自らを低くする」、特に神様に対して身を低くする、このことは信仰においても大切なことではないでしょうか。今朝の個所も、そのようなことを教えてくれる個所です。今朝は「スロ・フェニキヤの女が教える信仰の姿勢」というテーマで、信仰の学びをしましょう。
 24節に「イエスは…ツロの地方へ行かれた。家に入られたとき、だれにも知られたくないと思われたが、隠れていることはできなかった」(24)とあります。イエス様はここでガリラヤを出てフェニキヤのツロに行っておられます。ツロはガリラヤ文化圏でしたが、行政的には、国境を越えてシリア州のフェニキヤに位置します。異邦人の地です。(ちなみに「スロ・フェニキヤ」というのは「シリアのフェニキヤ」という意味です。北アフリカにもフェニキヤという町があったので、区別するために「シリアのフェニキヤ/スロ・フェニキヤ」と言いました)。なぜツロに行かれたのか。伝道と論争の激しい生活からしばらく身を隠して、休もうとされたのかも知れません。論争相手のパリサイ人や律法学者達は、「汚れる」と言って、異邦人の地域には来ようとしなかったでしょうから。
 しかし、身を隠そうとされたイエス様を引っ張り出すような人物が現れるのです。スロ・フェニキヤの女―(ギリシャ人、異邦人の女)―です。彼女には「汚れた霊につかれている」としか表現できないような病気で苦しんでいる「小さい娘」がいたのです。3章に「ヨルダンの川向こうやツロ、シドンあたりから、大ぜいの人々が、イエスの行なっておられることを聞いて、みもとにやって来た」(3:8)とあります。イエス様のことは、すでにツロの地域にも知られていました。彼女もイエス様の噂を聞いていたでしょう。「そのイエス様がツロに来られた」と言う話を聞いて、急いでやって来て、イエス様の足元にひれ伏して娘の癒しを願ったのです。
 ところが意外にも、イエス様は彼女の願いを拒否されます。「するとイエスは言われた。『まず子どもたちに満腹させなければなりません。子どもたちのパンを取り上げて、小犬に投げてやるのはよくないことです』」(27)。慈愛に溢れたイエス様の言葉とは思えない言葉です。「子どもたち」はユダヤ人、「子犬」はユダヤの神を信じない異邦人のことです。イエス様は、何を考えてこのように言われたのでしょうか。
 1つには「まず子どもたちに十分食べさせなければならない」とあるように、この時期「イエス様は、その伝道のターゲットをユダヤ人に絞っておられた」ということがあります。弟子達を伝道に送り出す時も「邦人の道に行ってはならない…サマリア人の町に入ってはならない…イスラエルの家の失われた羊のところへ行きなさい」(マタイ10:5~6)と言っておられます。また「ユダヤ人から始める」と言うは、神様の計画でもありました。創世記22章18節で神様はユダヤ人の父アブラハムに向かって「地上の諸国民はすべて、あなたの子孫によって祝福を得る。あなたがわたしの声に聞き従ったからである」(創世記22:18)と言っておられます。そして実際に、イエス様によって訓練されたユダヤ人の弟子達によって、キリスト教(福音)は、異邦人へ―(全世界へ)―広がって行くのです。
 しかし、そのような事情があったとしても、「小犬に投げてやる」という言葉は激しく聞こえる言葉です。「小犬」と訳されている言葉は、日本語に直すと「我が家のワンちゃん」というような温かいニュアンスの言葉だそうですが、それでも「犬」ですから、言われた人間が嬉しいはずがありません。屈辱を感じる言葉です。確かに当時のユダヤ人は、異邦人のことを「犬」と呼んでいました。そういう文化の中で起こっていることです。それも全く関係のないことではないかも知れませんが、もちろんイエス様は、そういう意図で言われたのではないでしょう。宗教改革者ルターは「主イエスのこの言葉によって、女の心も肉体も粉々に砕けた」と解説したそうです。その通りでしょう。
 しかし、ここがポイントですが…。イエス様に何かを願うことは誰でもしました。しかし、一生懸命願ったのに断わられた、大事なのは「そこでどうするか」です。言葉を換えれば「神様を信じて生きている。それにも拘らず嬉しくないことがやって来る。『どうして私にこんなことが起こるのですか』と神様に言いたくなる。しかも、神様からの助けがないように感じる。その時どうするか」ということです。私達だったらどう反応するでしょうか。「そこまで言われて頼む必要はない」と掌を返すように態度を変えるでしょうか。「神様を信じていたって、ダメなものはダメなのだ、結局何もならないんだ」、あるいは「神なんかおられないのだろう、おられたとしても、私のことなんか構ってくれる神ではないのだ、もう良い」、そう開き直るでしょうか。でも、彼女はそうしなかったのです。イエス様が拒否された、その言葉に対して言うのです。「主よ。そのとおりです。でも、食卓の下の小犬でも、子ども達のパンくずをいただきます」(28)。当時の人々は手を使って食事をしました。食事中に汚れる手は何で拭いたでしょうか。ナプキンはありません。パンで拭いたのです。そしてその汚れたパン屑はテーブルの下に落としました。子供達は、自分の落とすパン屑を小犬が食べようとするのを見て「あっちへ行け」とは言わないでしょう。「もっと食べさせてやろう」と喜んで落としたのではないでしょうか。彼女は、その場面をイメージしてイエス様に返事をしました。「主よ…でも、食卓の下の小犬でも、子どもたちのパンくずをいただきます」(28)。言い換えれば、「イエス様、それでもイエス様から溢れる恵みは、私達にまで及んで来るに違いありません。私はイエス様の恵みに与れます。あなたはそれほど恵み深い方です」とそう言っているのです。「『小犬』という言葉は『ワンちゃん』というようなニュアンスの言葉だ」と申し上げました。ある聖書学者はこの言葉からこう解説しています。「イエスはこの言葉を、柔らかな態度で―(微笑みながら)―話されただろう。それを見て取って彼女は、機会がどちらにでも動くのを知った」(Wバークレー)。 
 イエス様は、見下げるように、馬鹿にするように、この言葉を言われたのではないのだと思います。そのイエス様の雰囲気も助けになったと思いますが、彼女はイエス様の「拒否」の返事の中に―(祈りが聞かれないような状況の中に)―それでもそこに隠されている「神の恵み」を信じて、その恵みを探そうとしました。恵みを探そうとしたから食い下がったのです。いや「食い下がった」と言うより、イエス様は「拒否」の言葉を語っておられるのに、彼女は「いや、あなたの恵みは私に及びます、及ばないはずがありません」と、あたかもイエス様が「分かりました」と返事をされたかのように答えたのです。カナダの教会で中野雄一郎という先生を伝道集会にお招きしたことがあります。メッセージの中で先生は「領収書の祈り」という話をされました。「クリスチャンは『ああして下さい、こうして下さい』と『請求書の祈り』ばかりしている。そうではなくて『○○して下さることを信じます。ありがとうございます』と『領収書の祈り』をしなさい」ということでした。先生の言葉を借りれば、彼女は「領収書の祈り」をしたのです。イエス様の意図はここにあったと思います。彼女からこの信仰を引き出そうとされたのではないでしょうか。これこそ神の恵みを豊かに受け取って行く信仰です。そして彼女は見事に、イエス様の「拒否」の言葉の中に、「大丈夫だよ」という響きを感じ取り、恵みを信じて食い下がったのです。
 イエス様は言われます。「そうまで言うのですか―(『その言葉で、じゅうぶんである』口語訳)。それなら家にお帰りなさい。悪霊はあなたの娘から出て行きました」(29)。イエスが癒しを為さる時、例えばヤイロの娘を癒す時には、「少女よ…起きなさい」(マルコ5:41)と、ご自分の言葉をかけて癒されました。しかしここでは、聞きようによっては、彼女が「食卓の下の小犬でも子供達のパン屑をいただきます―(異邦人の私にもイエス様の恵みは及ぶはずです)」と言ったその言葉を、イエス様はご自分の言葉のようにして用いて、その言葉のままに御業を為さったかのようです。この物語は、聖書の中で唯一、イエス様が論争に負けた物語です。いや負けて下さった物語です。そしてイエス様を負かしたのは、異邦の女の「領収書の祈り」だったのです。その信仰をイエス様は、「マタイ」の並行個所では「あなたの信仰はりっぱです」(マタイ15:28)と言っておられます。
 しかしここで大切なことは、なぜ彼女は、イエス様の言葉の中に「大丈夫だよ」という響きを聞き取ることが出来たのかということです。私達は、普段どのような姿勢で神様に向かっているでしょうか。私は、今までも切羽詰まったような時、神様を脅すことがありましたが、昨年、鬱だった時が、一番不信仰になった時だったように思います。「神様、なぜこの状態を放っておかれるのですか」、「あなたはおられるのですか」と祈っているうちはまだ良かったのですが、最も状態が悪い時には「神なんかいないんだ」といじけてみせる、そこまで行ったのです。皆さんは、いかがでしょうか。私のような酷い不信仰ではなくても、神を脅すような信仰を生きてしまうことはないでしょうか。
 しかし、彼女はそうではなかったのです。彼女はイエス様の所に来て、足元にひれ伏しました。ひれ伏してうずくまるようにしてイエス様に頼み、イエス様の厳しい言葉を聞いたのです。彼女がイエス様の「拒否」とも取れる言葉の中に、それでも「恵み」の響きを聞き取ることが出来たのは、ひれ伏していたからではないでしょうか。身を低くして、謙遜にすがっていたからではないでしょうか。初めにご紹介したように、私達の日常生活にも、身を低くしなければ見つけられない探し物があります。神の恵みも同じではないでしょうか。彼女は、本当に身を低くしました。脅すような信仰ではなかったのです。「主よ」と呼びかけ、恵み深い主を信じて、主の恵みにすがったのです。身を低くしたからこそ、イエス様の中に溢れている恵みを感じ取り、その恵みに信頼して食い下がることが出来たのです。私は、自分の信仰の姿勢を問われます。私達は、神様を、イエス様を「主よ」と呼びながら、どれ程、「私の主」である方に信頼を置いているのか、どれ程、その方の前に真の謙遜を持ち得ているのか、本当に謙遜になって仰ぎ見て、恵みを求めているか、そんなことを問われます。
 ただ、私達の心は、どこかでこう言うかもしれません。「彼女は娘が治ったから良いけど、信じて祈ってもその通りにならないことがあるじゃないか。恵みを見出せないことがあるじゃないか。その時はどうするのか。それはどう考えれば良いのか」。カナダでお世話になったクリスチャンの姉妹から―(彼女は病院で看護師をしておられたのですが)―こんな話を聞いたことがあります。彼女は、ある病気の方々ばかりをお世話をしておられました。その病気の方々の状況は、実際大変だそうです。だから多くの人が、自分の運命を呪うような言葉を口にされるそうです。「なぜ自分だけこんな目に遭うのだろうか。他の人達はこんな苦しみも知らずに元気に暮らしているのに」。ところがアフリカから移住して来た1人のクリスチャンが、こう言ったそうです。「母国にいたとしたら、とてもこんな治療は受けられなかった。こうやって必要な治療を受けられることを神様に感謝している」。彼女は私に言いました。「信仰に生かされている人とそうでない人では、同じように治療を受けていても、その生きる姿勢がはっきり違うように見える。そして、その姿勢の違いが、その人の人生を良くも悪くもして行くように見える。私はその人達を見ていて、信仰者が神様から受けている恵みの大きさを確認させられている」。確かに信じて祈っても、祈ったようにならないことがあるでしょう。しかし、そこに恵みはないのでしょうか。スロ・フェニキヤの女は、ここで我を失っていません、取り乱していません、しっかりとした落ち着きを持っています。ある聖書学者は「それは神が彼女を支えているからだ」と言います。娘が癒されたことはもちろんですが、その前に、彼女を支えている神の働き、それこそ彼女が受けている大きな恵みではないかと、私は思います。神の恵みは、様々な形で与えられるのです。「治療を受けることが出来ることを感謝します」と言った人のように、私達が身を低くする時、神の恵みが見えて来るのです。そしてその恵みを見ることが出来る時、私達はその恵みに信頼して、神を信じて、前向きに生きて行くことが出来るのではないでしょうか。
 神様の恵み深さにどこまでも信頼して、身を低くして、謙遜に主を見上げて、人知を超えた主の深い恵みに生かされる信仰の生涯を歩ませて頂きましょう。
 

聖書箇所:マルコ福音書7章14~23節    

 こんな話を読みました。北米の話です。「ある人が屋台に一個50セントのベーグル(硬いパン)を売っていました。その前を、毎日ジョギングをして通る人がいました。彼は50セントを金入れの容器に放り込んで行きます。けれどもベーグルは取らずに走り去るのです。ある日、走り去ろうとするその人を、ベーグル売りが引き止めました。ジョギングしている人が『なぜ、お金を投げ入れるのにベーグルを持って行かないのか、尋ねたいのかい?』と聞くと、ベーグル売りは答えました。『いいや、ベーグルは60セントに値上げした、と言いたかったんだ』」。「強欲」な感じがしますが、文章はこう続いています。「クリスチャンも神に対して同じような態度を取りがちです。神が下さったものに感謝しないばかりか、もっと多くを求めます」。
私達の生活の中にも「神様からの50セント」が沢山あるのではないでしょうか。ある時、教会で1枚の紙を見つけました。こんな言葉がありました。「もし冷蔵庫に食料があり、着る服があり、頭の上に屋根があり、寝る場所があるなら、あなたは、世界の75%の人達より恵まれています」。「他の人と比べて恵まれているから…」という訳ではないのですが、確かに私達にも色々な問題はありますが、それでも感謝すべきことに囲まれているのではないかと思いました。(特に今、不条理な戦争を見せられ、平和の中で暮らせることの有り難さを痛感することです)。それにも拘らず、「『ベーグル売り』になっているな」と自分を振り返って思わされます。ビリー・グラハムは「感謝の心を持たないことは罪です」と言いました。聖書は教えます。「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです」(1テサロニケ5:16~18)。「感謝する」ということは、「私達がどのように成長して行けば良いのか」ということに関わる大切なことのように感じます。
今日は、前回の続きです。「内容」と「適応」に分けてお話しします。
 

1:内容…何が人を汚すのか

 14節に「イエスは再び群衆を呼び寄せて言われた」(14)とあります。わざわざ群集を呼び寄せて語られる。それだけ大切なことを語られるのです。何を語られるのか。実はこの前の箇所でパリサイ人や律法学者達が「イエスの弟子達が食前に手を洗わなかった」と言ってイエス様を咎め、「食事の前に手を洗わないことは身を汚す」と言って非難しています。「手を洗う」と言っても衛生的な意味ではない、宗教儀式的な「手洗い」です。「洗い方」がありました。「両手の指先を上げて上から水を手首に達するまで注ぐ。そしてお互いの手を、こぶしをこすりつけて洗う。次に指先を下に向けて水を注ぎ…」とあるそうです。彼らにとっては、それが「汚れ」から身を守ることであり、「神を信じる者」の当然あるべき姿だったのです。
この箇所は、その続きの箇所になります。それに応えて、イエス様のポイントは、「何が人を汚すのか」ということです。言い換えれば「聖められるとは、聖く生きるとは、どういうことか」ということです。
なぜ、ここで食べ物の話が出て来るかと言うと、「手を洗って食べる」ことに関連してですが、さらに「汚れ」に関連して、ユダヤ教には食べ物に「食べて良いもの」と「食べてはいけない汚れたもの―(人を汚すもの)」の区別があったのです。詳しくは「レビ記11章」や「申命記14章」にありますが、ある本に簡単にこうまとめてありました。「反芻する、ひづめの分かれている動物は食べてよいし、魚類については、ひれとうろこを持つものは良い…その結果、ウシ、ヒツジ、タイ、サケ、コイなどは良いが、ブタ、ウマ、イカ、タコ、アナゴ、シャコ等はダメ…寿司屋に入っても寂しいメニューになりそう…ユダヤ教徒は現代でもこれも守っている」(千代崎秀雄)。「何でこんなものがあるのか」と私達は思います。ある神学者が次のように説明しています。「ある動物を食べることが禁じられたのには主に3つの理由による…①ある動物は砂漠気候特有の病気を保持していた。②ある動物は食用に飼育するようなことになればおよそ経済的に馬鹿げていると言って良いほどの贅沢品だった。③ある動物はイスラエルが真似をしてはいけない異教の宗教に犠牲として好まれていた」(Dスチュワート)。さらに加えて説明します。「医学的な研究によれば、禁じられている多くの動物は人々にアレルギーを与えるものであった。食物規定はイスラエルをアレルギーから守るためのものであっただろう。なおイスラエルが最も良く食べたラム肉は、全ての肉の中で最もアレルギーの少ないものである」(Dスチュワート)。元々は「良きもの」として作られた法だったのでしょう。{ついでにご紹介しますが、その学者は「旧約律法の中で『新約聖書』の中に明らかに更新されているもの―(継続して教えられているもの)―以外の律法にクリスチャンは縛られる必要なない」(Dスチュワート)と教えます。「新約聖書」には食物規定はありません。いや19節には「イエスは、このように、すべての食物をきよいとされた」(19)とあります。だから私達は、何でも食べて良いのです。感謝なことです}。
 話を戻します。ユダヤ教には、食物規定だけでなく、身を汚すことになる事柄がその他にも色々と教えられていました。動物―(人間も含めて)―の死骸に触れること等もそうです。それらも、当時の社会では何らかの意味があったのだと思います。しかし、やがてその律法の規定を基に、事細かに「汚れないようにする方法、汚れから身を聖める方法」、そのようなものが作り出されて行ったのです。「手洗い」もその1つでした。しかし、「汚れ」とか、「汚れから身を守る―(聖める)」という考え方は、ユダヤ教に限ったことではありません。日本でも「お祓い」というようなことをします。「祓い給え、清め給え…」という祈りの言葉があります。しかし、ユダヤ教にしろ他の諸宗教にしろ、「汚れ―(汚れからの聖め)」についての問題は「汚れは外からやって来る」と考えることです。「神の前に自分の身が汚れる、神に近づけない者になる」、それは外からやって来るものがそのようにする、と考えている。だから「外のものから身を聖める、身を洗う、汚れを祓う」という発想になるのだと思います。
しかし、イエス様は「そうではない」と言われます。(18~19節)「…外側から人にはいって来る物は人を汚すことができない、ということがわからないのですか。そのような物は、人の心には、入らないで、腹に入り、そして、かわやに出されてしまうのです」(18~19)。「神の前に身が汚れる、神に喜ばれない者になる」、それは外からやって来るのか。イエス様は「外からの食べ物があなたを汚すことはない、人は外から来るもので汚されることはない」と言われるのです。
しかし問題は、では「外から来るものであなたが汚されることはない」と言うことは、「だから、あなた方は皆、聖いのだ」と言っておられるのかというと「決してそうではない」のです。「そうではない」どころか、もっと深刻なことを語られます。20~23節「人から出るもの、これが、人を汚すのです。内側から、すなわち、人の心から出て来るものは、悪い考え、不品行、盗み、殺人、姦淫、貪欲、よこしま、欺き、好色、ねたみ、そしり、高ぶり、愚かさであり、これらの悪はみな、内側から出て、人を汚すのです」(20~23)。イエス様は「外から来るものではなく、自分の心から出て来るものがその人を汚す」と言われるのです。ここに書かれている13の悪徳を1つ1つ説明することはしませんが、私達に一番身近なのは「ねたみ」ではないでしょうか。牧師会に行きます。お互いに近況報告をします。「うちの教会でこんな祝福がありました」という話を聞きます。「良かったな、神様は生きておられるな」と思う気持ちもあります。励まされる思いもあります。しかし、同時に妬む気持ちが確かに頭をもたげるのを感じるのです。自分でも醜いと思うのですが、湧いて来るものはどうしようもない。なぜ純粋に喜べないのか、と本当に思います。ちなみに、星野富弘さんがこんな詩を書いています。「私もあの犯人と同じことを考えたことがある。それがどんなに悪いことか、今、あの人が教えてくれた」(星野富弘)。もちろん13項目全部が全部ではないでしょうが、星野さんも言っておられるように、私達も「私の心の中には、こんな思いはない」とは言えない、何かしら覚えのあることです。もちろん人間のレベルでは、同じことを思っても「実際に行動するか、しないか」では大きな違いです。しかしどんな行動でも、根底に心情がある。だからイエス様も「悪い考え」(21)を先頭に持って来ておられます。その心情が行動に出るのです。ここに墨の入ったコップがあるとします。そのコップを私が倒します。この辺りが墨で汚れます。だれのせいでしょうか。私のせいでしょうか。もちろんそうです。しかし、もともとコップの中に墨が入っていたのです。その墨が倒れた拍子に表に現れて汚したのです。心にないことは外にも出ない。しかも「人が見るようには見ない…人はうわべを見るが、主は心を見る」(1サムエル16:7)と言われる神の目の前には、私達の心にあるそのようなものが神様を悲しませている、私達を汚しているのです。ですからイエス様は、この言葉を通して「あなた方は皆、神の前に汚れているのだ(よ)」と言っておられるのです。
私の中に私を汚すものがあるのです。私を神の前に喜ばれない者にする、色々な関係を傷つけてしまうもの、いやその前に自分の生き方さえ傷つけてしまうもの、そういうものが私達の中にあるのです。外側の問題ではない。何かのせいで、誰かのせいで、私が汚れてしまうのではないのです。私達自身の問題なのです。
 

2:適用…どのようにして聖く生きられるのか

 この個所は、重大な問題を指摘して終わります。「では、私達はどうすれば良いのか、どうすれば聖く生きられるのか」ということを「適用」として考えたいと思います。
私達の内側から悪いものが出て来るのであれば、内側ばかりを見つめていても何ともならないのです。神学校時代の友人は、信仰を持つ前、自分の罪に苦しんで、「聖くなりたい」と思って、1年間、毎朝水をかぶって心を聖くしようとしたそうです。でも「1年が経っても、心の中は何も変わらなかった」と言いました。こんな話も読みました。ある方の御祖父様は、警察官をしながら、ある宗教の働き人でもありました。色々な行事の度にあちこちに呼ばれて行って「清め給え、祓い給え」と「お祓い」をしておられたそうです。しかし家庭では、妻をなじり、近親者をなじり…。孫であるその方は、その姿を見ていて「自分の罪を清めることはできないのだな」と思ったそうです。私達には自分で自分を聖めることは出来ないです。内側から何ともならなければ、外側からやって来る力に頼るしかない。神がして下さることを期待し、待ち望むしかないのです。ヨハネは言いました。「自分の罪を公に言い表すなら、神は真実で正しい方ですから、罪を赦し、あらゆる不義からわたしたちを清めてくださいます」(1ヨハネ1:9)。私達がすることは、まず正直に自分の現実―(心の思い)―を神に告白することです。そうして神に赦しを求め、神に聖めて頂くことを願うことです。
神様は、どうやって私達を聖めて下さるのでしょうか。ミカ・バンザゴという人の話を聞きました。ミカ・バンザゴは泥棒でした。手当たり次第の盗みをしました。家族からも友人からも盗みました。刑務所に入れられたら、囚人仲間や看守からも盗みをしました。とうとう刑務所では、古代の法に則ってバンザゴの腕を1本切り落としました。その刑罰によって釈放され、彼は遠い土地に行って「もう盗みはするまい」と心に誓いました。しかし、とうとうある日、ある役人の家に忍び込んで逮捕されました。投獄された次の日、看守に呼び出されて「もしお前が囚人仲間や看守から盗みを働いたら、もう1本の腕も切り落とすぞ」と言われました。震え上がった彼は、しばらくは盗みたい衝動を抑えてじっとしていました。しかし、とうとう盗みを働いてしまいます。そして残っていた腕も切り落とされてしまいました。その刑罰によって釈放されました。それで盗みを止めたのか。いや、手で盗むことが出来ない彼は、口を使って盗みを働きました。しかし、盗まないでおれない彼の罪の性質が、ついに変えられる日が来ました。彼は知人に誘われて教会に行き、そこでイエス・キリストの救いのメッセージを聞いたのです。「イエス・キリストの十字架の血、その血によって私達の罪が赦され、イエス・キリストを信じるならば、その人は救われて新しく造りかえられる」。説教者は最後に言いました。「今イエス・キリストを信じて新しい人生に入りたいと思う人は手を挙げて教えて下さい」。ミカ・バンザゴは、自分を変えてもらいたいと思いましたが、挙げるべき手がありません。しかし彼は、大勢の人々を肩でかき分けながら前に出て行って「私はイエス・キリストを信じたいのです」と告白して、ついにイエス・キリストを信じて救いに導かれました。その時から、彼は変えられ始めたのだそうです。
イエス様に祈り求める者は、イエス様が私達の心を、罪の支配から、神に支配へと植え替えて下さり、神の慈しみによって、何より聖霊の働きによって、御心に適う根を張ることが出来るようにして下さるのです。私達を少しずつ変える、という方法で聖くして下さるのです。それを信じて、イエス様に祈り求めて行きたいと願うことです。
そしてそのためには、祈りと共に神の言葉に魂を耕してもらうことが大切です。ある学者は言いました。「神の民、また神の子とは、神の言葉によって生かされる者のことだ」。「汚れを祓う」とか「身を汚さないようにする」というようなことではなくて、より積極的に「御言葉に生きる」、それが「聖く生きる」ということではないでしょうか。ある時、1人の姉妹の闘病中の話を伺いました。「いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです」(1テサロニケ5:16~18)、この御言葉がその方の愛唱句だったそうです。だから病床でも「これまでの恵みを感謝します、この状況も感謝させて下さい」と祈っておられたそうです。御言葉に生きられたのです。それが最後の日々、その方の生き方を聖くした―(その方を聖く生かした)―のではないかと感じました。また私は「聖霊の働きによって変えられる」と言いましたが、「聖霊は御言葉と共に働く」とも言われます。御言葉に捕らえられることを願って聖書を読み続けることが大切です。「心に働いて下さる聖霊の働き」を願い求め、御言葉に生きたいと思うことです。そうやって私達は、少しずつ聖く生きて行くことが出来るのです。

3:終わりに

 初めに「感謝は信仰生活の重大事である」という話をしました。それは、「聖く生かされる」ということにも関係があると思います。シスターの渡辺和子さんが、こんなことを書いています。まだトースターがなかった時代、修道院では朝食のパンをオーブンで焼いたそうですが、時々、パンが黒焦げになりました。しかし、もったいないので、それも大皿に盛って食堂で出しました。修道士は、上から1枚ずつ取って行きます。ある修道士は、「また黒焦げか」と不機嫌な顔をして次の人に皿を回しました。次の修道士も、黒焦げのパンを取りましたが、裏返しにして「片側だけで良かった、ありがたかった」と言ったそうです。渡辺さんは「不機嫌は環境破壊だ」と言っておられますが、感謝を忘れないことも、私達を聖く生かすポイントではないでしょうか。だから聖書は「すべての事について、感謝しなさい…」(1テサロニケ5:18)と教えるのかも知れません。
 

聖書箇所:マルコ福音書7章1~13節    

 3月に召天された兄弟が、1月の礼拝でお証しをして下さいました。今から思えば、私達に対する信仰の遺言を残して下さったように思います。私は、兄弟のお証しの中で、特に2つのことを印象深く聞きました。1つは、兄弟がキリスト教に心を開くきっかけになった映画の話です。その映画を見て「自分を犠牲にして1人の人を愛し抜いた宣教師の姿に心が動いた、犠牲的な隣人愛に心動かされた」と言われたことです。もう1つ、印象深く伺ったのは、ご自身の長い人生経験を通してしみじみと語られた「人は罪を犯さずには生きて行けないのですよ」という言葉です。私達は、罪を犯さずには生きて行けないという現実を忘れることなく、だからこそ、「愛を生きる」という生き方を選んで行くことが大切であること、そのようなことを、兄弟の遺言として心に刻みたいと思うことです。
今日の箇所も、正にそのようなことが語られる個所です。「内容」と「メッセージ」に分けてお話しします。
 

1.内容~神の御言葉に聞こうとしない信仰の偽善

ガリラヤで伝道しておられたイエス様の活動が評判になっています。エルサレムの最高議会は、「自分達の許容出来る信仰を教えているのかどうか」、パリサイ人・律法学者という専門家を調査団として派遣して来ました。やって来た彼らは、直ちにイエスの弟子達に誤りを見つけました。弟子達が、食事の前に手を洗わなかったのです。「食前に手を洗う」というのは衛生のためではありません。「宗教的な汚れ」を清めるという意味がありました。宗教的に汚れると神に近づくことが出来ない。例えば街で人ごみの中に入ると色々な人と触れ合います。彼らにとって、異邦人は全て「汚れた人」でした。またユダヤ人の中にも、彼らにとって「汚れた人」がいました。「汚れた人」に触れて、自分も汚れたかも知れない。だから彼らは、街から帰って来ると体を洗い、食べる前には手を洗ったのです。「手を洗う」と言っても儀式的な「手洗い」です。「洗い方」まであったのです。とにかく彼らにとっては、それが「汚れ」から身を守ることであり、「神を信じる者」が当然すべきことだったのです。
しかし聖書には、「儀式に従って手を洗うように」等という戒めはありません。それは、5節に「昔の人たちの言い伝え」(5)とあるように、人が作った決まりなのです。そんな決まりが無数にあったのです。そして当時、その「人が作った決まり」を型通り行なうことが何よりも大切になっていた、それが信仰になっていたのです。「あるユダヤ教の教師(ラビ)が何かの理由で牢に入りました。牢の中で出される水は、渇きをしのげる程度の量でした。しかし彼はその水を、手を洗うために使ってしまい、渇きのために死にかけた」と言います。「手を洗う」ということがそれほど重要なことになっていたのです。その「手洗い」を、イエスの弟子達はしなかったようです。なぜイエス様は、弟子達に手を洗うように教えなかったのか。と言うか、おそらくイエス様は「弟子が手を洗おうが洗うまいが、頓着されなかった」のだと思います。そんなことは大事なことではないからです。
彼らの質問に対してイエスは、彼らを「偽善者」と呼んで反論しておられます。挑戦的な言葉です。なぜ「偽善者」なのか。9節「『あなたがたは、神の戒めを捨てて、人間の言い伝えを堅く守っている』…『あなたがたは、自分たちの言い伝えを守るために、よくも神の戒めをないがしろにしたものです』」(8~9)。「あなた方は信仰を大切にしているようで、実は『神の戒め(神の言葉)』を捨てている」と言われるのです。イエスが挑戦的なのは、彼らが神の言葉を無にしている現実に怒っておられるからです。
その例として取り上げられているのが「コルバン」の話です。例えば、神の御心は「十戒」の中にはっきりと示されています。「あなたの父と母を敬え」(出エジプト20:12)。加えて「自分の父または母をのろう者は、必ず殺されなければならない」(出エジプト21:17)とあります。要するに「父と母を大切にせよ」というのが神の御心なのです。ところが当時、そこに―(「手洗い」と同じように人が作った)―「コルバン」という決まりがあったのです。詳しく分からないのですが、例えば父母に必要があって子供にお金の援助を頼んだとします。子供はお金を持っている。神の言葉によって父母を大切にする義務がある。しかし出したくない。そういう時、「これは、お父さん、お母さんのために使いたいのですが、『コルバン』です」と宣言すると、それは「神のために使うもの」と決まってしまい、父母のために使うことが出来なくなった―(使わなくて済むようになった)―のだそうです。ユダヤ社会では「神のため」と言われたら、親だろうが言い返すことは出来ません。「コルバン」の決まりを大切にすることによって、「父と母を大切にせよ」という「神の御心(戒め/御言葉)」を無視することが出来たのです。そういうことが律法学者やパリサイ人の指導の下で教えられ、行なわれていたのでしょう。
そうやって人間の作った決まりを大事にしながら、肝心の「神の御心」が無くなってしまった信仰、神の御言葉に聞こうとしない信仰、しかも自分達では「信仰的だ」と思っている信仰、それをイエスは、「偽善」と言われたのです。「信仰とは神に聞くことだ」と言った人がいます。「神の御言葉に聞き、従う」という思いがない時、信仰は「偽善」に陥るのです。
 

2.メッセージ~罪を問う故の愛に生きる選択

ユダヤ人の教師(ラビ)とカトリックの司祭のこんな会話があるそうです。ジョークです。ある結婚式のパーティーに2人が同席しました。料理の中には豚肉を使った料理がありました。ユダヤ教のラビは、豚肉を食べません、禁じられています。カトリックの司祭が言いました。「どうしてこんな美味しいものを食べないのですか。神が造られたものを食べないのは罪だとは思いませんか」。ラビが言いました。「食べて上げますよ。あなたの結婚式にね」。カトリックの司祭は、結婚を禁じられています。ですからラビは「なぜ結婚しないのか」と皮肉で言い返したのです。私達は豚肉も食べるし結婚も禁じられてはいない。だからこのラビと司祭の話もどうということはありませんが、何が言いたいかというと、このパリサイ人・律法学者とイエスとの物語も、私達が「自分には関係がない」と読み過ごしてしまうとしたら、問題だということです。確かに「コルバン」とか、そういう議論は、私達には縁遠い話のような気がします。神に何かを捧げたからと言って、それで父母への責任を免れるというようなことは、私達の社会では通用しないし、教会もそのようなことは教えません。しかし、だからと言って、私達には関係がないのか。いや私達には、この箇所を通して自らに問わなければならないことがあると思います。それは、パリサイ人・律法学者は、その方法、信仰の生き方において決定的に間違っていた。しかし私達が問われることは、彼らが神の前に聖くあろうとしたほどに、私達は神の前に聖くあろうとしているのか、ということです。「聖くなければ、だれも主を見ることができません」(へブル12:14)という御言葉もあります。私達は、神の前に聖くあろうと気を配っているでしょうか。
聖くあるとは、どういうことか。それは食前に手を洗う等ということではありません。それは、ここでイエスが教えておられるように、神の言葉を無にしない、神の言葉に生きようとすることではないでしょうか。もし私達の中に、真摯に神の言葉に生きようとする思いがなければ、それは「イザヤ書」が預言することが私達に向けられるのです。「この民は、口先ではわたしを敬うが、その心は、わたしから遠く離れている。彼らが、わたしを拝んでも、むだなことである。人間の教えを、教えとして教えるだけだから」(6~7)。この教会の信仰告白にも「聖書は…信仰と生活に関する全く信頼し得る案内書であり、また唯一の権威ある啓示(示し)である」とあります。私達の中に神の言葉によって生きようとする思いがなければ、それは、「その心は」神から離れていることになります。神の言葉よりも「人間の教え」―(世の常識、人の評判・言葉、自分の感情、損得…)―を基準にして生きるとしたら、「わたしを拝んでもむだなことである」と、「口先」だけの信仰になっているのではないかと、主は言われるのです。
では、神の言葉(戒め)とは何でしょうか。イエスは神の言葉(戒め)の代表として、ここで「父と母を敬う」ということを挙げておられます。「神の御心(戒め)は、父母を敬うということであり、それに生きることが神の言葉を生きることであり、神の前に聖くあることだ」ということでしょう。「『父母を敬え』と言われても、もう父も母も召されている」と仰る方も多いでしょう。父母との関係と言うのは、人間関係の代表例として捉えれば良いと思います。使徒パウロは言いました。「『姦淫するな、殺すな、盗むな、むさぼるな』という戒め、またほかにどんな戒めがあっても、それらは、『あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ』ということばの中に要約されているからです」(ローマ13:9)。神の言葉(戒め)に対して真実に生きようとすることは、そのまま人に対して真実に生きようとすることだ、と言えるのではないでしょうか。ある神学者は次のように言います。「イエスにとって…人が神を愛していることの唯一の証明は、人が他人を愛することによる」(バークレー)。
イエスは、神の言葉が無にされている現実に怒りをもってパリサイ人・律法学者に向かわれました。そして私達にも「神の御心を生きるように」、人に対して真実の愛で接するように、それを私達の生きる現実の中で、父母と、家族と、隣人と関わるその只中で、挑戦するように―{「あなたの隣にいる人を、あなたが関わる人を、真実の愛―(精一杯の愛)―で愛して行きなさい」と}―薦めておられるのです。それが神の前に聖い生き方なのだ、と言われるのではないでしょうか。聖書は言います。「キリスト・イエスにあっては…愛によって働く信仰だけが大事なのです」(ガラテヤ5:6)。{「大切なのは愛を通して表される信仰だけです」(ガラテヤ5:6英語訳)}。マザー・テレサは言いました。「この地上で神と共にある幸せを享受するためには、神が愛されているように人を愛することが必要です…」(マザー・テレサ)。愛に生きる時、私達は神を近くに感じるのではないでしょうか。
しかし問題は、「そのように愛することができるのか」ということです。「コルバン」、「親に捧げないで神に捧げると言った」、そのものは、その後どうなるのでしょうか。学者の間に2つの見解があります。1つは「それを神に捧げることは無期延期にすることが出来た」という意見です。もう1つの意見は「『コルバン』と言ったら、本当に全部を神に捧げてしまわなければならなかった」という意見です。そうすると、親に上げたくないばかりに神への捧げものにしてしまったということになります。どちらにしても、人は、父母をそれほど愛さないことが出来るということです。そこに見えて来るのは「愛に生き得ない」という人間の罪の姿ではないでしょうか。
私は、今日の御言葉を読むと心が刺されます。イエスは「父や母をののしる者は死刑に処せられる」(10)という御言葉を取り上げておられます。「これが神の御心(掟)なのだ」と言われたのです。先日も申し上げましたが、私は自分の婚約式の時に、人の目を恐れて、見栄えを良くしようとして、自分の願ったような用意をしてくれなかった母を激しく責めたのです。思い出しても情けなくなるほどです。「旧約」の律法で言えば死刑です。私が特別に罪深い、ということかも知れませんが、しかし、私という人間は、自分に直接関わることのためには、父母でさえ罵る者である、そのことを知っています。だから、「コルバンです」と言って親を蔑にする、そういう人間の罪を、自分のこととして思わされるのです。
どうでしょうか。私達は、神が願っておられるような愛、そのような愛をもって父母のことを思い、父母に関わって来たのか、父母を愛したか、そのことについて「はい」と胸を張れないものが、もしかしたらあるのではないでしょうか。申し上げたように、ここで「父母」は隣人の代表です。例えば家族に対して、神の喜ばれるような愛を持って接して来たのか、接しているのか、問われます。私も、良い時は良いですが、何かあると家族を愛せないのです。愛せない現実に、自分の罪を見せられます。
三浦綾子さんが「死んでもキリスト教は信じない」と言っていたのに、色々なクリスチャンとの出会いを通してキリスト教信仰に惹かれ始めた時、彼女の信仰を決定づける出来事がありました。彼女が入院していた札幌の病院に昔の婚約者が訪ねて来るようになったのです。彼はもう結婚していて奥さんがいました。三浦さんには前川さんという恋人がいました。しかし、昔の婚約者が毎日訪ねてくれると、何かと便利なので、そのことを何とも思わなかったのです。後になって、自分が彼の奥さんの立場だったらどんなに傷つくか、そのことに罪の自覚がなかった、そのことの罪深さに愕然とするのです。自分の罪に本当に気づいたこと、それが彼女の信仰を導いて行くのです。「コルバン」の話が一番の問題として提示するのは、私達が、神が願っておられるような愛に生きることが出来ないという、私達の「罪」の問題ではないでしょうか。そして1人びとりがその自分の罪の問題とどう真剣に向き合うか、そこに信仰者として生きることの最大のポイントがあるのではないでしょうか。教会を作るのも罪意識です。
しかし、自分の罪と真剣に向き合った時、イエスを求める者には、慰めが、励ましが、救いがあるのです。私達は罪を抱え、人を愛する愛も自己中心にまみれているような者です。しかし私達が、そのような弱い者だから、「自分の良さ」等というものではとても神様に受け入れられる者ではないからこそ、私達の罪、自己中心、全部を背負ってキリストが十字架で私達の罪の裁きを受けて死んで下さったのです。だから私達は、罪はある、神の求める生き方は出来ない。しかし、ただ「イエス様の十字架の赦しを信じます。こんな私を憐れんで下さい」と言うことによって、神は私達を受け入れて下さるのです。私達の礼拝も、十字架があるから、「聖いもの」として、神は受け取って下さるのです。そして私達は「こんな私を神は受け入れて下さっている」と知るから、「『わたしの目には、あなたは高価で尊い』(イザヤ43:4)と言って下さる」と知るから、だから、少しでも神の言葉に生きて行こう、少しでも神の愛に生きて行こうとするのです。
その時、私達にはさらに励ましがあります。イエスは言われました。「…わたしは助け主をあなたがたのところに遣わします…」(ヨハネ16:7)。先日、あるクリスチャンの方から聞きました。その方が車を運転していたら、突然、涙が溢れて来て車を運転することが出来なくなったそうです。「神様に大切にされているんだ」という暖かい思いが湧いて来た。そしてその愛されている愛を分かち合いたいと思ったそうです。聖霊に触れられたのです。イエス様の十字架によって、イエスを信じる者には聖霊(助け主)が与えられるようになりました。聖霊が助けて下さり、聖霊なしには出来ないことを、出来るようにして下さるのです。神の御心に踏み出そうとする時、私達は、隣人を愛するための助けを得るはずです。もちろん失敗を重ねるでしょう。しかし、失敗しては、また神様を見上げて、御言葉に生きようとする、人に対して真実に生きようとする、その私達を、神は「聖い」と喜んで下さるに違いないのです。
 

3.終わりに~神の言葉を空文にしない闘い 

私は、ここでも「アーミッシュの赦し」のことを思いました。アーミッシュの村の学校に、近所の男が猟銃を持って押し入って、5人の子供を殺して、自分も自殺しました。アーミッシュの人達は、その6時間後、犯人の妻の所へ行き、こう言いました。「私達は彼を赦します。あなた方も家族を亡くしました。悲しみを分かち合いましょう」。「それは『もし人の罪を赦すなら、あなたがたの天の父もあなたがたを赦してくださいます』(マタイ6:14)、あるいは『自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい』(マタイ5:44)、それらのイエス(神)の言葉を無にしないための激しい戦いだったのではないか」、そんなことを教えられることでした。彼らは日毎に「神様、恵みによって御心を行わせて下さい」と祈ります。私達も、神の御心に、御言葉に、愛に生きることを、改めて心に刻みたいと思います。
 

聖書箇所:マルコ福音書6章45~56節   

 以前、FEBCのラジオ放送で1人の牧師のお証を聞いたことがあります。その先生は、ストレスから鬱になり、自分でも良く分からないうちに、家の二階の窓から外に向かって叫ぶような状態になられた、ということでした。「ストレスは怖い」としみじみ言っておられましたが、その方が「強いられた恵み」ということを何度も語られました。「今まで、出来ることならしたくない経験が何度もあった。しかし、それを通して分かった神の恵みがあった」と言われました。それがその先生が言われる「強いられた恵み」です。私達の信仰生活には、「嫌だな」と思うけれど歩かされる道があります。しかし、そこでしか経験出来ない恵みがあるのだと思います。「詩篇」に「私はあわてて言いました。『私はあなたの目の前から断たれたのだ』と。しかし、あなたは私の願いの声を聞かれました。私があなたに叫び求めたときに」(詩篇31:22)という言葉があります。私も何かがあると不信仰になります。いや「不信仰になる」のではない、本来の不信仰が暴露されます。だからこそ、問題の中でこそ輝かすことの出来るような信仰を持ちたいと願います。その意味でこの個所は、私達の信仰理解に良い示唆(洞察)を与えてくれる個所だと思います。「内容」と「メッセージ」に分けてお話致します。(なお56節まで読みましたが、説教では45~52節を取り扱いますのでご了解下さい)。
 

1:内容~湖上を歩いて来て弟子達を助けた主イエス

この話は「5000人の給食」の続きです。イエス様は、弟子達を「5000人の給食」の現場から「強いて」舟に乗り込ませて、ガリラヤ湖に漕ぎ出させました。そのために、普段は弟子達がやっていたであろう「群衆を解散させる係」を、イエスが引き受けられました。その後、イエス様は、1人で祈るために山に登られました。一方の弟子達は、舟を漕ぎ出してはみたものの、やがて逆風のために漕ぎあぐねるような状態になってしまいました。夕方に岸を出発した舟に、イエス様が近づいて来られたのが「夜中の三時ごろ」(48)ですから、何時間も漕ぎあぐねていたことになります。しかし、そのような中で「夜中の三時ごろ―{『夜が明けるころ』(新共同訳)}」になって、イエス様が水の上を歩いて近づいて来られて、彼らを助けられました。
48節に「イエスは、弟子たちが、向かい風のために漕ぎあぐねているのをご覧になり、夜中の三時ごろ、湖の上を歩いて、彼らに近づいて行かれたが、そのままそばを通り過ぎようとのおつもりであった」(48)とあります。助けるために行かれたのなら、どうして「通り過ぎようとのおつもりであった」のか。「新共同訳」は「ところが、逆風のために弟子たちが漕ぎ悩んでいるのを見て、夜が明けるころ、湖の上を歩いて弟子たちのところに行き、そばを通り過ぎようとされた」(新共同訳48)と訳しています。この両訳にある「通り過ぎようと」という言葉は、「旧約聖書」で神の現れ方を表現する言葉です。つまりイエスが「通り過ぎようとされた」というのは、「神としての現れ方で弟子達の前に現れた」ということを言っているのです。
しかし、そのようにして現れたイエス様を見て、弟子達は驚きました、怯えました。「幽霊だと思い、叫び声をあげた」(49)とあります。その時にイエス様から「しっかりしなさい。わたしだ。恐れることはない」(50)という声が掛かります。この「わたしだ」も「わたしがいる(ある)」という神様の自己紹介の言葉です。ここでもイエス様は「神」として出現しておられるのです。そして、イエス様が舟に乗り込まれた時、風が静まり、彼らは助け出されました。これが、この記事の内容です。
「『水の上を歩く』、そんなことがあるのか」と言って「イエスは、きっと浅瀬を歩いておられたのだ」と考えようとする人々がいます。しかし申しあげたように、この個所では、イエス様の神性が強調されています。三浦綾子さんがご自分の求道時代を振り返って「イエスが神の子なら水の上を歩こうがどうしようが、不思議でも何でもなかった、私にとっての問題は、イエスが神の子なのかどうなのか、ということだった」と言っておられますが、イエス様が神の子なら、水の上も歩かれたでしょう。そして「実は浅瀬を歩いていた。それを『水の上を歩いていた』と書き変えた」等ということなら、「福音書」には残らなかったはずです。「マルコ福音書」が書かれた時代、イエス様のことを伝える人々も、読んでイエス様を信じようとする人々も、言わば命がけです。迫害されることを覚悟してイエス様を伝え、またイエス様を信じて行くのです。作り話や事実を捻じ曲げた話等―(偽物等)―は通用しない。何の力もなかったはずです。真実の物語だからこそ、彼らは伝え、人々は信じて行ったのです。だから大切なことは「これが事実かどうか」ではない。マルコがこの出来事からどのようなメッセージを受け取ったのか、ということです。では、この記事は、どのようなメッセージを語るのか。2つのことを教えられるように思います。
 

2:メッセージ

1)イエスの助けに信頼する

この個所が私達に語る一番のメッセージは「主は、私達の人生の逆風を知っておられ、その中に来て下さる。だから、その主に信頼して歩きなさい」ということだろうと思います。
私達には、色々な逆風があります。4章で語られていた「突風」のような―(思いがけなくやって来る)―逆風もあるでしょう。ここでは、弟子達は、「嵐」とまでは言えないような逆風の中で長時間悩まされました。長く背負って行かなければならない重荷のような逆風もあるでしょう。4章の「突風」の時には、イエス様は舟の艫の方で寝ておられました。彼らは「イエス様はこの大変な状況を知らないのでないか、何もしてくれないのではないか、私達は滅びるのではないか」と思って「先生。私たちがおぼれて死にそうでも、何とも思われないのですか」(マルコ4:35)と叫びました。ここでは舟そのものに乗っておられませんでした。山の上で祈っておられました。イエス様は、祈りの中で彼らを覚えておられたでしょうし、実際、湖の上で逆風に行き悩んでいる弟子達を山の上から見てもおられたでしょう。しかし、弟子達はそれを知らないからパニックに陥っていたと思うのです。彼らは困難の中でイエス様を見失っていたのです。イエス様に信頼して、イエス様に助けを求めていたのではないと思います。助けを求めていたのなら、イエス様が来られるのを見た時、もう少し違う反応があったはずです。でも彼らは見失っていた。だからこそ、イエス様の出現を恐れたのです。私達もそうではありませんか。順調に行っている時には信仰深い感じがします。「共にいて下さる神」を信じているつもりでいます。しかし、一旦何かあると―(先ほども申し上げたように)―神を見失ってしまう、そのような者ではないでしょうか。しかし、彼らは分かっていなかったけれど、イエス様は彼らの窮状を知っておられたのです。「夜明け前」、それは「夜が一番暗くなる時だ」と聞いたことがあります。知っておられたから、その一番暗い時に、イエス様は、弟子達の思いもしない方法でやって来て、彼らに助けを与えられたのです。
私はここを黙想していて、どうしても自分がカナダで入院した時のことを思ってしまいます。私も神を見失っていました。病院で働くソーシャルワーカーから「あなたは牧師でしょう、信仰はどうしたの」と言われました。牧師としては、本当に恥ずかしいことでした。しかし、そう言われてもどうしようもなかったのです。「なぜ元気になれたのか」、はっきりとは説明出来ないのです。状況が変わったわけではありません。薬も効いて来たのでしょうが、でも理由らしい理由と言えば、心に与えられた1つの印象でした。「今までも綱渡りのような歩みだったけど、その都度、神様に助けられて来たな」とぼんやりと思いました。そうしたら突然、「だったら、ベッドに潜り込んでいる今も、私は神様の御手の中にいるのではないだろうか。神様の御手の中にいるのなら、神が何かして下さるのではないか」、心がそう導かれたのです。イエスが来て下さった瞬間でした。そして私は救い出されました。有名なアウグスチヌスは言いました。「イエスが波を踏みつけて来られたように、イエスは人生に湧き上がって来る全ての混乱を足の下に踏みつけられる。キリスト者よ、どうして恐れるのか」(アウグスチヌス)。「ヘブル書」は言います。「主ご自身がこう言われるのです。『わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない』。そこで、私たちは確信に満ちてこう言います。『主は私の助け手です。私は恐れません』」(ヘブル13:5~6)。
初代教会のクリスチャン達も、逆風の中で立ち止まるしかないような状況に何度も襲われたと思うのです。その時に、この物語は、彼らを励ましたと思います。そしてこの個所は、私達をも「問題の中で神様に信頼するように、神が助けて下さることに信頼して生きるように」と励ますのです。「しっかりしなさい。わたしがいる。恐れるな」。イエス様の声を心に反芻しながら、信仰生活を送りたいと願うことです。
 

2)神の配慮に信頼する

イエス様は、なぜ弟子達を無理やりというか、「強いて」、急がすように、舟に乗せて湖に送り出されたのでしょうか。弟子達を群衆から引き離そうとされたということもあると思います。並行箇所の「ヨハネ福音書6章」に「イエスは、人々が自分を王とするために、むりやりに連れて行こうとしているのを知って、ただひとり…山に退かれた」(ヨハネ6:15)とあります。ユダヤの人々は、ローマを倒してくれるリーダー、その後ユダヤ人の王になってくれる人、そんな指導者を切望していました。「5000人の給食」という奇跡を経験した人々は、イエスの中にそれを見ました。その群衆の様子を見て、弟子達はそれを喜び、「イエス様が権力者になれば、自分達もそれなりの立場に立てる」という思いが湧いたのではないでしょうか。だから彼らは、おそらく群衆と一緒にいる雰囲気が心地よかったのです。
しかしイエス様は、権力者になるためではない、十字架に架かって人々の罪の罰を代わりに受け、人々を神に結びつけ、天国に迎え入れるために地上に来られたのです。そして弟子達は、イエス様の十字架と復活の後、イエス様の十字架と復活を宣べ伝え、人々を天の御国に導くことを期待されていたのです。地上の権力や名声を求めることを期待されていたのではありません。使徒パウロは「私たちの国籍は天にあります」(ピリピ3:20)と言いましたが、彼らは天の御国を目指さなければならなかったのです。そのために、彼らを強いて湖に送り出されたのだと思います。
しかし、それ以上の意味があったと思います。それを考えるヒントは、「彼らは…パンのことから悟るところがなく、その心は堅く閉じていたからである」(52)という言葉です。彼らは、信仰を取り扱われる必要があったのです。彼らは、イエス様に強いられて湖に漕ぎ出したばかりに、風に悩まされることになります。しかし、その悩みの中で貴重な信仰体験をするのです。確かに弟子達は風に悩んだ。しかし、そこに「イエス体験」が備えられていたのです。その体験は、彼らの生涯の信仰を支えて行くのです。
私達は、時に「出来ればしたくない経験」をするかも知れません。状況が意に沿わない、自分の願いに沿わない方向に導かれることがあります。その中で私達は呻きます。しかしその時、実はその状況を用いて、神様が私達の信仰―(信仰生活)―の軌道修正をされている時なのではないでしょうか。「あなたを祝福に導くのはその生き方ではない。この生き方なのだ、あなたを祝福に導くのはその信仰ではない、この信仰だ」と、私達に関わって下さっている時なのではないでしょうか。それだけではなく、そこで私達は貴重な―(生涯を支えるような)―神体験をさせてもらうのではないでしょうか。申し上げたように、鬱で入院したことは、私には本当に辛い時でした。絶望というものを味わいました。しかし今、私の信仰は、あの時の神体験に支えられているのです。
今年も3月11日には、テレビでも震災の様々な番組が放送されていました。もちろん私達は、神が震災を起こされたとは決して思いません。悪の力が働いたと、私は思います。しかし、神が全世界の支配者であられるなら、どうして震災が起こることを許されたのか、誰にも答えられない問いです。ですからここで引用するのが相応しいかどうか分かりませんが、先週もご紹介した―(この教会にも来て下さった)―福島の佐藤彰先生お証しに良い示唆を頂けます。先生は「震災を通して変えられた」と言われました。「今までの自分達は、信仰生活と言っても、物を求め、人と比べてキョロキョロと周りを見回す、そういう生き方をして来たのではないか。幸せのハードルを上げて、少々のことには満足しない生き方をして来たのではないか。本当に大事なことを、大事な人を、大事にして来たのか」、それを深く思されたと言われました。またこうも言われました。「見えるものが一瞬にして消えてしまうのを見て、『こんなものは―(見えるものは)―頼りにならない』ということも本当に分かった」。試練の中の神体験が先生方の信仰をさらに深め、そしてここまで来て、震災を経験していない私達の信仰を励まして下さったのです。ある講演会では、こうも言われました。「これまでもそうだったように、この辛い経験も、いつか『あぁ。恵みだった』と感じさせて下さるに違いないと信じることが出来ます」。先生の神体験が言わせている言葉ではないでしょうか。「神の配慮を信じたい、信じられる」、そういうことだと思いました。あるご高齢の先生が「信仰は、最後は体験です」と言われました。その意味でも、神体験―(神に取り扱われる体験)―をすることは大切なことではないでしょうか。
私達は、出来ればしたくない経験をさせられることがあります。それが、偶然のことであれば、私達には、そのことを通って行く希望が見えません。しかし私達は、どんなに嬉しくない経験であっても、それが最終的には、御手の中で起こっていること、そこにも神の深いお考えがあることを信じるのです。その時、希望が湧いて来ます。そしてその嬉しくない経験は、きっと「強いられた恵み」へと変わるに違いありません。どんな時にも神の御手があること、私達を包んでいることを信じて―(ここでも申し上げたいことは)―「しっかりしなさい、わたしがいる、恐れるな」というイエス様の声を心に響かせて歩いて行きたいということです。
 

3:最後に

 今日、2つのメッセージを申し上げました。「神の助けに信頼する」、「神の配慮に信頼する」。三浦綾子さんが言っていました。「人生には、『もうこれで終わりだ』ということはない」。神がおられるからです。神体験が言わせた言葉です。主は言われました。「しっかりしなさい、わたしがいる、恐れるな」、この言葉を支えに、色々なことのあるこの信仰の生涯を、前に向かって歩いて参りましょう。
 

聖書箇所:マルコ福音書6章30~44節    

 作家の三浦綾子さんの若い時の講演を録音したCDが出て来て、聞き直しています。彼女が病気で療養している時、前川正という方が現れて、信仰の話をされたのでしょう。三浦さんは「私はクリスチャンなんか大嫌い、死んだってクリスチャンなんかにはならないんだから」と言っておられたのです。しかしその彼女が、前川さんをはじめとしたクリスチャン達を通して、また神の取り扱いを受けて、キリスト教に心を開き、信仰を持つのです。「死んだってクリスチャンなんかにはならないんだから」と言っていた人が、やがて生涯をかけて神の愛を証しする本を書く人になられた、本当に神は不思議なことを、素晴らしいことを為さると思います。
さて、三浦さんが聖書を真剣に読み始めた時、「聖書に書いてある色々な奇跡は求道の障害にはならなかった」と言われます。そんなことはどうでも良かったそうです。問題は「イエスが神の子がどうか、そこだけだった。神の子だったら、当然、奇跡も起こすだろう」、そのような求道をされたようです。そして「ルカ福音書」のイエスのことばを通して「イエスは神の子である、神である」という確信にたどり着いた時、「本当に嬉しかった」と言っておられました。
 今日の箇所は、奇跡を記す個所です。しかし「マルコ」がこの個所で言いたいことは「イエスは神の子であり、神であった」ということです。そのことを、弟子達はなかなか悟ることが出来なかったけれど、読者には悟って欲しい、そのような思いを持って書いているようです。今日も「内容」と「適用」とに分けてお話しします。
その前に1つ確認します。44節に「男が五千人であった」(44)とあります。当時の男尊女卑の文化では「成人男性だけ」を数えました。しかしここには女性や子供もいたでしょうから、実数はもっと多かったと思います。私は男尊女卑には大反対ですが、便宜上「5000人」と申し上げます。予めご了承下さい。(因みに、その男尊女卑の文化の中で、イエス様は女性の地位を驚くほど引き上げられた方であったことを申し添えておきます)。
 

1.内容~5000人の給食の奇跡

この個所は「5000人の給食」として知られている個所ですが、私には何ともピンと来ない記事でした。「5000人がパンを食べた。それが私と何の関係がある」、それが大きな理由です。それと43節に「パン切れを12のかごにいっぱい取り集め、魚の残りも取り集めた」(43)とありますが、「籠」というと小学生の時に庭掃除で使った「背中に背負う竹の籠」を想像してしまい、「この籠はどこから出て来たのか」という疑問がありました。(「籠」については後で分かりました。ユダヤ人は旅をする時に「携帯用の籠」を持っていたそうです。「12の籠」が登場するのは、12人の弟子が1つずつ持っていたからでしょう)。さらに、もう1つの問題は、「どんな風にパンや魚が増えたのか」ということです。「本当にそんなことがあったのだろうか」と思ってしまいます。そういうこともあってでしょう、この箇所をもっと現実的に解釈しようとする人達がいます。「これは『群集が自分達の隠し持っていた貧しい食料を差し出して、皆で分け合ったら、全員が食べて余るほどになった』という話だ」、そう言うのです。
しかし、そんな話ではないらしいです。というのは、この記事は、4つの「福音書」が唯一そろって書いている奇跡の記事です。もしこれが「皆で分け合ったら余るほどになった」という出来事なら、「四福音書」がそろって「これはどうしても人々に伝えなければならない」として記録するようなことではなかったと思います。その意味でも、この出来事は、弟子達にとって「決して忘れることの出来ない出来事」として実際に起きたのだと思います。彼らはそれを経験した。それは彼らに強い印象を残したのです。「マルコ福音書」は、更に8章にも「4000人の給食」の記事を書きます。似たような記事を書くのです。それも現実に起こったからでしょう。
私達は、自分の信仰がぐらつく時、どこに帰るのでしょうか。それは「確かにあの時、神に触れられた、神を経験した」と思える出来事、そこに帰って信仰の確認をするのではないでしょうか。初代教会の人々には、「イエスを信じる」ということだけで様々な戦いがありました。そのような中で人々には、「こんなことならキリスト教を信じるのではなかった」、あるいは「ナザレのイエスを『救い主』と信じて本当に良いのか」、そういう不安や恐れがあったかも知れません。その時、何が彼らを支えたのか。それは「イエスはあの時、確かにあの驚くような御業をなさったではないか。イエス様を信じて良いのだ、いや信じなければならないのだ」と確認することで、彼らは支えられて行ったのです。この出来事は、戦いの中にいる人々に、イエスの驚くような業を伝え、励ましを与える大事な出来事になったのです。それだけではなく、初代教会の人々は、この出来事から大事なレッスンを受け取り、この出来事を大切に語り伝えたのだと思います。
弟子達は、伝道から帰って来ました。彼らは疲れていました。だからこそイエス様は彼らに「さあ、あなたがただけで、寂しい所へ行って、しばらく休みなさい」(31)と言われました。そして彼らは舟に乗り込みました。ところが、岸から舟の行方を見ていた群集には―(ガリラヤ湖は臼状に岸辺が高くなっているので)―舟がどこに向かっているのかが分かりました。そこで人々は、湖の岸辺を回ってイエス様の後を追いかけて行くのです。一行が舟で対岸―(「エル・バティヤ」と呼ばれる地)―に着いてみたら、群集が待ち構えていました。弟子達は「いい加減にしてくれ、頼むから休ませてくれ」という感じだったかも知れません。「36節」の「…みんなを解散させてください。そして…何か食べる物をめいめいで買うようにさせてください」(36)の言葉には、弟子達のトゲトゲした雰囲気が感じられる気がします。ところが、それに対してイエス様は「あなたがたで、あの人たちに何か食べる物を上げなさい」(37)と言われます。弟子達は言い返します。「私たちが…二百デナリ―(100万円くらい)―ものパンを買ってあの人たちに食べさせるように、ということでしょうか」(37)。彼らの戸惑いが現れています。イエスは言われます。「パンはどれぐらいありますか」(38)。「五つです。それと魚が二匹です」(38)。イエスはそれを聞いて、弟子達に人々を組にして座らせるように言われました。それからパンと魚を祝福して、それを分けられました。それを弟子達が配りました。不思議なことに5つのパンと2匹の魚は増やされて、増やされて、5000人が十分に食べて満腹したのです。イエスは「残ったパンを集めるよう」に言われました。パン屑を集めると12の籠に一杯になったのです。
 

2.適用

 この個所から信仰生活への適用として、2つのレッスンを教えられます。

1)信仰生活に神の助けを期待する

この出来事で注目すべきことは、この奇跡は弟子達を通して行なわれているということです。確かに5つのパンと2匹の魚を超自然的な方法で増したのはイエス様(神様)です。しかしここに集まっている人々は、弟子の手からパンを受け取ったのです。つまり彼らにしてみれば、弟子がパンと魚を食べさせてくれたことになります。しかしイエスが「あなたがたで、あの人たちに何か食べる物を上げなさい」(37)と言われた時の弟子達の反応は「パンが5つと、塩漬けの魚が2匹だけですよ。私達にはそんなことは出来ません」ということでしょう。イエスは、彼らがそう答えることを知っておられ、敢えてこう尋ねられたと思います。どういうことかというと、彼らは「自分達がこの人々に食べさせるのか」と考えた時、とても出来ないと思ったのです。(実際出来ないように見えました)。しかし、だから彼らは「イエスが共におられるなら、自分達は何をすることが出来るのか」、それを知らなければならなかったのです。何を教えられるでしょうか。弟子達は「私には出来ません」と言いました。しかし、そこにイエスがおられた時、「出来ません」と言ったことが、彼らには出来たのです。これが私達へのレッスンだと思うのです。
今、私達にもそれぞれ、自分1人でやって行くとしたら、あるいは人間的な力だけでやって行くとしたら、「とても出来ません、とても通って行けません」と思うことがあると思うのです。しかし、そこで私達は「イエスがここに立っておられる、神がおられる」ということを計算に入れなければならないと思うのです。宗教改革者カルバンは言いました。「イエスが一時的な感情でイエスの所に集まった人々の世話をされたのであれば、ましてイエスに従って行こうとする私達の世話をして下さらないはずがない」。私達も、神に仕える者として、神の恵みと力に与る特権を与えられているのです。それを信じなければならないし、本当に信じたいのです。そして私達が「神の助けがある」と本気で信じて行く時に、私達には希望が与えられ、生きる姿勢も変えられて行くのではないでしょうか。
私は、この教会にも来て下さった福島の佐藤彰先生のお話しを思い出すのです。佐藤先生は、原発事故で住む所を追われて、教会の人と一緒にあちこち避難しながら移動したのです。1年が過ぎた頃、いわき市に落ち着くことにされました。お年寄りから小さい子供まで一緒のグループです。まず、皆が住めるアパートを探された。ところが、震災で大勢の人が避難して来ていて、空いている部屋がなかった。アパートを建てる土地もない。多くの不動産屋を回られましたが、どこでも「ない」と言われ、がっかりして、とにかく名刺を置いて東京に帰られました。がっかりしているところに不動産屋さんからファックスが入ったそうです。「アパートが出て来た」。急いでいわきに行ったら、教会建設予定地の10分以内のところにアパートがあった、土地があったのです。佐藤先生が不動産屋さんに「アパートはあったんじゃありませんか」と言ったら、不動産屋さんが「あなたが来る前は本当になかったんですよ。あなたが来た次の1~2週間だけ、すごく増えたんです。その後またピタッと止まっています」と答えたそうです。佐藤先生は言っておられます。「分かりました。神様は涙を流す私達と一緒におられるんですね…神様はいざとなったら奇跡を起こされるのですね」。神が必要だと思われたら、私達にも奇跡は起きるのではないでしょうか。私達も、その希望に生きて行けるのです。
奇跡というような大きなことでなくても、こんな話もあります。この話は前にもご紹介しましたが、文芸作品を執筆していたけれど、「置かれた状況からみて、どうしてもその仕事が出来そうにない」と言って編集者に断りを入れた方がおられました。そうしたら、編集者が彼女の家を訪ねて来て、話を聞いて言われたのです。「お委ねしたらいいのです」。彼女が「委ねる」ということを本気で受け止めた時、彼女に希望が与えられるのです。そして「出来ない」と思っていたことが出来たのです。
私には、非常に励まされる御言葉があります。「あなたの神、主であるわたしが、あなたの右の手を堅く握り、『恐れるな。わたしがあなたを助ける』と言っているのだから。恐れるな。虫けらのヤコブ…わたしはあなたを助ける」(イザヤ41:13~14)。「虫けらのヤコブ」というのは「信仰の弱い者」という意味です。その信仰の弱い者を、神は「助ける」と言われるのです。神は私達を憐れんで助けて下さるのです。大事なことは、「神の助け」を信じて、目の前に置かれた所を歩き続けることだと思うのです。その時に、私達は前に向かって進んで行けるのではないでしょうか。
 

2)主の憐れみに生きる

イエス様は、なぜ弟子達に「あなたがたで、あの人たちに何か食べる物を上げなさい」(37)と言われたのでしょうか。この場面においてイエス様と弟子達の決定的な違いは、「イエスを追いかけて集まって来ている群衆に対する憐れみ」ではないでしょうか。イエス様は、導きを求めて―(奇跡を求めていたかも知れませんが)―後を追って来た群衆を見て「羊飼いのいない羊のようであるのを深くあわれみ、いろいろと教え始められた」(34)のです。何より人々を憐れまれたのです。「キリスト教は憐れみです」と言われた方の言葉を思い出します。イエス様は、弟子達が疲れていることをご存知でした。それでも弟子達に「イエス様と共に生きる者としての憐れみ」を持って欲しかった、憐れみに生きて欲しかったのではないでしょうか。だから、ご自身の業に弟子達を引き入れられたのです。弟子達は、その時の驚き、祝福の状況、そしてその祝福に自分達が関わることが出来たことへの深い感慨、その恵みの経験を忘れなかったのです。
その意味でこの個所は、私達にも「主の憐れみに生きるように」という勧めをするのではないでしょうか。もちろん、私達は日々の生活で精一杯、自分のことで精一杯、それが正直なところではないでしょうか。(私はそうです)。自分のことで心が占められています。イエス様は、私達のその状況をご存知です。だから弟子達に「私がいつも休んでいる所に一緒に行って休みなさい」と言われました。私達にとってそれは「礼拝」と置き換えても良いと思います。だからイエス様は、礼拝を通して私達に信仰生活を続けて行く力(糧)を下さいます。しかし、もし私達がずっと自分のことだけを考えるだけで信仰生活を終わってしまうなら、それは、私達もこの時の弟子達と同じように「イエス様の人々を憐れむ憐れみ」に対して麻痺しているということにならないでしょうか。イエス様は弟子達に「あなたがたで…食べる物を上げなさい」と言われました。そして彼らがイエス様に協力し始めた時、彼らが差し出した僅かのものを用いて素晴らしいことを為さったのです。その意味で私達も「人の魂の救い―(魂の痛みからの救い)―に対する重荷、神様が『ご自分の子である人間』を見ておられる憐れみ」、そのようなことに対して、柔らかい感覚を取り戻すことが出来れば、と願います。それは私達の祝福でもあるのです。
三浦綾子さんの講演の中に次のような話が出て来ます。彼女が無気力な状態で入院をした時、1人のお医者さんが言うのです。「あなたは自分ばかりを見ている。自分ばかりを見るのを止めて、他の人を見なさい。あなたの隣りの人は、あなたにコップ一杯の水を汲んで来て欲しいと願っているかも知れないではありませんか」。その言葉を聞いて、三浦さんの生きる姿勢は変えられるのです。「『他の人を祝福しようとする時、自分が祝福される』、その平凡な事実にやっと気づいた」と言っておられました。
その時、「マルコ福音書」だけが強調していることがあります。それは、イエス様が何より人々を教えられたということです。「彼らが羊飼いのいない羊のようであるのを深くあわれみ、いろいろと教え始められた」(34)。御言葉を語られたのです。私達も、御言葉なら、豊かに与えられているのではないでしょうか。その意味で、私達に期待されている1つのことは、御言葉を分かち合うことではないでしょうか。三浦さんは「虚無的な療養生活をしていた時、自分を生かすヒントになるような言葉を求めていた」と言っています。イエス様は言われました。「『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つの言葉による』と書いてある」(マタイ4:4)。私が牧師になった後、久しぶりに友人の家を訪ねたことがあります。そうしたら、友人の家族の人が、私が牧師だということを聞いてこう言われました。「『神は乗り越えることの出来ない試練は与えない』と聖書にあると聞いています。私は、その言葉に支えられています」。クリスチャンの方ではありません。しかし御言葉は、人を生かすのです。私達に出来ること、分かち合うことが出来るもの、その1つは御言葉ではないでしょうか。それは私達も、豊かに持っています。それがその人を支えるだけでなく、その人の人生も変えるかも知れません。三浦さんも「『父よ。彼らをお赦しください。彼らは、何をしているのか自分でわからないのです』(ルカ23:34)、この言葉で神に出会った」と言っておられました。身近な人間関係の中で、出来る範囲で、隣人の痛みに、必要に、憐れみの心を持って寄り添いたい、そのような心を持ちたい、そして神から与えられている恵みの御言葉を分かち合って行く者となれれば、と願うことです。