牧師の証し

佐土原キリスト教会のホームページにようこそお出でくださいました。佐土原教会の牧師をしている吉行孝彦です。小さな証しをさせて頂きます。 私は1998年から10年間、カナダ・バンクーバー近郊で日系人伝道の働きをしました。振り返れば「神様の奇跡だったな」としか思えないようなたくさんの恵みに与って、2つの教会を開拓し、そこで牧師として奉仕することができました。
そんな10年でしたが、その中で生涯忘れられないだろうと思うのは、急性鬱病で入院した経験です。教会の奉仕を続ける中で「失敗した、自分の導きが悪かった、申し訳ないことをした」と打ちのめされる出来事がありました。激しい後悔と共に自分が責められてどうしようもなかったこと、失敗の結果生まれた状況に大きな恐れを感じたこと、いろいろな思いが相まって、私は崩れて行きました。人と話が出来ない、同じ所に5分と座っていられない、回りの状況に対処出来ない、食事が出来ない、眠れない、当然のように礼拝説教を作ることも難しくなりました。「薬に助けてもらおう」と思って医者に行ったら、「薬どころの話ではない、今すぐに入院しなさい」と言われて、そのまま総合病院の精神科に入院しました。クリスマスの時期でした。私は世の中のクリスマスの賑わいが辛くて、ラジオから流れてくるクリスマスの音楽から逃げるようにして過ごしました。10mがまともに歩けない。そんな状態でベッドに潜り込んでいると、ソーシャル・ワーカーの人から「あなたは牧師でしょう、信仰はどうしたの」と言われたり、看護師さんからシーツを剥がされ、「起きなさい!」と叱られたり…色々な方が私を立たせようとして一生懸命関わって下さいました。しかし、自分ではどうにもなりませんでした。
そんなある日のことです、神様が私の魂に語りかけて下さったのです。その時を迎えるまでに、薬にも助けられたと思いますが、何よりも多くの方が祈って下さっていたのです。私は「大変な失敗をしてしまった」と思って沈んでいましが、その時、思い出したのです。「こんな者を、神様はここまで見捨てずに、いつも失敗を補って来て下さったな…あっ、そうだったら、こうしてベッドに潜り込んでいる今も、私は神様の手の中にいるのではないか」。その時、「あなたが何も出来なくても、あなたは神の手の中にいる。神が何かをする」という心に響く声を聞いた気がしたのです。神様が状況に働いて下さるというのです。私の心に希望の灯がともりました。そして神様が本当に働いて下さっていることを感じる1人の人との出会いが与えられました。この神様との出会いによって、私は不思議なほど急速に快復して行きました。
多くの方が大変な問題を抱えて苦しんでおられる。それに比べれば,私の経験などは些細なものです。しかし私にとっては、色々と神様に取り扱って頂いた祝福の経験でした。「あれがなかったら、今頃、私は何を土台にして牧師をやっていただろうか」と今は思うのです。何よりも大きかったのは「神様の愛と摂理を学んだ」ことです。「新約聖書ローマ人への手紙5章」に「患難さえも喜んでいます」という言葉があります。「なぜ患難を喜べるのか」、ある著名な神学者が、その1つの理由として「患難は神の愛を知る機会になる」と言っています。入院中、私の家内は非常に元気でした。1歳半の子供をストローラーに乗せて、元気に病院に見舞いに来て、病棟を我が家の如く歩き回り、看護師さんには手を振ってあいさつし、あちこちから色々なものを持って来て私の世話をしてくれました。私は頭の片隅で「夫がこんな状態なのに、なぜこの人はこんなに元気なのだろう。もう少し一緒に落ち込んでも良いのではないか」と思いました。しかし考えたら、彼女はその1年半前、産後鬱で7週間、同じ病棟に入院していたのです。彼女は「もう元気にならないのではないか、治らないのではないか」というような状態から、神様によって助け出されました。だから経験者の強みで、ベッドに臥せっている私のことも、「やがてこの人も必ず快復する」と思うことができたのだと思います。そのおかげで共倒れにならずにすみました。私の入院中、彼女が教会のことをしてくれ、私は助けられ、支えられました。退院後、ある方に「家内が元気でいてくれて助かりました」と言ったら、その方が言われました。「神様は、吉行先生が病気になる1年半も前から、奥さんを準備しておられたのですね」。私はその言葉を、目から鱗が落ちるような思いで聞きました。それまで「家内の入院の時は大変だった」と思うばかりで、そんな風に考えたことはなかったのです。「私達にも神様の愛が注がれていた、私達も神様の摂理の中を生かされているのだ」、その思いが実感として迫って来ました。
そしてそれだけでなく、この一連の出来事の結果として、祈っていた2つの教会の後継者も備えられることになったのです。「だから、あのタイミングで入院するように導かれたのだ」と、そこにも神様の摂理の御手を思わずにはおられませんでした。
「新約聖書ローマ人への手紙8章」に有名な御言葉があります。「神を愛する人々、すなわち、神のご計画に従って召された人々のためには、神がすべてのことを働かせて益としてくださることを、私たちは知っています」(ローマ8:28)。イギリスの著名な牧師は言いました。「この『すべて』にはあなたの失敗も含まれている」。神様は失敗さえも益として下さるというのです。私は、この真理の一端を経験させて頂きました。
私は、人が生きるために何より大切なのは「希望」だと思います。私は希望によって立ち上がることが出来ました。そして、改めて「真の希望は神の中にある」ということを学んだのです。これからも神様にある希望をお伝えしたいと心から願っています。