2022年4月 佐土原教会礼拝説教

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聖書箇所:マルコ福音書6章14~29節   

 聖書に「人を恐れると罠にかかる」(箴言29:25)とあります。私は、婚約式の時のことを思い出します。色々な方が結婚に関わって下さっていたことがあって、私は非常に緊張していました。そして人を恐れました。母に対しては甘えがあって「こういうものを用意して欲しい」と思いました。ところが、母には母の考えがあって、私が思っているようにはしてくれませんでした。「恐れは人を責めさせます」。私は母を責めました。婚約式を見栄え良くしようとして、母を責めました。次の日、牧師の司式でキリスト教式の婚約式を行いました。讃美歌を歌い、神の前に約束を結びました。参加された方々の目には、体裁が整っていたのかも知れません。しかしそこには、私の言葉で傷ついた父と母がいました。そしてその全てを、神が見ておられたのです。「出エジプト記」に「自分の父または母をのろう者は、必ず殺されなければならない」(出エジプト21:17)とあります。神様にも母にも、赦して頂くしかないのですが、神の御心を思うなら、母に対して別の対応があったのです。情けない失敗談ですが、今朝の箇所に登場するヘロデのことを思う時、大きな失敗をした自分の過去を思い出すのです。
聖書の学びに入ります。「内容」と「メッセージ」、2つをお話しします。
 

1.内容~ヘロデの失敗

 バプテスマのヨハネという人はイエス様の先駆者として活動した人ですが、ヨハネが活動した地域―(ペレヤ)―を治めていたのはヘロデ・アンティパスという王様でした。妻のヘロデヤは、もともとヘロデ・アンティパスの異母兄弟ヘロデ・ピリポの妻でした。ところがアンティパスがローマのピリポの許を訪れた時、ピリポの妻であったヘロデヤをみそめて、自分の妻になるように説得したのです。ヘロデヤの同意を取り付けたアンティパスは、すぐに自分の妻を追い出して、ヘロデヤを妻として迎えました。兄弟の妻を横取りしたのです。それは道徳的にも問題ですが、何より神の律法に違反することでした。バプテスマのヨハネは、ユダヤ人の国を治める支配者が公然と律法を破っているのを見逃すことが出来ませんでした。18節にあるように、ヘロデ・アンティパスの支配地でヘロデを非難する言葉を叫んだのです。それでヘロデは、ヨハネを捕らえ、死海の東岸にあったマケルスの要塞に幽閉してしまうのです。しかしヘロデは、ヨハネを幽閉しながら、手を出すことは出来ませんでした。ヨハネが民衆に人気があったからです。ヨハネを殺して、民衆に暴動でも起こされてはたまらない。それだけでなく20節にはこうあります。「ヘロデが、ヨハネを正しい聖なる人と知って、彼を恐れ、保護を加えていた…また…ヨハネの教えを聞くとき、非常に当惑しながらも、喜んで耳を傾けていた」(20)。ヘロデは、一方でヨハネを憎みながら、一方で「悔い改め」を求めるヨハネの言葉を喜んで聞いていたというのです。ヨハネの言葉はヘロデにとって、彼を神と結びつけてくれる何かを感じさせたのかも知れません。ヘロデに関する限りヨハネに対する思いは複雑でした。
しかしヘロデヤにとっては、そうではなかった。彼女は自分達の罪を責めるヨハネが疎ましかったのです。ヘロデ家の歴史というのは「近親相姦と殺人の歴史」です。彼女もヘロデ家の人間です。そういう環境で育ちました。だから殺すということに対して抵抗はなかったのかも知れません。「邪魔者を葬り去りたい」と願っていた、そんな時、絶好の機会が来たのです。ヘロデの誕生日、娘のサロメが皆の前で踊りを踊りました。その踊りを喜んだヘロデは、軽率な約束をしてしまいます。ヘロデヤは、その約束に乗じてまんまとヨハネを殺させてしまうのです。
 

2.メッセージ

この箇所は、何を語るのでしょうか。2つのことを教えられます。
 

1)神の言葉を殺さない

 16節でアンティパスは「ヘロデはうわさを聞いて、『私が首をはねたあのヨハネが生き返ったのだ』と言っていた」(16)とあります。恐れます。なぜイエスの噂を聞いた時に、ヘロデは「ヨハネが甦ったのだ」と思ったのでしょうか。彼は、ヨハネを殺してしまったことに責めを感じ、恐れを覚えていたのだと思います。ヘロデは、ヨハネを黙らせよう、殺してしまおうとしました。しかし捕えられたヨハネは、今度は牢の中でヘロデに「罪の悔い改め」を説いたのです。それもヘロデへの愛を持って説いたのではないかと思います。だから「ヘロデ(は)…ヨハネの教えを聞くとき…当惑しながらも、喜んで耳を傾けていた」(20)のです。しかしそのヘロデが結果的にヨハネを殺してしまいました。そこに、ヘロデの支配地―(足元)―にイエスが登場して伝道を始めました。ヘロデがイエス様の中に「ヨハネの甦り」を感じたのは、イエス様がヨハネと同じ言葉を語られたからです。「神を無視する生き方を悔い改めて、神に立ち帰りなさい」。しかしヘロデは、イエスをも殺そうとするのです。ヨハネは、ヘロデに神の言葉―(神の求め)―を語りました。しかしヘロデは、ヨハネを殺すことで神の言葉が聞こえないようにしました。ある説教者が言いました。「それは神の言葉を殺したということだ」。私もその言葉を使わせて頂きます。ヨハネの後を継いで、イエス様も神の言葉を語られた。ヘロデは、イエス様をも殺そうとしました。それも神の言葉を殺そうとしたということです。しかし、ヘロデは―(世の悪は)―神の言葉を殺そうしましたが、神の言葉は、ヨハネからイエスへ引き継がれ、ヘロデに働くのです。そしてイエスが昇天されると、神の言葉は、イエスの弟子達へと引き継がれ、語られて行くのです。弟子達も迫害されます。しかし次々と引き継がれ、語られるのです。神の言葉は、神の摂理の御手に守られて、生き続け、人に働き続けるのです。神の言葉は滅びない。ヘブル語では、「言葉」は「事実」とも訳されます。神の言葉は働いて、御言葉の通り事実となって行くのです。そのような言葉だから、私達は神の言葉を信頼し、すがり付いて良いのです。
この箇所は、ヨハネ殉教の記録を弟子達の宣教の働きの間―(12~13節と30節の間)―に挟むことによって、神の言葉を迫害しようとする悪の力があることを語りながら、しかし、神の言葉は力強く語り継がれて行く、神の言葉の力、勝利、そのようなことを語ろうとしていると思います。
しかし、それだけではありません。この福音書が書かれた頃の教会には、十字架の時には「十字架につけろ」と叫んだ人々、そこから悔い改めて教会に加わった人々もいたのです。弟子達もイエスの十字架の時には、イエスを裏切って、イエスを見捨てて逃げました。つまり「マルコ福音書」が書かれた時代の教会の人達は、自分達も神の言葉を語る人を―(神の言葉を)―見捨てた、殺そうとした、そういう悔い改めの中にあったと思うのです。いや過去のことではなく、今の自分達がまた「神の言葉を殺そうとする思いと闘う日々を生きている」ことを思わざるを得なかったのではないでしょうか。神の言葉を殺すとは、それは迫害に屈して、信仰を捨てるということもあったでしょう。しかしそれ以上に、心の中で神の言葉を否定すること、蔑ろにすること、神の言葉に生きないこと、そのようなことにおいて神の言葉を殺そうとする、そういう思いに対する信仰の戦いがあったのではないかと思います。
その意味でこの箇所は、私達に語りかけるのです。「あなたは神の言葉を殺そうとしていないか」。私達は、命の危険を感じるような迫害で神の言葉を捨てる、信仰を捨てる、ということはないかも知れません。しかし、色々な問題や悩みの中で、問題に目を奪われて、神の言葉を殺してしまうということがあるのではないでしょうか。試練の中で、神の言葉を無視することによって、神の言葉を信じないことによって、神の言葉を殺していないか。それが問われるように思います。
ある時、私は思い煩うことがあって、ボーッとして溜息をついたのです。そうしたら家内が言いました。「聖書に『思い煩いを…神にゆだねなさい』(1ペテロ5:7)という言葉があるでしょう。あの御言葉はどうなったの」。「あぁ。神の言葉を殺していた」と思いました。喜んで聞いていた言葉です。しかし、現実の悩みの中で神の言葉を殺している、窒息させていることが多いのです。以前「百万人の福音」である牧師のお証しを読みましたが、若くしてガンで亡くなった息子さんの話が今でも心に迫って来ます。息子さんは、亡くなる前、闘病の苦しみの中で、彼の奥さんに言うのです。「聖書に『神のなさることは、すべて時にかなって美しい』(伝道者の書3:11)とあるように…(たとえ)癒されなかったとしても、それも美しいこと、良いこととして喜ぶんだよ」。奥さんが「私は喜べるよ」と答えると、彼は嬉しそうに輝いた顔をしたと言うのです。「神のなさることは、すべて時にかなって美しい」。私も大好きな言葉です。しかし私は、悩みに心奪われ、この言葉を殺してしまうことが多いのです。「神のなさることは、すべて時にかなった美しい」、この言葉を噛みしめていると「私の信じる神は、時に適って麗しいことをされる神なのだ」と心動かされます。同時に「あなたは私を信頼するのか」、そう語りかけられるような気もします。
私達は迫害の時代にはいない。しかし、何度も紹介していますが、この教会にも来て下さった森繁さんのお証を思います。彼が佐渡島に行って、そこで切支丹殉教の碑を見るのです。彼はその碑文を見ながら思うのです。「私がこの時代に生きていたら、信仰を守って殉教出来ただろうか。それとも信仰を捨ててしまっただろうか」。その時、彼の心に響く神の細い御声がありました。「私はお前をあの時代に生まれさせていない。今の時代に生まれさせたのだ」。彼はその御声に向かって言いました。「それは不公平じゃないですか。あの頃の人は命を賭けました。私は命を賭けていません」。そうしたら、また御声が聞こえました。「私に従って来るのは、あの時も今も同じだけ難しいのだ。私に信頼する人だけが出来るのだ」。その時、彼は、普段の生活の中で神の言葉に生きていない自分の姿を思い、神の御声に納得するのです。私達は迫害の時代ではなく、今の時代に置かれています。この時代に精一杯の信仰生活をするように招かれている。確かに私達には色々な悩みがあります。しかしパウロは言います。「あなた方の会った試練はみな人の知らないものではありません。神は真実な方ですから、あなた方を、耐えられないほどの試練に会わせることはなさいません。むしろ、耐えられるように、試練とともに脱出の道も備えて下さいます」(1コリント10:13)。この言葉の本来の文脈は「たとえ苦しみに遭ったとしても、信仰を持って歩み続ける時に、神が必ず脱出の道を備えて下さる」というものです。御言葉を握って、希望を持って歩み続けるところに、必ず答はある。問題はあります。しかしその中で、神の言葉を殺さないように、信仰を働かせ、精一杯、神の言葉に生きて行きたいと思います。神が顧みて下さるに違いないのです。
 

2)神を畏れる

 この箇所からもう1つ教えられることは「神を畏れる」ということです。ヘロデは神の言葉を殺そうとしましたが、もう1つ、ヘロデの姿に気づかされるのは…。並行個所の「マタイ14章5節」に「ヘロデはヨハネを殺したかったが、群衆を恐れた」(マタイ14:5)とあります。人を恐れました。またこの26節には「王は非常に心を痛めたが、自分の誓いもあり、列席の人々の手前もあって、少女の願いを退けることを好まなかった」(26)とあります。列席の人々の評判を恐れたのです。しかしヘロデも、ただ鈍感で冷酷で好き勝手なことをやるだけの暴君ではなかったのです。ヨハネの言葉の中に真実を嗅ぎ取っていたのです。しかし、結果としてヨハネを殺してしまい、自分のしたことで責めを感じ、恐れを感じなければならなくなったのです。申し上げたように、彼は、そこにいる人々の手前、自分の軽率な誓いを翻すことが出来なかったのです。彼が心を痛めたのは、ある意味で「それは神の御心の適わないぞ」という神からの警告だったと思うのです。しかし彼は、その声を押し殺します。神を畏れるより、人を恐れるのです。人々の評判を選ぶのです。人を恐れて罠にかかったのです。
「マルコ福音書」は、ヘロデの姿を通して、私達に「あなたは神を畏れるより、人を恐れていないか」と問いかけるのではないでしょうか。私達はどうでしょうか。ある人が言いました。「日本人は、人の目を気にして、人の口を気にして生きるように育てられる」。私自身も「人に笑われないように、人並みにするように」と言われて育ったように思います。その意味で日本人の根本のところに―(言い過ぎかも知れませんが)―人が神になっているようなところがあるのではないでしょうか―(日本教です)。確かに人への恐れの方が、切実な感じがします。私も人を恐れます。しかし、人がどう思うか、どう評価するか、そればかりを気にする生き方は、窮屈です。何よりヘロデの姿が教えるように、もし私達が、神を畏れることを退け、人を恐れることを選ぶならば、それによって、生きるべき生き方が出来ない、大事なものを見失う、ということがあるのではないでしょうか。
「鼻が低いことを悩んで死のうとした人」の話を聞いたことがあります。昔の話です。その人は小学校を卒業するとすぐ新潟から上京して、上野の飾り職人の家に奉公に入りました。毎日毎日、磨いている銀細工に自分の顔が映りますが、とにかく鼻が低い。同僚が「お前は良いな、雨が降っても雨が鼻に当たらないだろう、ころんでも鼻をすりむくことはないだろう」と囃し立てますが、返す言葉がありません。そこで彼はもう生きている気がしなくなって、悩みに悩んだ末に死ぬことにしました。死ぬつもりである晩、上野のお山の墓地に行って、墓石に腰をおろして「あぁ、これで最後か」と悲しんでいました。すると西郷さんの銅像の方向から「ドーン、ドーン」という太鼓の音と「ただ信じよ…信じる者は皆救われん」という讃美歌の歌声が聞こえてきました。「死ぬ前に一回くらい耶蘇教の話を聞いてみるのも悪くないだろう」、そう思って行ってみると救世軍(キリスト教の一派)の人々の説教があったのです。その説教に聞き入っているうちに、鼻が低いのを恥ずかしがって悩んだ自分が情けなくなって来ました。「恥ずかしいのは、悲しいのは、俺の鼻が低いことじゃない。神の前に心が罪に汚れていることだ」と分かったのです。それから彼は、信仰を持って、新しい歩みを始めたのです。神を畏れた。そうした時、人の評判は気にならなくなったのです。自由を手に入れたのです。
「人を恐れるとわなにかかる」。その罠から逃れる方法は、神を畏れることです。人は真に神を畏れる時、何が本当に大事なのか、判断出来るのではないでしょうか。ヘロデは、反対の生き方をしてしまいました。彼には悔い改める機会があったのです。ヨハネは、何度も何度も悔い改めを語ったはずです。ヘロデが悔い改めて、神を畏れることを選び取るなら、違う生き方があったはずなのです。しかし、最後まで悔い改めません。そのように生きて、最後は、気を遣っていたローマ皇帝から流罪に処せられて終わるのです。人は変わります。人の心も変わります。世の中の価値観も変わります。でも神は変わらない。神を正しく畏れることが、1回限りの人生をより良く、より自由に生きて行くために大切なことではないでしょうか。それだけではなく、やがて全ての人は、神の前に立つ時が来るのです。神を正しく畏れる信仰生活でありたいと願うことです。
 

聖書箇所:マルコ福音書16章1~8節  

 イースター、おめでとうございます。ある時、キリスト教ラジオ放送を聴いていたら、「いつ亡くなるか分らないような方々ばかりを見ている」というお医者さんがこう言われました。「たとえそれがどんなことでも、将来に―(死んだ後のことも含めての将来に)―希望を見ることが出来る人は、今を生きて行くことが出来るのですよね」。ご自分の医療体験を交えてそう語っておられました。希望の大切さを改めて教えられる言葉ですが、私は、キリスト教信仰というのは、正に「将来に希望を見せる」信仰ではないかと思います。コロナ禍、ウクライナ戦争等々、今年のイースターは、大変な中で迎えることになりました。しかし、イースターを迎え、私達は改めて聖書に教えられます。私達の主は、死を打ち破って甦られた方であるということ、その方は、私達をも死に勝たせて下さるということ、十字架という絶望は、神の御手の中で復活という祝福に変えられたこと、そして、この辛い世界も、その奇跡の御業をなさった―(今もなさる)―神の御手の中にあること、そのことに希望を見出すことができるのではないでしょうか。そう思う時、私は「キリスト教信仰の中心がイエス様の復活にあること」、「『復活したイエスが今生きておられる』ということを信じることにあること」、そのことの重要さを改めて思わされる気がしたのです。
さて、「マルコ福音書」を順番に学んでいて、まだ途中ですが、やはり「マルコ福音書」から復活の記事を学ぶことにしました。なぜならマルコは、主の復活を前提に「福音書」を書いているからです。そしてこれから読んで行く箇所も、復活の光に照らしてもらう時、良く理解出来ると思うからです。今日は「マルコ16章」からイースターの語りかけを聴きましょう。
イエス様は金曜日の午後3時頃、十字架で息を引き取られました。ユダヤの1日は日没から始まります。安息日の始まりが3時間後に迫っていました。アリマタヤのヨセフの配慮によって、イエス様は応急処置のような埋葬の処置を受けてヨセフの墓に葬られました。15章47節に「マグダラのマリヤとヨセの母マリヤとは、イエスの納められる所をよく見ていた」(マルコ15:47)と記されています。その女性達がここにも登場します。「さて、安息日が終わったので、マグダラのマリヤとヤコブの母マリヤとサロメとは、イエスに油を塗りに行こうと思い、香料を買った。そして、週の初めの日の早朝、日が上ったとき、墓に着いた」(16:1~2)。女性達の名前が繰返し記されているのは、証人の名前をしっかりと記して「イエスの十字架と復活」の出来事の史実性を明らかにしようとしているのだと思います。「確かにイエスは十字架で死なれた。しかし、その死なれたイエスが確かに復活された」ということを伝えたいのです。
彼女達は、土曜日の安息日が終わるのを待って、土曜日の日没後、店が開くとすぐに香油を買い求めたのでしょう。そして夜明けと共に墓に急いだのでしょう。彼女達の思いは「イエス様の体に香油を塗って丁寧に葬りたい」ということに集中していました。だから墓の入口に大きな石が置かれていることも、行く途中で気づいた、そこまでは意識していなかったのだろうと思います。ところが墓に行ってみたら、すでに石は脇に転がしてありました。そして中に入ってみたら「真白な長い衣をまとった青年―(天使でしょう)」が居て、メッセージを伝えました。「十字架につけられたナザレ人イエス…はよみがえられました。ここにはおられません…行って、お弟子たちとペテロに、『イエスは、あなたがたより先にガリラヤへ行かれます…そこでお会いできます。』とそう言いなさい」(6~7)。
ところが、ここには、その次に「女性達は喜びに溢れて、万歳、万歳と言いながら墓を出て行った」とは書いていないのです。「墓…から逃げ去った。すっかり震え上がって、気も転倒していた…そしてだれにも何も言わなかった。恐ろしかったからである」(8)とあるのです。私達には、なぜ彼女達が喜びに溢れたのではなかったか、なぜ恐怖に捕らえられたのか、不思議な気もします。彼女達の恐れの理由ははっきりとは分らない。でも想像することは出来ます。この女性達の恐れは「本当に神の業に触れた者の恐れ」だったのではないでしょうか。墓の入口の石について「あれほど大きな石だったのに、その石がすでにころがしてあった」(4)とあります。これは「神が石をころがして下さっていた」ということを間接的に表現した言葉です。彼女達は「神の超自然的な働き」の世界に自分達が踏み込んだのを感じたのではないでしょうか。そして天使との出会い。「十字架で死んだイエスが甦った」とのメッセージを聞いたのです。死が打ち破られた、神が本当に死を打ち破った、自分達の理解出来ないことが起こった、神がそれをされた。そのことを肌身に感じた時、喜びもあったかも知れないけれど、全身を揺さぶられるような衝撃、驚き―(ある種の恐れ)―に捕われたのではないでしょうか。あるユダヤ人の哲学者は「人はかつて経験したこともないような出来事…に出会うと、言葉を失い、ただ驚きの感情しか表せない」と言ったそうです。ある本にこんな話がありました。1人の女の子が―(キャンプか何かの時)―大きなバイクの近くで遊んでいました。ところが何かの拍子でそのバイクが少女の上に倒れて来ました。バイクの部品が少女の頭に食い込んでいるのが見えました。血が噴き出します。クリスチャンの両親は、助けを求めて神様に叫びました。「助けて下さい」。病院に担ぎ込まれて検査を受けた後、医者が言いました。「お子さんが生きておられることは驚くべきことです。この傷があと髪の毛数本分深かったら脳に穴が空いていたことでしょう」。少女は13針縫いましたが、その日の内に家に帰ることが出来たのです。両親は言っています。「私達は主のご臨在と御力を経験して、絶対的な畏敬の念に打たれ、言葉を無くしていた」。本当に私達の思いを越えた神の御業に触れた時、人は言葉を失うのかも知れません。しかも死が打ち破られたのです。「驚きを越えた畏れ」が大きかったかも知れません。
あるいは、イエス様の十字架の時、イエス様が愛し導かれた男の弟子達は皆、イエス様を捨てて逃げてしまったのです。女の自分達も結局、主が言われた復活を信じていなかった。復活されたということは、イエス様が本当に神なる方だったいうことです。その神なる方に対して、結局、弟子団は不信仰だったのです。そのことの恐れもあったかも知れません。
しかし、私達にとって重要なのは、「恐れの理由」よりも、8節が「恐ろしかったからである」で終わっているということです。どういうことかと言うと、聖書をお持ちの方は「マルコ福音書16章」を開いて頂くと、今日の箇所の次の箇所、16章9~20節は〔かぎ括弧〕で括られているのがお分かりになると思います。なぜ〔かぎ括弧〕で括られているかというと、「この部分はおそらく『マルコが書いたオリジナル』にはなかったであろう。後から初代教会の指導者―(あるいはマルコの弟子か誰かによって)―書き足された部分であろう」という意味で〔かぎ括弧〕で括られているのです。(もちろん「だから9~20節が大事でない」ということでは決してありません。神様の摂理の中で書き足され、「聖書の大事な言葉」として「マルコ福音書」の中に保存されたのです。だからこの部分も、大切な聖書の御言葉です。しかしオリジナルにはなかっただろうと思われます)。では、なぜ書き足されたかというと、8節の「恐ろしかったからである」で「マルコ福音書」が終わるのは、終わり方として落ち着きが悪いと思われたからでしょう。「『復活のイエス様が弟子達の前に現れる場面』がなければ落ち着きが悪いではないか」、そう思って書き足されたのだと思います。
しかし問題は「なぜマルコは8節で自分の福音書を終えたのか」ということです。私達が読んでも、「恐ろしかったからである」で終わるのは落ち着きが悪い。ある人は「ルカが『ルカ福音書』と『使徒行伝』を自分の本の『前半』『後半』として書いたように、マルコも『後半』に当たる本を書こうとしていたのではないか」と考えます。そうかも知れません。あるいは、何らかの理由でこれ以上書けなくなってしまったのかも知れません。だから、そういう可能性も残した上で、しかし、もしマルコが8節で自分の「福音書」を終えようとしたのであれば、彼は何を意図したのでしょうか。どういう思いで、ここで自分の福音書を終えたのでしょうか。
それを考えるために、天使が語ったメッセージに注目したいと思います。天使は言いました。「行って、お弟子たちとペテロに、『イエスは、あなたがたより先にガリラヤへ行かれます…そこでお会いできます』とそう言いなさい」(7)。この天使の言葉は何を意味するのでしょうか。1つは「イエスの甦りの意味」を示唆します。つまり「お弟子たちとペテロに…言いなさい」。ペテロがこのメッセージを聞いた時、どれだけ慰められたでしょうか。彼は、イエス様を裏切った、そのことにどれだけ苦しんでいたでしょうか。しかも、イエスが本当に神から遣わされた方であったならば、なおさらそうでしょう。その方をものの見事に裏切ってしまったのです。しかし甦ったイエス様は、そのペテロに真っ先に会おうとされました。つまりイエスの十字架は、復活は、「裁き」のためではなく「赦し」のためであること、そのことを何よりも表しているのです。
しかし「イエスは、あなたがたより先にガリラヤへ行かれます…そこでお会いできます」とは、どういうことでしょうか。ガリラヤは、弟子達がイエス様と最初に出会った場所でした。「その場所でイエス様との新しい関係が再び始まる」、そういう意味があったのではないでしょうか。しかし、彼らがイエス様との関係を改めて始めることにおいても、イエスが弟子達よりも先に行かれるのです。イエスが弟子達に先立って行かれるのです。だから、そこで弟子達はイエスにお会い出来るのです。それはガリラヤだけのことではない。この後の弟子達の歩みは、いつもイエスが先立って行かれ、そこで弟子達はイエスにお会いするのです。弟子達が途方にくれた時、どうして良いか分らないような時、そこにイエスがおられ、そこで弟子達はイエスにお会いするのです。「ガリラヤへ行け、そこでお会い出来る」というのは、そういうことが意図されているのではないでしょうか。
なぜマルコは、途中で終わるような形で自分の福音書を終えたのか。それは、これから弟子達の前に現れて下さるイエス様のこと、いやこれから弟子達に先立って行かれるイエス様のことを、これ以上、自分の小さな本に書くことが出来なかったからではないでしょうか。女性達は恐れました。しかし彼女達は、少し落ち着いてから弟子達に天使のメッセージを伝えたでしょう。そして弟子達はガリラヤに行きます。そこでイエスにお会いします。でも、そのことも含めて、これからイエス様が為さる様々な働きについて、弟子達とイエス様の新しい関係について、弟子達のイエス様経験について、マルコは自分の小さな本に閉じ込めようとは思わなかった。だから、もう書かなかったのではないでしょうか。
いや、それだけではなく、先立って行かれるイエとの物語は、「福音書」を読む読者が、それぞれに自分で経験して行くことである、そのことを彼は確信していた。だから、それぞれが自分のこととしてこの物語の続きを経験するように、「あなた方自身がこの続き―(先立つイエス様との物語)―を書くのだ、だから私はこのイエスの物語を閉じることは出来ない」、そう言いたかったのではないでしょうか。これが、マルコが8節の中途半端な形で自分の「福音書」を終えている意味ではないでしょうか。
それはつまり、私達も先立って行かれるイエスにお会い出来るということです。ある人はガリラヤをこう表現しました。「ガリラヤ、それは弟子達にとって日常生活の場所であった。私達も日常生活のガリラヤにおいて先立つイエスにお会い出来るのである」。私達がイエス様にお会いするのは、何か特別の場所というのではないのだと思います。私達の日常生活が、私達がイエス様にお会い出来る場所なのです。そこでイエスにお会いすることを待望する、それがキリスト者の生きる姿勢ではないでしょうか。
私は、私達の希望は、自分がイエス様の御手の中で生かされている―(星野富弘さんが「立っていても、倒れても、ここはあなたの手のひら」という詩を作っておられますが)―そのことを信じることに懸かっていると思います。どうして自分にこういうことが起こるのか、と思う時もあります。しかし、そこも神の御手の中である、そこにも先立つイエスがおられる、それを信じる、そこに希望は見出せるのではないでしょうか。
先程「女の子がケガをした」という話を紹介しました。その少女のお母さんは、有名な「足跡」という詩を書いている方です。「足跡」は、小さな生活を精一杯生きようとする、でもそこには色々な問題が起こって来る、しかしそこで神を経験した、そのことにインスピレーションを与えられて書かれたのです。「ある夜、私は夢を見た。私は、主と共に、なぎさを歩いていた。暗い夜空に、これまでの私の人生が映し出された。どの光景にも、砂の上にふたりの足跡が残されていた。一つは私の足跡、もう一つは主の足跡であった。これまでの人生の最後の光景が映し出されたとき、わたしは、砂の上の足跡に目を留めた。そこには一つの足跡しかなかった。わたしの人生でいちばん辛く、悲しい時であった。このことがいつもわたしの心を乱していたので、わたしはその悩みについて主にお尋ねした。『主よ。私があなたに従うと決心した時、あなたは、すべての道において、私と共に歩み、私と語り合って下さると約束されました。それなのに、私の人生の一番辛い時、ひとりの足跡としかなかったのです。一番あなたを必要とした時に、あなたが、なぜ、私を捨てられたのか、私にはわかりません』。主は、ささやかれた。『わたしの大切な子よ。わたしは、あなたを愛している。あなたを決して捨てたりはしない。ましてや、苦しみや試みの時に。足跡がひとつだったとき、わたしはあなたを背負って歩いていた』」(マーガレット・パワーズ)。イエス様が先立って下さるということは、こういうことではないかと思います。これが、私達も経験して行くイエス様とのストーリーです。もちろん私達の目はイエス様を見ることは出来ません。でも、私達は「聖霊(見えないイエス様)」を通して、イエス様と具体的に歩くことが出来るのです。イエス様に導かれ、支えられ、励まされ、御業を受け、そして希望を与えられて生きて行けるのです。
私達がカナダで開拓伝道を始めた時、何の見通しもありませんでした。しかし、私達は知らなかったのですが、その時は教会会議の「伝道と教会成長委員会」という委員会が「これから開拓伝道を支援して行こう」と決めた時だったのです。私達のことを聞いて、その委員長がすぐに手を差し伸べ、私達が教会を立ち上げることが出来るように、道筋を整え、沢山の支援をしてくれました。今振り返ると、奇跡を経験したとしか思えません。そのようにして私達も、先立つイエス様を経験させて頂きました。
いずれにしても、私達も色々な形で先立つイエスを経験出来るのです。それを信じて待望するように、それがこの箇所のメッセージだと思います。私達の現実には、困難の中で、生きておられる主を感じられないこともあるでしょう。弟子達もそうだった。しかし、神の計画は「弟子達が十字架で絶望する」ところでは終わっていなかったのです。神の計画には、絶望の向こうに「主の復活があり、新しい使命に生きる弟子達の姿があった」のです。私達に対する神の計画もそうです。絶望するところでは終わっていないのです。だからこそ、私達は主を待望出来るのです。神の計画は、私達の思いより遥かに深い。聖書は「希望は失望に終わることがありません」(ローマ5:5)と語るのです。私達は、そのことを信じるのです。先立って行かれるイエス様を信じて、主との出会いを待望して、この信仰生活を歩んで行きましょう。主の復活を感謝します。
 

聖書箇所:マルコ福音書6章6b~13節  

 本聖日から「受難週」に入ります。金曜日が「受難日」です。イエス様の十字架の苦難と、また恵みを特に覚えて、1週を過ごしたいと思います。
以前も都城の教会のH兄のことを少しお話しました。H兄は今から四十数年前、バンクーバーに行かれて間もなく、英語の学びを目論んで、知り合いの方に「教会に行きたい」とお願いをされました。ところが、「英語の教会」と言わなかったために、連れて行かれたのは日系の教会だったのです。しかし、その教会を通して信仰を持たれたのです。やがて日本に帰られて後、H兄は自分を教会に案内してくれたカナダ人の友人の病気を知り、カナダを訪れ、病床でその友人に向かってこう叫んでおられます。「あなたとの素晴らしい出会いがあって…カナダに来る前は考えることも出来なかった、人生にとって最大にして最高の宝である信仰を日本に持ち帰ることが出来ました」。1人の人に「人生の最大にして最高の宝」と叫ばせる、信仰とはそんなに素晴らしいものだと、改めて思ったことでした。しかし心惹かれるのは「あなたとの素晴らしい出会いがあって…」という言葉です。H兄を教会に導かれた方がいた。でもそれは、彼に信仰を伝えた方だけへの言葉ではありません。私達も「伝える者」になれる。私達にも誰かが―(地上で、あるいは天国で)―「あなたとの素晴らしい出会いがあって…」と言ってくれるかも知れません。いや、信仰生活とはある意味で「証しの生活」だと思います。神の恵みを証しする生活です。その視点を無くすと、信仰生活の大切な目標・意義を見失ってしまうのではないでしょうか。
 前回、「イエス様は故郷ナザレの人々に受け入れられなかった」という記事を学びました。イエス様は、ナザレで拒否された後、すぐにナザレを立ち去るのではなくて、付近の村々を巡り歩いて伝道をされました。そして、それだけではなく、今朝の箇所では、12弟子を伝道に遣わしておられます。彼らはイエス様に遣わされました。彼らがそうであったように、私達も遣わされているのです。ガリラヤ伝道に遣わされるわけではありません。しかし私達も、家庭に、職場に、地域に、色々な交わりに、遣わされた者として生きる、証しに生きる、それがキリスト者の生き方ではないかと思います。(礼拝の最後の「祝祷」は「私達が教会を出て世に派遣されて行く」、その派遣された場所における祝福を祈る「派遣の祈り」なのです)。その意味で、彼らに指示されていることは、私達の信仰生活にも大きな示唆を与えるものだと思います。
今朝は「世に遣わされた者として証しの生活をするために大切なこと」、そういうテーマで御言葉から3つのポイントで学びたいと思います。
 

1.「…ふたりずつ遣わし始め…」(7)(教会造り)

 イエス様は、弟子達を遣わすに当たって2人ずつ組にされました。なぜ1人ではなくて「2人組み」にされたのでしょうか。良く知らない村に出かけて行きます。人々が聞いてくれるかどうか分かりません。反感を買って、酷い目に遭うかも知れません。そういう旅ですから、彼らは不安でしょう。しかし、2人ならば「助け合える」ということがあったのではないでしょうか。「伝道者の書」に「もしひとりなら、打ち負かされても、ふたりなら立ち向かえる」(伝道者4:12)とあります。
しかしそれだけではありません。「1人ではない、2人である」ということは「個人ではなく交わりである」ということです。つまり、それはそのまま「キリスト者の交わり/教会」を意味すると思います。あの大伝道者パウロでさえも、1人で働きをしようとはしませんでした。パウロが書いた手紙の多くには、共同執筆人として何人かの名前が記されています。それは「パウロが『教会の働きである』ということを意識していた」ということだと思います。つまり、キリスト教の働きは「誰かある個人が1人でして行く」という性質のものではなくて、「キリスト者の交わり」が為して行く性質のものだからです。カナダである韓国人の先生が「日本人留学生への伝道」をしておられました。しかし、教会によって送り出されたのではない。祈ってくれる母教会もない。「教会のない伝道」がどれ程困難なものか、良く分かりました。教会の交わり、信者の交わりこそが、伝道の主体なのです。その意味で、世に遣わされて証しに生きて行く、その土台は「交わり造り―(教会造り)」に加わって行くことだと思います。
しかし一方で、最初の教会を構成した12人はどういう集まりだったかというと、総じて立場も思想も背景もバラバラな人々の集まりでした。バラバラというだけなら良いですが、本来、敵対関係にあるような人々もいたのです。その人々が一緒になって活動して行くのです。千葉の神学校で、私達は家族寮に住んでいましたが、独身者は独身寮に2人1組で暮らしてしました。ある人が
「これは神様の裁きじゃないか」と言っていました。他人同士が2人で暮らすことは大変なのです。弟子達もそうだったでしょう。2人1組となると、その2人はますます深く関わらざるを得ない。大変だったと思います。どうやってそれを乗り越えたのでしょうか。
彼らは、1人びとりが「イエス様に呼び出されてそこに存在している」、そういう群れなのです。「イエス様に呼び出されて一緒に活動するように命じられた」、それ以外に彼らを結び付けているものはないのです。しかし、その自覚が彼らを支えて行くのです。「教会」と訳されるギリシャ語「エクレシア」は、もともと「呼び出された者の集まり」という意味です。私達も、イエス様に呼び出されて教会に存在しているのです。私達は、それぞれに弱さを持った「罪人」です。私自身も自分の弱さを思い知らされます。至らない部分も多い。皆様から弱さを赦され、弱さを負って頂くことがなければ、奉仕を続けることは出来ません。皆様も、ご自分の弱さを覚えられるでしょうか。「ガラテヤ6章」に「互いの重荷を負い合い…なさい」(ガラテヤ6:2)とあります。教会は、弱さを持った者の交わりにおいて、弱さを持ったお互いが重荷を負い合い、互いに信仰を働かせて交わりを育て上げて行く、そういう群れであり、教会の宣教―(私達の証し)―というのは、そういう過程で為されて行くものではないかと思うのです。
私達は、教会なしには、証しは出来ません。私達が誰かを招きたいのは、1人びとりが呼び集められているこの礼拝の場―(交わりの場)―です。私達の「証しの生活」の土台に、教会造り、交わり造りがある、そのことをまず教えられます。私達は交わりに属し、交わりから遣わされて行くのです。
 

2.「…何も持って行ってはいけません…」(8){信仰()体験}

 イエス様は彼らを送り出される時、厳しい命令を与えられました。「1本の杖の他は何も持って行くな」、「パンも」、「袋も―(人からもらったものを蓄えておく袋)」、「帯―(2つ折りにした帯の間に金袋を入れた)―の中に金(小銭)も」、「くつ(サンダル)は履いて良い」、「下着は1枚―(代えはなし)」。極端にシンプルな出で立ちです。何を言っておられるかというと、要するに「身一つで行け」ということです。何のためでしょうか。私は思うのです。「必要なものは必ず神が与えて下さる」、「主の山に備えあり」、その信仰に立つ訓練ではないでしょうか。「あなたは神と共に旅をしていることを忘れないようにしなさい」ということです。(私達にも言われていることです)。「当てにするもの、頼りにするものを何も持って行くな」ということですから「本当に神だけしか頼るもののない状況」に自分を追い込むことになります。しかし彼らは、神に立ち帰る祝福を語り、その中で「明日のことを思いわずらうな…一日の苦労はその日一日だけで十分である―(後は神に任せない)」(マタイ6:34)と言われたイエス様の言葉も語ったでしょう。そのためには「神への信頼に生きるということはどういうことなのか」、「神が支えて下さるとはどういうことか」、それを自ら知り、経験する必要があったのです。後に使徒パウロは書いています。「私達は、非常に激しい、耐えられないほどの圧迫を受け、ついに命さえも危くなり、本当に…心の中で死を覚悟しました。これは、もはや自分自身を頼まず、死者をよみがえらせて下さる神により頼む者となるためでした。ところが神は、これほどの大きな死の危険から、私達を救い出して下さいました。また将来も救い出して下さいます。なおも救い出して下さるという望みを、私達はこの神に置いているのです」(2コリント1:8~10)。彼の経験が、この確信を与え、語らせているのです。その意味で弟子達は、イエス様の言葉に生きてみる必要があった、神への信頼を体験として持つ必要があったのです。そして、13節や30節を見ると、彼らは一定の働きを成し遂げています。神の守りを、神の力を、経験して行くのです。
 しかし、「神の力を経験する」と言っても、天からお金が降ってくるわけではありません。人を通して神の守りを経験して行くのです。だから10節の言葉があります。「どこででも一軒の家に入ったら、そこの土地から出て行くまでは、その家にとどまっていなさい」(10)。彼らは1つの村に入ります。知り合いはいない。宿もない。あってもお金がない。基本的に誰かの好意にすがるしかない。当時、旅人を迎えてもてなすことが村の義務だったそうです。そういう習慣があったとは言え、2人の大人を迎え入れて世話をしようとするのです。迎える側にすれば大変なことです。世話をしてくれる人はどうやって起こされて行くのか。それは、彼らが口先だけで何か上手いことを言っていてもダメなのです。語る言葉に生きる現実が掛かっている、「その人の存在そのものが掛かっている」、そういう言葉を語る時、心を動かされる人が起こされて行くのではないかと思うのです。
 ちょっと話が飛躍しますが、「ありの町のマリヤ」と言われた北原怜子という方をご存知でしょうか。彼女は、カトリック教会に導かれてクリスチャンになった後、何か神様の御用に仕えることをしたいと思いました。そこにゼノ神父―(アウシュビッツで身代わりの死を申し出て死んで行ったコルベ神父と一緒に働いていた人)―がやって来て、「あなた、かわいそうな人のため、お祈りをどっさり頼みます」と言い残して、当時「ありの町」と呼ばれていた貧民街に入って行ったそうです。彼女は祈りましたが、祈りの中で示されたのでしょう、修道女になるつもりだった彼女が、「ありの町」で奉仕を始めるのです。しかし最初は、「お嬢さんの気まぐれ」と思われていました。そんなつもりはないと思った彼女でしたが、ほどなく「主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられました」(2コリント8:9)という言葉に心を捉えられ、キリストの心で人々に仕えたいと「ありの町」のバラックの一角に住み、人々と一緒に屑拾いをしながら、また子供達に教えながら、人々を励まして行くのです。やがて彼女の書いた本(手紙)がきっかけとなって、「ありの町」の人々は東京都が提供した新しい土地に移り住むことが出来るようになります。その新しい土地に人々がまず建てたのは、教会だったのです。彼女は29歳で召天しておられますが、素晴らしい証しに生きたのです。人々の心を動かしたのです。
 私達にこんなことが出来る訳ではありません。申し上げたいことは、信仰に、あるいは語る言葉に生きる時、人々の心は動かされるのではないかということです。教会からのレターにも書いたのですが、先日召天された兄弟が、私に語って下さった言葉があります。「先生、人生を謳歌して下さいよ」。私は、その言葉の背後に兄弟の人生があるのを感じます。それ故、ますますその言葉に動かされている自分がいます。繰り返しますが、言葉に生き方が掛っている時、人々は心動かされるのではないでしょうか。
その意味でも、弟子達は「必ず神が支えて下さる、神は恵みの神である」という信仰に、自分の語る言葉に、自分が生きなければならなかったのです。私達も「自分の生きる現実から出て来るような言葉」を語れれば、と願うことです。
しかし、そう考える時、信仰生活の祝福の一面もまた思わされます。クライダーというメノナイトの神学者が次のように言っています。「我々が神にお目にかかることが出来るのは、人間の保障にすがりついている時ではない。むしろ神を信頼する不安定な生き方をしている時である。神の力は我々が力強い人間である時に十分に発揮されるのではない。むしろ我々が弱い時である…神に忠実であろうとして…絶望的な状況に陥ることがある。その時に神はご自身を示して下さる」(アラン・クライダー)。彼の言葉を支えているのは、パウロの言葉です。「ですから、私は、キリストの力が私をおおうために、むしろ大いに喜んで私の弱さを誇りましょう…なぜなら、私が弱いときにこそ、私は強いからです」(2コリント12:9~10)。私達が弱い時に、苦しい時に、絶望しているような時に、神がご自身を現して下さるというのです。そうであるなら私達の経験することは、たとえそれが辛いことであっても、人間的には嬉しくないことであっても、どれ1つとして無駄ではない。そこで私達は、神を経験させて頂けるのです。そして、その経験が私達に真実の言葉を語らせるのです。神を経験させて頂けるような信仰に生きたいと願いますし、そこで経験した「信仰経験」に裏打ちされるような言葉を語りたいと願のです。
 

3.「…悔い改めを説き広め…」(12)(悔い改め)

 彼らは何を語ったのか。12節に「こうして12人が出て行き、悔い改めを説き広め」(12)とあります。イエス様は「悔い改めを勧めなさい」と言われたのではないでしょうか。しかし「悔い改めを勧めなさい」と言われた彼ら自身が、やがてイエス様を裏切って行くのです。「罪の悔い改め」を語る彼らが、「信仰」を語る彼らが、実は不信仰を抱えているのです。しかし、そのことが十字と復活の後、彼らを本当に謙遜な者とするのです。そして悔い改めを語る言葉が、本当に力を持つのです。
「ヘブル書」に「信仰がなければ、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神が存在しておられること、また、神は御自分を求める者達に報いて下さる方であることを、信じていなければならないからです」(ヘブル11:6)とあります。私達は、どれほど信仰に生き得ているでしょうか。正直に自分を振り返れば、私達は自分の不信仰を、疑いを、弱さを、認めざるを得ないのではないでしょうか。しかし、そのことにきちんと向き合うことが必要です。「悔い改める」ということは、「今の自分に対して盲目にならない」ということです。罪を抱えて生きざるを得ない私達ですが、それが私達を謙遜にし、それ故に悔い改めを続ける時、私達に神との祝福の関係を保たせてくれるのです。神は言われます。「私は…心砕かれて、へりくだった人と共に住む」(イザヤ57:15)。もちろん私達には、神の「赦し」が与えられている。しかし「赦し」が与えられているからこそ、神様に「悔い改め」を捧げながら誠実に歩んで行きたいと願うのです。
そして大切なことは、「不信仰があるから、信仰が弱いから、語らない」のではない。イエス様は、不信仰な弟子達を送り出されたのです。不信仰を抱えながら、それと向き合いながら、だからこそ、「赦しの恵み」を語ることが出来るのではないでしょうか。「赦し」を喜ぶ中でこそ、私達は誰かに「神に立ち返って、赦されて、神と生きる幸いがあること」、それを語ることが出来るのではないでしょうか。
 

4.終わりに

 イエス様は言われまし。「あなた方は行ってあらゆる国の人々を弟子としなさい…見よ。わたしは、世の終わりまでいつもあなた方とともにいます」(マタイ28:19~20)。ある学者はこれを「『あなた達が伝道する限りにおいて、世の終わりまであなた方と共に在る』というメッセージだ」(小林和夫)と言いました。私達は、主の臨在に触れたい。もっと主の御業を拝したい。そのために、私達は「教会つくり」を通して、「信仰を生きる(御言葉を生きる)こと」を通して、「悔い改めること」を通して、世に遣わされた者として、証しの生活を生きて行きましょう。
 

聖書箇所:マルコ福音書6章1~6a節 

 こんな話があります。アメリカのある神学者がテネシー州へ旅行に行き、あるレストランに入りました。食事が来るのを待っている間、上品な白髪の男性が神学者のテーブルにやって「ぜひお話したいことがあります」と言って話を始めました。「私はベン・フーパーと申します。母は未婚で私を産んだものですから、私は苦労しました。学校では友達にからかわれ、深く傷ついた私は、人を恐れ、いつも1人でした。私が12歳の時、新しい牧師が教会に来ました。ある日の礼拝の時、いつものようにそそくさと教会を出ようとして扉にたどりついた途端、肩に大きな手が置かれました。見上げると牧師が私を真っ直ぐに見つめていました。『坊や、君は誰だね?誰の子供かね?』。牧師までが私を見下しているんだ、と思いました。しかし牧師は言いました。『ちょっと待てよ。君が誰だか知っているよ。君に似ている家族を知っている。君は神様の子供だ!君は凄い遺産を受け継いでいるんだ』」。牧師が言った「君に似ている家族を知っている」というが、イエス様の家族なのです。この個所で、イエス様は「マリヤの子」と呼ばれています。父親のヨセフは、この時、既に亡くなっていたと思われます。それでも、当時は「ヨセフの子」と呼ばれるはずなのです。それが「マリヤの子」と呼ばれているということは、イエスが、マリヤがヨセフと結婚する前に身ごもった子であることを、ナザレの人々が知っていたということを示すのではないかと思われます。その意味でイエス様は、人々のある種、冷たい視線を浴びながら育たれたのではないでしょうか。しかしその事実が、そしてそのことを知る牧師の愛が、1人の少年の人生を変えたという話なのです。この時、ベン・フーパーは州知事になっていたのです。
聖書の学びに入ります。イエス様はガリラヤ湖北岸のカペナウムという町を拠点にして、ガリラヤのあちこちで、御言葉を語り、癒しの業をしておられたようです。そのイエスが、今日の箇所では郷里のナザレに帰っておられます。ナザレは人口500~1000人の小さな村です。そこに評判のイエスが帰られた。ところが、せっかく郷里に帰られたのに「そこでは何一つ力あるわざを行なうことができず、少数の病人に手を置いていやされただけであった。イエスは彼らの不信仰に驚かれた」(5~6)とあります。なぜナザレの人々は、イエス様を驚かせるほど不信仰だったのでしょうか。この個所は、何を語るのでしょうか。ここから3つに分けてお話します。
 

1:内容~ナザレの人々の不信仰

イエスは郷里の会堂で説教をされました。会堂は会堂司が管理し、集会の説教者も会堂司が指名しました。イエス様の評判はナザレにも聞こえて来ていたのでしょう。そこで会堂司がイエスを指名したのかも知れません。イエスは素晴らしい説教をされました。2節に「それを聞いた多くの人々は驚いて言った」(2)とあります。ただ驚いただけではありません。2節で「この人は、こういうことをどこから得たのでしょう。この人に与えられた知恵や、この人の手で行なわれるこのような力あるわざは、いったい何でしょう」(2)と言っています。「どこで得たのでしょう」と言うのは、「神から与えられたとしか思えない」ということです。そのような権威ある説教を聞いたのです。イエスは、奇跡的な業も為さったかも知れません。村人は「神が働いておられる」と思わざるを得ない体験をして、非常な驚きを感じているのです。ところが3節には「こうして彼らはイエスにつまずいた」(3)とあるのです。この「つまずいた」という言葉は、「不信仰に陥った」と訳しても良い言葉です。なぜイエス様の説教に驚いた人々が、次の瞬間にはつまずいてしまうのでしょうか。
彼らのつまずきは、次のように語られています。「この人は大工ではありませんか。マリヤの子で、ヤコブ、ヨセ、ユダ、シモンの兄弟ではありませんか。その妹たちも、私たちとここに住んでいるではありませんか」(3)。何を言っているかというと、彼らは「私達はイエスのことを良く知っている」と言っているのです。ナザレは小さな村です。村人はお互いのことを良く知っている。だから「私達はイエスのことを良く知っている」と思っている。しかも、人々はイエスの出自について疑いを持っている。そのように多少とも軽蔑していたその男が権威を持って説教をした。「どうして、こいつにこんなことが語れるのか」。ある英語の聖書はこの箇所を「彼らはイエスが気に入らなかった」と訳しています。気に入らなかった。なぜか。人間には「妬み」があるのではないでしょうか。自分と遠い、関係のない人が素晴らしいことをしても、有名になっても、気にはならない。しかし、自分の近くの人、良く知っている人が有名になる、称賛を受ける、お金持ちになる…それに対して素直に喜べないものがあるのではないでしょうか。自分達の良く知っているあの
イエスが、権威を持って神の教えを語ることが気に入らない。癪に障る、妬ましい。素晴らしいと認めざるを得ないけれど、気持ちがついて行かない。いずれにしても「私達はお前のことを良く知っている。何がお前が…」というある種の近しさが、人々をイライラさせ、憤らせ、妬ませ、拒絶させたのではないでしょうか。しかし、それは人々にとって不幸なことでした。5節「そこでは何一つ力あるわざを行なうことができず、少数の病人に手を置いていやされただけであった」(5)。自分達のつまずきのために、イエスを通して神が為しておられた恵みの働きを受けることができなかったのです。
 

2:メッセージ~主イエスを神と仰ぐ

この箇所は何を語るのでしょうか。ナザレの村人の反応に接してイエスは言われます。「預言者が尊敬されないのは、自分の郷里、親族、家族の間だけです」(4)。イエス様の郷里とはどこでしょうか。もちろんナザレです。しかしマルコは「ナザレ」という言葉を使わないのです。郷里という言葉しか出て来ない。なぜでしょうか。それは、マルコは、イエスの「郷里」を「ナザレ」に限定せず、もっと広い意味で使おうとしているからではないでしょうか。「ヨハネ福音書」にこうあります。「この方はご自分のくにに来られたのに、ご自分の民は受け入れなかった」(ヨハネ1:11)。この世界は、神様によって、イエス様によって創造されました。{「天にあるもの、地にあるもの、見えるもの、見えないもの…すべて御子によって造られたのです。万物は、御子によって造られ、御子のために造られたのです」(コロサイ1:16)}。宮崎県も、佐土原も、イエス様の郷里(くに)なのです。そう考えると「イエスの郷里である、宮崎の私達1人1人は、本当にイエスのご存在に相応しく相対しているのか。イエスが私達1人1人を通して、働きたいと願っておられる、その働きを制限するような不信仰はないのか」、この個所は、そのことを問うて来るのではないでしょうか。
ここでいう「不信仰」とは何でしょうか。ナザレの人々は、ユダヤ人ですから、もちろん神を信じています。しかし「イエスが神の子、神の救い主である」ということを信じることが出来なかったのです。「私達が良く知っているあの『マリヤの子』ではないか。この前まで大工をしていたあいつではないか」としか見なかった。最後までイエス様ことを「神的な存在」として見ることが出来なかったのです。それがここで言われている「不信仰」なのです。その「不信仰」がイエス様の業を邪魔しているのです。
三浦綾子さんが求道をしている時、「聖書にある、イエス様が水の上を歩かれたとか、そういう奇跡はつまずきにならなかった、というか、どうでも良かった、問題は、イエスが本当に神の子であるのか、神であるのかどうか、その一点だった」と言っておられます。イエスが神の子なら、奇跡を行っても何の不思議もない、ということでしょう。私達も改めて確認しなければならないのは、イエスを神の子、いや神と信じるかどうか、ということです。言葉を換えると、「『私達の信じる神は、イエス・キリストにおいてご自分を現された神である』ということをしっかり押さえなければならない」ということです。私達は、ナザレのイエス、人として生きられたイエスを、神の子、いや神とするのです。
そうした時、イエス様から見て、私達にイエス様を「私の神」としない不信仰はないでしょうか。イエス様を、「神の子」「私の神」として相応しく相対しているのでしょうか。私達は、イエス様を「私の主」、「私の神」として、イエス様の前に膝を屈めるような信仰生活を送りたいと思うのです。その時、私達の中で、あるいは私達を用いて、イエス様が素晴らしいことをして下さるに違いないと思います。この個所は、そう語るのです。
 

3:適用~主イエスの前に膝を屈める

 「イエス様の前に膝を屈めるとはどういうことか」2つ申し上げます。
 

1)主の御心を行う

ナザレの人々は、イエス様を拒否しました。それは、言葉を換えると、イエス様の言葉を、神の言葉として受け入れることが出来なかったということです。「イエスの言葉が神の言葉などであるはずがない。なぜイエスに神の言葉を語ることが出来ようか」、そう言ってイエス様の言葉を神の言葉として受け入れることを拒否しました。私達はどうでしょうか。
私は以前、「私達はイエスの言葉に対して誠実でないことを告白し、悔い改めましょう」というメッセージを聞いたことがあります。私達はイエス様の言葉を聞く、でも本当にイエスの言葉に対して―(あるいはイエスの言葉を土台とした聖書の言葉に対して)―神様の私への語りかけとして誠実に対応しているでしょうか。ナザレの人々は、イエスを自分達の知識で判断して、イエス様の言葉につまずきました。その意味で、イエスに膝を屈めるとは、自分の常識の世界、そこを飛び出すようにして、御言葉に踏み出すことではないでしょうか。その時、御言葉を通して私達において、神が働かれるのではないでしょうか。
私は、あのアーミッシュの人達のことを思うのです。16年前、アメリカ・ペンシルベニア州にあるアーミッシュの村の学校に、近所に住む男が猟銃を持って乱入して、5人の子供を殺して、自分も自殺しました。しかし、それから数日後、アメリカの人々が、その惨劇以上に衝撃を受けるニュースが流れて来た。アーミッシュの人達は、犯人の妻の所へ行き―(そこに父親もいましたが)―押し寄せる怒りや悲しみを振り払ってこう言いました。「私達は彼を赦します。あなた方も家族を亡くしました。悲しみを分かち合いましょう」。その言葉を犯人の妻は「信じられない」という顔で聞いたのです。墓地で犯人の葬儀が寂しく行われていた時、丘の向こうから喪服を着た大勢のアーミッシュの人達がやって来て、妻を労わりながら静かに葬儀に参列したのです。放送していた放送局のスタッフが「やっぱり来た。何という人達だ」と言うのです。全米から送られて来た義捐金は犯人の家族と分け合いました。暴力に対して憎しみで応えるのではなくて、「愛と赦し」で応えたのです。このことに全米が驚きました。なぜ、彼らがそういうことをしたのか。イエス様は「我らに罪をおかす者を我らがゆるすごとく、我らの罪をも赦したまえ―(私たちの負いめをお赦しください。私たちも、私たちに負いめのある人たちを赦しました)」(マタイ6:12)という祈りを教えて下さいました。「自分の敵を愛し、迫害する者のために祈りなさい」(マタイ5:44)と言われました。「赦しなさい。そうすれば、自分も赦されます」(ルカ6:37)と言われました。彼らは、その言葉を、自分達に対する神の言葉として受け取り、その通り赦したのです。自分達も赦された者だから人を赦したのです。彼らの生き方は、全米の人達を揺さぶりました。北米のアーミッシュに対する見方は、変わりました。アーミッシュも、私達と同じメノナイトの群れですが、北米のメノナイト教会も目を覚まさせられました。イエス様は、彼らを通して、大きく働かれたのです。
イエス様の言葉に踏み出す。それがイエス様に膝を屈めるということの1つの在り方ではないでしょうか。そして、そこにイエス様の御業を豊かに経験する秘訣があるのではないでしょうか。
 

2)主に対して怒らない

3節「彼らはイエスにつまずいた」(3)。この「つまずいた」という言葉を、多くの英語の聖書は「腹を立てた、怒った」と訳しています。イエスは、神の愛をもってナザレの人々に本気で関わろうとされました。しかし村の人々は、イエス様を理解することが出来ませんでした。彼らの意に沿わなかった。そして「私達は良く知っている」という思いが先に立ち、反感を持ったのです、怒ったのです。
私達はどうでしょうか。イエス様に対して怒ることはないでしょうか。妬みではありません。イエス様がしておられることを理解出来ない、それで怒ることはないでしょうか。以前も申し上げましたが、私は昨年の春、鬱状態になって、その中で信仰もボロボロになって、自分に与えられた状況に納得出来ずに、主に対して怒りました。主に食って掛りました。皆様は、イエス様に対して怒ることはあられないでしょうか。しかし、もしかしたらそれは、私達が「主のことは知っている、こんな方だ、私の意に沿った形で働いてもらわなければ困る」と、主に対する間違った近しさを感じているからではないでしょうか。しかし主は、私達を遙かに越える方です。そして聖書は、時に主が私達を子として取り扱うが故に、私達を「主に似た者」に変えるという目的のために、永遠の祝福を与えるために、練り聖めることがあると教えるのです。練り聖められる時、痛みがある。でも、こんな話があります。ある所で大火事があり、何もかも灰になりました。しかし、その中で形を留めて残ったものがあったのです。それはタイルでした。一度、練られ、火を通ったタイルは、大火事に耐えたのです。主は私達を訓練し、そぎ取る部分をそぎ取り、身につけるべきものを身につけさせ、主に似た者にするために、私達を取り扱うということがあるのだと思います。内村鑑三は言いました。「キリストは…私の願わない所に私を連れて行く…しかし、そのようにしてキリストに取り扱われることによって、私は変えられ、私が少しずつ死んで、私の中でキリストが少しずつ生きるようになったのです。私は、これまでの生涯が自分の願った通りでなかったことを感謝しています」(内村鑑三)。
私達夫婦はこれまでの働きの中で色々な失敗をして来ました。ある時、大きな失敗をしました。それは2人にとって試練の時でしたが、ある方が言われました。「神様に愛されているからですよ」。その方は「主に愛されているから、主が関わろうとしてこのことも赦されたのだと思いますよ」と言って下さったのです。目が開かれるような気がしました。そして実際、それは祝福に変えられたのです。
私達は、辛いところ、痛いところを通る時に、初めて少しずつ変えられて行くのではないでしょうか。そのようにして主は、私達を少しずつ天国に相応しい者に変えて行かれるのではないでしょうか。ある牧師が言いました。「主は、良く見えることも、悪く見えることも、嬉しいことも、嬉しくないことも、全てを用いて私達を導いて行かれる」。主を信じて生きて行く上で大切なことは、それを受け入れることではいでしょうか。状況がマイナスに見える時ほど、その状況を用いて主が私に深く関わろうとされている、永遠の祝福を与えようとしておられる、それを信じて行くことだと思います。しかし、その渦中にある時は辛いですから、主にしがみつくような祈りをもって主に訴えながら、そこを通って行くことだと思います。
 

4:終わりに

3つのことをお話ししました。私達は、イエス様を拒否して恵みを失うのではなく、イエス様を「神の子」、いや「私の神」としてお迎えして、神の祝福に与る信仰生活を送りたいと願います。